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トラウマ関連の読書記録㉓「発達障害と発達性トラウマ障害」

前回㉒で読んだ本の中に、ADHDと思われる子どもが受診した際、ACE検査のスコアが高ければトラウマ由来として治療し、スコアが0の場合はADHDとして対処するという記述があった。

幼少期のトラウマが原因で、発達障害と似たような症状が出るというのはよく聞く。上の記事でも書いたけど、私にも小さい頃の言動で心当たりがある。

そんな中でこの本を知った。著者の杉山登志郎先生はトラウマ臨床の専門家だ。本自体は100ページ程度で読みやすいが、内容が濃すぎだし情報てんこ盛りである。杉山先生がトラウマ処理を学ぶきっかけから始まり、自分でできる手動でのトラウマ処理の図説もある。


ニワトリ・タマゴ論争

著者の杉山先生は、被虐待児とその親のトラウマ治療などの臨床を専門にしている。そこで気づいたのは「受診する被虐待児に、発達障害と診断される子どもが少なくない」ということだった。そして「子ども虐待の後遺症である反応性愛着障害において、発達障害に非常によく似た臨床像を呈する」ということは以前から指摘されていたらしい。

「反応性愛着障害とは、子どもがこの『安心』感を得られない状態で育ったときの後遺症である。極端なネグレクト状態に置かれた子どもにおいて、ASDと鑑別が困難な状態になる場合がある。」

うーん、難しい。この本にもあるが、特性として発達障害の基盤があった子どもが虐待を受けたのか、虐待の結果発達障害に似た症状を呈するのかの区別が難しい。発達障害だと生きづらさを感じることも多いだろうし、トラウマを抱える子どももいるかもしれない。そして、発達障害=親の愛情不足みたいな勘違いが広まりかねない。

ただ、鑑別する方法はあると書いてある。杉山先生の別の著書にあった図解を見たことがあるが、トラウマ由来の発達障害様の症状の場合は、ADHDに効く薬が効かないなどの違いがあるそうだ。


親も何かしらを抱えている

こういった場合は、親にも何かしら抱えているものがある。
「臨床において問題行動を多発させるグループのなかに高率に、母子ともASDという組み合わせが認められる」
「特に目立つのが、親の側に、父親にも母親にも、うつ病や躁うつ病が極めて多いことであった」
「この親たちには単なる抑うつではなく、双極性障害類似の気分の上下が認められる」
「このような親の側の特徴が、複雑性PTSD(複雑性心的外傷後ストレス障害)の臨床像に一致することに気づいた」
「子どもは発達障害で、さらに被虐待があり、親の側は発達の少なくとも凹凸が認められ、親自身が元被虐待児で今は加虐側になっている、という例が極めて多いのである」

親も虐待などでトラウマを抱えて何かしらの症状や問題が起きていて、子育ての問題に結びつきやすかったり、子どもの側の愛着形成の混乱を生じさせやすかったりするということになる。そりゃそうだ。自分に無いものは与えることなんてできない。という訳で、親子併行治療を行うことが多いらしい。子どもを治療するだけでは難しいだろうなというのは分かる。というか、私の実感からすると親が自分の内的なことに取り組まず、子どもだけをどうにかしようとするのはナシだよなあと思ったりする。


トラウマは下から上に抜いていく?

この本は具体的な治療について多くのページを割いている。EMDR(効果に驚嘆したとある)、薬の少量処方、漢方薬(神田橋処方にも言及)、著者が編み出したEMDR治療パッケージ、ホログラフィートーク、ソマティック・エクスペリエンシング、自我状態療法などなど。

EMDRについては「EMDRによる左右交互刺激で、一つのネガティブな記憶がひっくり返ると、まるでオセロゲームのように、バタバタと他のネガティブな記憶もつぎつぎとプラスに逆転する。」とあり、確かにそうだったなあと思う。また、ホログラフィートークについては「傷付いた愛着の修復の可能性が開ける」、ソマティック・エクスペリエンシングは「ボトムアップのさまざまな技法の大集合のようなものであり、大変に重要な治療技法である」とある。

著者はEMDR治療の際に、パルサーという器具を使用している。私もEMDRの際に使っている。両手に握るような形になっていて、振動が左右交互に起きることで両側性刺激を生み出すものだ。治療の中でパルサーを身体の4か所に当てていくとあるのだけど、その場所が私が実際に当てている場所と同じで驚いた。そうだったのか。肋骨の下、鎖骨の下、首の後ろ、目の脇あたりとどんどん上に当てていくという順番も同じだ。

「フラッシュバックを基盤とする身体的違和感を下から上に抜いていく」とあって、そういうことだったのか!と納得した。深呼吸の方法も書いてある。
「地面から気を吸い上げるというイメージで、胸郭呼吸により深く吸い込む。呼気は、もろもろの押し込まれた不快記憶や歪んだ自己イメージとともに、頭頂から抜くというイメージで行う。」
いいことを教えてもらった。次回からEMDRでセットごとに深呼吸する時、このイメージでやってみようと思う。

また、患者自身が行う手動による左右交互の身体へのタッピング方法が図解で載っており、巻末のQRコードから動画で見ることもできる。簡単なので自分でもやってみたい。「パルサーの振動を患者自ら作ってもらうことで、意識の集中が逸れ、その分だけトラウマへの焦点化が軽減される」とある。


トラウマ治療が広まる日は来るのか

「現在のわが国の臨床の現場で、溢れかえるトラウマ関連の症例に対し、一般的な精神科医や心理士が対応できず、見過ごすことができない治療におけるマイナスを引き起こしている。」
「トラウマ処理の技法をもっていないと、今後、精神科医として、あるいは心理士として役に立たないと言っても過言ではない。」
と著者が言及しているように、トラウマについては考慮されていないことがとても多いように思う。私だって普通に心療内科に行っていたとしたら、不安障害だとか強迫性障害と診断が下りて、薬を処方されて終わりだったのだろう。怖い。

虐待ではない不適切養育でもトラウマになるし、心身に不調が出たり世代間連鎖を繰り返す。だから、三森さんの取材した心理士さんの言葉にあったけど「美容院に行くような感じで」行けるようになると、世の中変わっていくのではないかと思う。難しいけど。自覚して行動を起こすところまでが難しいし、治療もしんどいし長くかかるので、続けていくことも結構難しい。お金の問題もある。でも、私みたいな場合は薬を飲んでも一時的に楽になるかもしれないという程度のもので、何の解決にもならない。

子どもの問題に直面した時にトラウマやアタッチメントの問題の可能性を考えると、親が辛くなる。「私が悪いのか」と苦しまなくてはならないような気がするので、考えたくないのかもしれない。でも親が悪いというのではないよな、と思うのだ。

私の場合を考えてみる。私は幼少期のトラウマがあり、世代間連鎖の中にいた。父も母もおそらくトラウマ由来かもともとの特性なのかは不明だが、発達特性があるように見える。夫はおそらくADHDだろう(トラウマがあるかどうかは分からない)。私の子どもは幼少期から発達で指摘を受けたことは無く、ADHDやASDだと思われる症状は見られず、情緒は安定したタイプだ。ただ、私と同じく凹凸がありそうな感じはする。

私が子どもをいわゆる「虐待」したかと言われると、暴力などは無かったけど、分からない。何と言ってもトラウマをバリバリに抱えていた私に育てられたのだ。不適切養育ならあったのではないかと思う。子どもの「緩衝材」になれていたかというと、なれていなかっただろう。世代間連鎖、エピジェネティック、夫や私の特性の遺伝などを考えたら、子ども自身も生きづらさを抱えていただろう。

こう考えると、もしも子どもの発達で気になるところがある場合は、私の場合はトラウマ由来と特性と、両方の可能性を考えて検査なり受診なりをする方がいいだろうと考えている。どちらの可能性も考える(あくまで素人の個人的な見解なので、他の人は知らんがなである)。そして問題に直面した場合は、親である私がまず自分の内面の問題を片付けることから始めるようにする(もう今やってるけど)。

「ニワトリであろうとタマゴであろうと、発達障害の臨床像を呈するということは、それなりの脳機能の凸凹が背後にあり、臨床的には発達障害としての対応が必要である。念のため繰り返すが、さらに加えてトラウマへの治療的対応も同時に必要である。」

私にはもう何の抵抗も無いけれど、それは治療を受けて本を読んで知識を得たからだ。いいセラピスト達に恵まれたおかげでもある。
「トラウマなのかも」ということを当然のように考慮に入れることができる日が来たらいいなあと思う。

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