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カウンセリング/6回目

前回からの振り返り

今回もこの1週間の振り返りから話したが、前回の延長線上にある感覚で、あまり報告することが無かった。

・これまで取り組んできた強迫観念を止めてみることについては、自然に止めることができるようになった。
・夫に対して不衛生とか散らかして嫌だ、と思うことは別にいいのではないかと気づいた。こだわりをやめるには夫を嫌だと思わないようにしなくてはいけないと考えていたが、そうじゃない。夫が汚して嫌だと思うことと、私が布団に対するこだわりを持つことはイコールじゃないし、別問題だと気づいた。

この「夫が汚して嫌」は「布団に対するこだわり」に結びつかないし、夫のことを嫌だと思ったっていいということに気づいたのは大きかった。
よく考えたら当たり前のことなのだけど、私にはイコールのように思えていたことだった。
夫が汚すから嫌、と言っている世の中の妻はたくさんいるけど、その人たちが布団を清潔にしないとという強迫観念を持っているわけではない。


家族の役割分担

今回は読み進めている本の質問から始まって、小さい頃や両親のことを取りとめもなく話した。認知行動療法はしなかった。
話をする中で、私の家族の中での役割分担のようなものが見えてきた。

父は自分の欠乏感を埋めようともがいていた。浮気や浪費を繰り返したけど、それで埋まるはずもなかった。母を下に見て馬鹿にする発言をしていたが、私もその父の発言を聞いて母を下に見ていたところがあった。
母は当時いつも泣くか怒るかしていてストレスからか具合も悪く、頼れる存在ではなかった。私は母だけだと心もとない気持ちになっていた。

母は被害者意識が強く、人のせいにばかりしてきた。母の昔話では、母は「完璧ないい子」で「何も悪いところが無い子」だった。そんな母の話を私は信じていて、母は何も悪いところのない人なんだと思っていた。
そんな母が泣きわめくようなことをしているのは、父のせいだ。私に理不尽に怒りをぶつけてくるのは、私が悪い子のせいだと思っていた(というか、実際に母は私にそう言っていた)。

弟は一番家が荒れていた当時、まだ赤ん坊だった。記憶は無いと思うけど、何かしらの影響があるのかもしれない。
弟は本当に優しいいい子で、母は弟を溺愛していた。母によれば「同じ血液型だから気が合う」し「自分に似ている」と。

私はそんな弟にヤキモチを妬き、ちょっかいをかけたりいじめたりしていた。そして母が私を怒り、弟をかばい、弟は私に優しい。私は自己嫌悪でますますひねくれていく、というループに嵌まっていた。
弟は、母の代理配偶者だったのかもしれないと思う。弟は「隔世遺伝で父みたいな子どもが生まれたら嫌だ」と、結婚はしたが子どもを作らずに暮らしている。

私は家族の中では、父に次ぐ問題児だった。
私のせいで両親の喧嘩が始まるし、弟のことはいじめるし、体の不調やチックなど「困ったこと」を次々と起こし、母を困らせる役だった。
そういう意味では、スケープゴートだったのかもしれない。
母によれば、私は「父に似ていてわがままでだらしがない」のだった。離婚する時は連れて行かない、と言われたこともあった。
私はつい最近までナチュラルに自分も悪い子だったからいけなかったと思い込んでいたし、何なら家庭を荒らした加害者の1人だと感じていた。

思い返すと、私も弟も役割があって、それを演じることで子ども時代を過ごしたのだと思う。
父や母が、私や弟の気持ちに寄り添ったことは一度もなかったと思う(あるいは記憶が無いだけなのかもしれないが)。
本当に勝手な人たちだった。振り回して傷つけて、父は知らんぷり、母は周りのせいにする。
特に母は、私や弟に「アフリカの飢えている子どもや難病で苦しむ子どもよりずっと幸せだ」と常日頃話していた。
確かにその通りなんだけど、その言葉は私に罪悪感を植え付けたと思う。


母の自殺未遂

母の自殺未遂については、相変わらず感情が出ない。私が5歳の頃の出来事で、夜中に救急車に乗ったことも病室の様子も記憶にある。
当時は具合が悪くなったのだと聞いていた。自殺未遂だったと知ったのは、20歳ぐらいの頃だった。

5歳当時は、とにかく空気が重くて禍々しい感じで怖かったのを覚えている。泣いたりはせずにただ固まっていた。
当時母は常に具合が悪く、喧嘩していない時は寝ていたり吐いていたりしていた。だから「やっぱりそうか、来るべき時が来た」みたいな感覚だった。ビックリはしなかった。

叔母から聞かされた20歳の頃は、当時の重苦しい雰囲気を思い出し「だからあんなだったのか、なるほど」と納得した。
そして、母は私だけならまだしも、溺愛していた弟のことも置いて死のうとしたのかと寂しい気持ちになった。
カウンセラーによれば、もっと感情があるはずだとのこと。
確かにそうかもしれない。怒りも悲しみも感じない。


自分への怒り

両親には「子ども時代のせいでこんなにこじれて面倒なことになっちゃったじゃないか、どうしてくれるんだ」とは思うが、怒りはそこまで出てこない。もう某講座でかなり出し切ってしまったからかもしれない。
その代わりに、自分に対する「どうしてここまで知らんぷりできたんだ」という思いの方が強い。
そう話すとカウンセラーに「これまでは自分のことを思う余裕が無くていっぱいいっぱいだったけど、自分を受け止める余裕ができたということ」と言われた。そうなんだろう。

次回までに、今読んでいる本のワークを進めてみることを話して今回のカウンセリングは終了した。

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