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カウンセリング/11回目

前回からの振り返りと報告

・子ども時代の怒りを出したこと
・小さい頃にはできなかったが大人の自分ならできることを考えてみたこと
・成育歴の振り返りは完了し、結婚前までの自分を振り返ったこと


怒りを出して出して出して出す

前回のカウンセリングで自分の中の怒りを出すことがまだまだ必要だと感じたので、怒りを出すことに取り組んだ。
怒りはもちろんある。ただ、スイッチが入らないと出てこない。しばらく気持ちを紙に書いていると、どんどん湧き出すように出てくる。

結局、私は母に認めて欲しかったというのが一番大きい。私が怖かったことや辛かったことを認めて、私のことを見て、私の話を聞いてという気持ちがたくさん残っている。

母自身が不安定だったり、喧嘩で修羅場になったりしたことは都合よく脇に置いといて、「それはそれとしてアンタはちゃんとやってるの、やってないじゃない、悪い子だし」というのが私に対する母のスタンスだった。
そして周りのしっかりした子や頑張っている子と比べて、その子達を褒めた。私がヤキモチを妬くと「心が狭い」と責められた。
私の気持ちを認めることは断固として拒否していた。それが許せない。
喧嘩したり仲の悪い親でいて欲しくなかったし、不安定な母も怖くて嫌だった。それでも「怖い思いをしたね、ごめんね」と一言でもいいから言ってくれていたらよかったのに。

そして、怒りは当時周りにいた全員に向いた。両親も親戚も祖父母も学校の先生も近所の大人たちも、私に嫌なことをした友達も母が褒めた子達もみんな許せないと思った(その子たちはとんだとばっちりであるが)。
どうせ「悪い子」で「恥ずかしい子」なのだし、誰も私のことを見ても助けてもくれなかった(と当時の私は感じていた)。それなら期待通り悪い子でいてやる。全員皆殺しだ。銃や飛び道具は使わない。手ごたえのある金属バットや鉈を使う。周りの壁やガラスや物も破壊しつくしてやる。全部めちゃくちゃにしてやる。
という、ものすごい攻撃的な怒りが最後には湧いてくる。
これをしっかり受け止めてやらないといけない。しんどいけれど、繰り返し取り組んでいく。

それにしても、こういう攻撃的になる時や怒りをぶつける時、弟のことは守りたいという気持ちがある。上に書いた皆殺し場面でも、弟はそこにはいない。たぶん別の場所で平和に遊んでいてもらっている。当時は弟にヤキモチを妬いていたし、意地悪もしたのに不思議だ。


もう取り返しがつかないことを嘆く

成育歴は結婚前までの振り返りが終わった。小さい頃は小さい頃できつかったが、思春期以降は自分が自分の人生を台無しにしていく過程を再確認していくような感じで、これまたきつかった。
自分をダメな人間、恥ずかしい人間だと思いながら周りに認めて欲しい気持ちが先走り、自分自身の本当の気持ちに気づかず生きてきた。中学や高校で友達関係がうまくいかなかったのも、大学に入ってから自分を見失って力が出なくなったのも、アルコールに溺れかけたのも、全部そうだった。
台無しにしたものはもうやり直せないし、返って来ない。もうどうしようもない。その時は精一杯生きていたつもりだけど、一体何をやっていたんだろうかという気持ち。でももうどうにもならない。これを認めるのは辛かった。
カウンセラーには「そうやってもう返ってこない、やり直しのできない過去を嘆くことはとても大事なことです」と言われた。
それにしてもきつい。太宰治じゃないけど「恥の多い人生を送ってきました」という感じだった。


今も当時の自分と変わっていない

小さい頃の自分にはできなかったが、大人の今の自分にはできることを考えた時に「両親が目の前で喧嘩している時」についてはどうだろうと書き出してみた。

私はもう大人なので、両親に「やめなさいよ」とも言えるし、嫌ならその場から立ち去って美味しいものを食べに行ったり、家に帰ったりもできる。当時の場面に小さな弟がいたら、弟を連れて一緒に遊びに行くこともできる。両親が喧嘩していても怖いことはないし、何も困ることは起こらない。

こう考えることはできるのだが、もしも実際に今目の前で両親が喧嘩しているのを見たら、結局子どもの時と同じように「怖くて何も言えず、ただ固まって動けずに両親のことを見ている」ということになりそうだと気が付いてしまった。驚いた。
怖さや不安などの当時の感情がまだ未消化で、今の私もこのことに関しては「怖くて両親のことをどうにかしてあげなきゃいけないと思っていた子どもの頃の自分」のままなのだった。
この頃の怖さや不安も、受け止めて分かってあげないといけない。やることがたくさんある。


精神的に親の面倒を見ている

そしてもう1つ気づいたことがあった。
カウンセラーに勧めてもらった本を読んでいて「今の自分が思春期の自分を連れて当時の家から出ていき、見送る両親に別れを告げて去る」という部分に反応して涙が出た。
このシーンのように両親を見捨てることが悲しくてならない。心の中でこんな風にさようならを言うことができないと感じる。私も寂しいし、親を寂しがらせると思ってしまう。両親の元から立ち去るのが辛い。
父と母のところから私が立ち去ったら、あの2人はどうなるのか、かわいそうだという気持ちになった。

カウンセラーに「両親のことは自分がどうにかしてあげなきゃいけない人たちとして、精神的に面倒を見ているのですね。親子の立場が逆転していますね」と言われた。
私は「悪い子」で「困らせる子」だったけど(と思っていた)、精神的には親の面倒を見て、フォローしてあげていたのだった。喧嘩で別行動になった時に父に付いていったことも、高校生ぐらいからは父や母と食事したり愚痴を聞いたりしたこともそうだった。
「悪い子」「困らせる子」だったのは、「こんな風にしても親は私のことを愛してくれるのか」と知りたくてやっていたのだけど、結局愛してくれているのだと私が実感できないままだったので、ずっと「悪い子」のままになってしまったのだった。

これは、上に書いた両親の喧嘩を今も怖くて動けなくなってしまうだろうということと繋がっていると思う。
カウンセラーによれば「見捨てられる不安があるのだと思います。だから、どうにかしないといけないと思ってしまう」とのことだった。
私は1人が好きで、当時も見捨てないで欲しいとか1人が怖いなどとはっきり思った記憶が無く、親に縋りたいと思ったことも無い(と私は思っている)。2人共頼りなかったので、諦めていたのだと思う。

カウンセラーと、この見捨てられるかもしれないという不安や精神的に親の面倒を見なくてはという気持ちから抜け出すにはどうしたらいいのか話した。
まずは、当時の自分の感情を受け止めること(またこれだ)。自分と信頼関係ができてきたら、見捨てられることは無いのだということを分かっていくことが必要とのことだった。
実際に両親に見捨てられることは無かった。だからこそ私は今こうやってここにいる。これからも誰にも見捨てられることは無い。そんなことは起こらないのだから、もう安心していい。それが実感できたら、変わってくるのだそうだ。


今の私ってどんな感じ?

当時の辛かった感情に向き合っているし、心の窓みたいなものが常時開けっ放しになっているような感覚があるので、気持ちが不安定ではある。
でもやり場のない焦燥感や不安などがだいぶ減って楽になった。ただ、自分の中がまだまだ奥深く、しかも「自分自身をもっと見てくれ」という欲求が強くて、結構疲れる。山盛りの宿題を目の前にして途方に暮れている感じがする。

カウンセラーには「子どもの頃の自分自身が自分の中にいることは、常に忘れないでいてあげてくださいね。毎日少しでも対話しましょう」と言われて今回のカウンセリングは終了した。


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