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カウンセリング/12回目

前回からの振り返りと報告

・引き続き子ども時代の怒りを出したこと
・見捨てられる不安について向き合ったこと


父からの「怒られ」という定期イベント

子どもの頃の怒りを出していて、父に怒られたことにも強く怒りを感じていることに気が付いた。
父はほとんど家に帰ってこなかったが、帰ってきた時は母と喧嘩をするか、不機嫌だった。そして、私を怒っていた。
父が私を怒る時は、だいたいパターンが決まっていた。
母が父に私のことを話すか、母と私が揉めている真っ最中に父が帰宅するところから始まる。私は「悪い子」なので本当に困り果てている、と母は父に怒りをぶつけた。
父はそこで「お母さんがああ言ってるじゃないか、いい加減にしろ」と私を怒り始める。私は父の思い通りになってたまるかという気持ちで反抗したり無視したりする。すると父の怒りがどんどんエスカレートしていく。
父は、時間をかけて私を怒った。とにかく私が涙を流して「ごめんなさい」と言うまでずっと怒り続ける。何時間かかってもお構いなしだった。邪魔が入るのも嫌で、母が加勢しようとすると「お前は黙ってろ」と言って、私と2人きりになろうとした。
そして、私が謝り父の気が済むまでその時間は続いた。この「怒られ」は定期イベントのように、小学校からずっと続いた。

疑問なのが「ここまで詰められるほどの悪いことを私はしたのだろうか」ということだ。
学校に呼び出されたことや誰かを傷つけたことなどはなく、日々の生活態度や勉強や、母への反抗的な態度が原因だった。父はほとんど帰ってこないので私の姿を直接見たわけではない。母に言われて、母の訴え通りに私を怒っていただけだった。
私の言い分や気持ちなどは当然考慮せず、ただ怒りたいから怒っているだけのような感じだった。なので私には何も残らず、反省も無く、同じことがまた繰り返された。

今、私も親になったが、父はいったい何にあそこまで怒っていたのか親の視点から見ても意味不明だった。
結局、母がうるさいからその原因の私を怒る。反抗されたので怒りに任せて詰める。母が望むようないい子になっていないし、父に立てつくので父の気が済むまで詰める。まるで子どもだと思う。

上に「私と2人きりになろうとした」と書いたが、そのことに今でもものすごい嫌悪感がある。どちらかといえば父と母2人に怒られる方がマシだった。父が気の済むまで思い通りにしようとしたのだという感覚があり、気持ちが悪い。
長時間にわたって怒り続けていたことも、ものすごく嫌だったし気持ちが悪い。そうでもしないとこの子はダメになると思っていたのかもしれない。父自身は好き勝手ばかりしていたのに、棚上げっぷりがひどい。
先週まで気が付かなかったが、私は父にものすごい嫌悪感を持っていたことが今はわかる。本当に嫌だったのだ。嫌だったから、父を汚いもののように感じて強迫神経症のような症状が出たのかもしれない。

私が泣きながら「ごめんなさい」と言い、父の気が済んで何時間にもわたる「怒られイベント」が終わった時、ホッとするというよりも「屈服させられた」という屈辱感が大きかった。父の気が済むようにされた、納得いかないという気持ちだった。それが許せない。私を何かのはけ口にされていたという感覚がある。
「こんなことで怒りたくないんだぞ」と言っていたが、怒りたかったのではないか。それで父や夫としての役割を果たしたつもりにでもなってたんじゃないのか。

それでも「いい子にしていたらこんなことにはならなかった」「私が悪い子だったので当然だ」という気持ちがあって、このことに怒りを感じるのはおかしいのではないかと少し自信が無い。
両親は喧嘩ばかりで私を振り回していたのに、というのは、両親にしてみたら「それはそれ、これはこれ」だったのだとは思う。両親の不仲と私が悪い子だったり勉強しなかったりというのは別問題だと言うだろう(実際言われたこともある)。でも、私の中では結びついて怒りになっている。

弟は、私のようには怒られなかった。弟が「いい子」だったからというのもあるかもしれない。でも、弟は小学生あたりからは学校に呼び出されたり、悪さをしたりしていた記憶がある。それでも父はあまり弟に関わらず、母も溺愛していたのでひどく怒られたりはしていなかった印象がある。
ただ、私はあまり引きずらず、翌日には無かったことの様に振舞うことが出来た。弟は意志が強く頑固で、いったん怒ると数日口をきかなかったり、扱いが難しかったのだと思う。私は両親にとって怒りやすい子だったはずだ。母に言わせると「損な性格」だった。

カウンセラーには「(私は)悪いことはしていませんよ。子どもらしい子どもだったような印象です。お父さんはただ怒りをぶつけていただけで、親として育てるために叱るというのとは違うように思います。ただ、どうして悪い子の様に振舞っていたのでしょうね?」と聞かれた。
見て欲しかったし、思い通りになるのは悔しかったからだと思う。当時の私自身の気持ちも不安定だった。カウンセラーには親の愛情を確かめるためだったのではないかと言われた。試し行動はあったと思う。あと、私を怒っている間は夫婦喧嘩が無いのは楽だった。

少なくとも、私は自分の子どもにはこんな怒り方はしない。そもそも怒る理由にならない。その一点だけでも、両親に怒っていい。そして、悪い子ではなかった。子どもの私が理不尽や怒りや屈辱感や嫌悪感を感じていたのは本当のことなので、引き続きしっかり向き合って認めてあげたい。


両親をかわいそうだと思う

前回カウンセリングで「今も両親が目の前で喧嘩したら、そのまま固まってしまうだろう」ということに気づいたが、この気持ちに向き合って掘り下げてみた。なぜそうしないといけないと思っているのか。
小さい頃は単純に怖くて動けなかったからという理由もあった。それ以外に、喧嘩の行方を見届けていなくてはいけないような気がしていた。
何が起こるか分からないから怖いというのと、両親をかわいそうだと感じていたのだと気が付いた。喧嘩をして罵り合って怒鳴り合っていたら、傷ついているかもしれない。どちらかが傷ついたらかわいそうだし、見ていなくてはいけないと思って動けなかった。

実際に両親を慰めたり取り持ったりするようなことはしていなかった。私が何を言っても何をしても、喧嘩の時にはスルーされたので無駄だと学習したのかもしれない。

両親の喧嘩は毎回大爆発みたいな迫力なのだが、さんざん怒鳴り合った後に静かに「もうおしまいだな」「もう離婚ね」と、ヤケになって静かに吐き捨て合う時があった。私はそれがとても怖かった。いよいよおしまいだ、家族バラバラになるんだと思い、足元が崩れていくような怖さを感じた。
私が見ていない時にあの場面が来てしまったら、私の知らないうちにどうなるかわからない。何もできないけど見ていなくてはと思っていた。

カウンセリング中にこのことを話していて、まるで小さい子のケンカを見守っているみたいだなと思った。当然ながら両親のことは全く信頼していなかった。
この怖さや不安を受け止めながら、両親と私は別の人間だし、もうかわいそうだと見守らなくていいんだと自分に言ってあげること。これまで(自分で勝手に)背負ってきた役割を放棄して、楽になりましょうとカウンセラーに言われた。

普通は、親と自分とは違う人間で「親も自分のことを何でもわかってくれるわけではない」ということが成長の段階でわかっていくものなのだけど、私にはそれができていないということらしい。
まだ気持ちが子どものままで「親は私のことを何でもわかってくれるはずだ、わかってくれ」と思い続けているのが今の私なのだ。成長のためには、私が私の気持ちをわかってあげること。


複雑すぎる

両親に怒りや嫌悪感を感じつつ、喧嘩の時はかわいそうだと面倒を見ながらも、自分は悪い子だと思っていたなんて、本当に複雑で訳が分からない。
すごく矛盾しているし、場面によって感情がコロコロ変わる。当たり前なのだけど、疲れる。子どもの頃こんな気持ちだったとしたら、毎日疲れていただろう。大変だったね、と労ってあげたい。




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