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カウンセリング/7回目

前回からの振り返り

・夫への怒りについて。夫のどこがどう嫌なのかに向き合ったこと。
・自分の成育歴について改めて振り返ろうと思ったことについて。


夫について

夫はおそらく発達障害か、それに近い特性を持っていると思う。
夫のうつ病での担当医に話したところ「そういう傾向はあるかもしれません。診断していないので何とも言えませんが」と言われた。
ADHDの傾向があるのではないかと私は感じている。

部屋を片付けることができない。仕事が忙しくなると、それに気を取られて身の回りのことが明らかにおろそかになり、普段以上に家を荒らすようになる。
仕事では、自分の本来の仕事は好きで能力も発揮できているが、日報などの雑務がとても苦手で溜めてしまい、自分を追い詰める(うつ病になったのもこれが一因だったと夫は後に話していた)。

自分の予定を私に共有するのを忘れる。いきなり「これから出張だから」と夕飯を作っている時に言ってきたりする。何も言わずに出張に行って帰ってこないので気づくということもある。
物をため込む。ヤフオクなどで安く大量に服や小物を買い込んで、買ったらすぐに忘れてしまう。ため込む物にも本人のブームがあるらしく、服だったり食器だったり。でも使わず開封すらしないことが多い。
処分することができず、要らないものはそっとリビングに置き去りにしたりする。

今は観葉植物を集めまくり、毎日世話に追われている。好きでやっていて癒されているらしいので別にいいのだが、ベランダが藪みたいになっているのを見るのは私としてはきつい。
そして、今何より嫌なのが、洗面所やキッチンのシンクに観葉植物をみっちり置いて、そこで水やりをすること。
水やりしても構わないが、私が出勤前の支度をする時だったり、夕方仕事から帰宅してキッチンを使う時に観葉植物だらけだと、本当にうんざりして怒りが湧く。どかして欲しいと言うとため息をついて不機嫌になる。
夫は在宅勤務なので、私のいない時に時間をずらして水やりをすればいいのになぜなのだ、と心から嫌になる(最近は私のいない時間にやるようにしているみたいだが、仕事などに脳みそを占領されると、そういう気遣いはどこかに飛んでいくらしい)。
そして、リビングや洗面所などが土や葉で汚れている。夫も使った後に拭いたりはしているが、足りない。夫の足も真っ黒だ。

夫は悪気がある訳ではない。私には気を遣っているのがわかるし、どうにか自分のテリトリー内(ベランダは家族の共有だが、夫のものになってしまったので夫のテリトリーとして認識されている)に収めるように努力していることは窺える。

夫自身、自分でもどうにもならないことだと思っているのだろう。
夫に指摘したりここまではしないで欲しいと言うと、言われたくないと激高する。確かに言っても仕方のないことなのだ。私が疲れるだけだし伝わらないのでもう言わないようにした。
ただ、この状態に夫も心から満足して幸せというようには見えない。

もちろん、こんなことをそばで延々とされていたら、怒りも湧くし空しくなる。
夫のことを愛せない。これが無くなったら愛せるのかはわからないけど、見ているのが嫌になる。
思い通りにならないから嫌、ということとは違う(そう思っていた時期もあった)。夫は夫で好きに生きたらいいと思うが、こういう人と暮らすことは相当に疲れる。

これを理解したり受容したり、怒りが湧かないようにしないといけないのか。夫婦仲良く、はその延長線上にしかないのか。だとしたら絶望する。
夫は変わらない。他人を変えることはできない。でも、私が変わらないといけないとしても、この状況は受け入れることはできない。
私の器が狭いのか。でも、夫を責めることなく「そうせざるを得ない何かがこの人の中にあるのだろう」と思って諦めているだけ偉いのではないか?

こんな風に胸の内を話したら、カウンセラーに「よくやっていると思いますよ」と言われた。
発達障害の本などを読んで、どういう行動パターンをするのかしっかり知るといいのでは、とも言われた。その部分はもう仕方のないことなのだから。
夫はおそらく、もっとちゃんとしようと思ってやっている。でもうまくいかない。水やりで私が使う時間にかからないようにしようとしたりすることも、夫が思うよりもうまくできないのだろう。私に迷惑をかけ、私がうんざりしていることもわかっている。多分。

だとしたら、夫も苦しいはずだ。それはとても気の毒なことだと思う。
ただ、それを思いやって理解してあげることは私にはできない。納得がいかない。

カウンセラーから、お互いの気持ちに余裕のある時に、シンクの使い方などの改善案について話し合えたらいいのではと言われた。
その時に「あなたは努力して、とてもよくやっていると思うし、それはわかっている。大変だよね」と共感することで、夫はホッとするだろうとも言われた。

ここで、どうしても私の気持ちが納得いかなかった。
なぜ私が共感してわかってあげないといけないのか?私こそ、共感してわかってもらいたいのに。なぜ夫ばかりを労わらないといけないのか?
この気持ちをカウンセラーへ話すと「それはあなたの中の子どもが、そうして欲しいと言っているのでしょうね。まずは自分への共感や労わりを示してあげて、自分自身が満たされたら、夫に対してもそういう気持ちになれると思いますよ」と言われた。

確かにそうだ。まずは自分だ。夫にばかり優しくしてあげるなんてズルい、と自分自身にヤキモチを妬いているのだ私は。

夫に怒りを感じたりうんざりするのは無理もないことなのだ。冷静に見られず、受け止められなくて当然だ。それができない自分がダメということはない。だってあんなのを無条件で受け入れて愛せる妻なんてそうそういない。むかつくよね。

これからもうんざりしたら、それを自分で認めてあげたらいいのだ。仲良くしなくては、と自分で自分を追い詰める必要は無い。
そう思うと楽になった。そのうち夫の苦しみもしんどさも、共感してあげられるようになるだろう。でもそれは今ではないというだけだ。


自分の成育歴を振り返る

某講座でも自分の子どもの頃の辛かった出来事を振り返ったが、改めてもっと詳細に振り返ることにした。
私の子どもの頃の写真を見ると、3歳頃までははじけるような笑顔の写真が多い。それが、4歳を過ぎるとほとんど笑っていない写真ばかりになる。
私自身の記憶でも、辛い出来事は4歳以降に起こっているように思う。
そこで、4歳以降の記憶や出来事を徹底的に書き出すことにした。
これはまだ続けており、思春期の終わる20代後半まで取り組もうと思っている。

その中で、特に辛く受け入れがたく、これまで誰にも言っていない小さい頃の記憶を初めてカウンセラーに話した。
自分が悪かったのではない、ただ辛かったと認めることができた。
そして、20代にお酒に依存しかかった時期のことや、中学生から20代ぐらいまで続いた、自分の足や手の爪を血が出るまで剥いていた癖のことも話した。

いろんな場面でバランスを取り、なるべく表に破綻した姿を出さないように必死にやってきたのだと思う。
お酒については、酔うとみんなが自分を見てくれるような気持になって嬉しかったのだと今は分かる(実際はいい迷惑で、決してそんなことは無かったのだけど)。


強迫症状について

小さなこだわりをやめることは、少しずつクリアできている。
今回、また新たな目標を作ってカウンセラーに話した。
そして、私にとって「安全」というのはどういうことなのかを次回までに考えて、リストにすることにした。
あと「家以外の場所に泊まった時には大丈夫で、家の布団だとこだわってしまうこと」についてもリストにしてみることにした。

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