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EMDR/14回目

幼少期の感情と記憶にますます気づけるようになってきた

ここ最近、自分の中で「あーこれはずっと抱えてきた感情だな」とか「たぶん再演しちゃってるな」ということにますます気づくようになった。

今の時点での私を取り巻く現実は、なかなか穏やかだ。家族とも関係は良好で(夫にイラつくことはあってもそれはそれ)、お互いの境界線を守って楽に過ごせているように思う。仕事も楽しく、自分のペースでできている。体調も悪くはなく、全体的に「ほどほどにいい感じ」だ。

だからこそ、どうにもならないぐらいの感情が出てくると「これは今の現実に対する感情じゃないよな、どう考えても」となる。それを探ると、まだ処理していない幼少期の記憶が出てきたりするようになった。あるいは、その記憶がずっと頭の中でチラチラし出したりする。記憶が「私を見て」と言ってくるような感じだ。


前回の記憶の確認

前回の「8歳の私が弟を階段から突き飛ばした」という記憶は、ただの記憶よりも大人の私が介入するイメージの方が強くなった。

大人の私はあらかじめ階段の下で弟を受け止めるのを待ち構えていて、弟を抱きとめてから子どもの私のところへ行き「大丈夫だよ。辛かったんだね」と抱きしめ、そのまま子どもの私と弟を連れて、おソノさんや5歳の私、赤ん坊の弟のいるいつもの部屋へ連れ帰る。そこで私と弟は安心してぐっすり眠る。赤ん坊の弟もその横で昼寝をする。大人の私はそれを見守る。5歳の私は、早くみんな起きてきて一緒に遊びたいと思いながらも、おソノさんと一緒にシャボン玉をする。とてもいい。安心する。

他の処理済みの記憶と同じように、そのうち徐々に記憶が薄れていくのだろうと思う。


恥の感情爆発→自己否定→人を避けるという再演

つい最近あったのは、これまでにも何百回と再演してきたであろう出来事だった。ある友人とLINEのやり取りをしていて特に用件も無かったのだけど「せっかくだから電話で話そうか」となり、電話をした。私が近況などを話している間、何となくその友人が気乗りしない雰囲気だった。そしてこちらも「どうしたんだろう?」となって何となく話が弾まないまま早々に電話を切った(後からその友人が謝罪の連絡をくれたのだが、ちょっと仕事で引っかかっているアイデアがあり、それを片付けたいと思って気もそぞろになっていたとのことだった)。

こういう時、私は電話を切った時点で恥ずかしさで爆発しそうになってしまう。相手を責めるのではなく「何て馬鹿なことをしたんだ」「調子に乗ってしまった」「私はなんて恥ずかしいことをしたんだ」と自分を責める。そして、もう二度とこの友人には連絡をしたくない、もうこんな思いはしたくないと思って連絡を絶つのだ。とはいえ、今回のように誤解が解けたり、時間と共に薄れていって通常の関係に戻ることがほとんどなのだけど。

今回は明らかにささいな行き違いであり(ていうか気もそぞろなら電話しなくていいのよとも思う)、ここまでの感情が出てくるのは不自然だとすぐにわかる。そして、自分を責めているのは内的な批判家のパーツだ。

思えばこんな感情に襲われることは数えきれないほどあった。
そして、こういう気持ちになるのはしんどいので、それなら1人がいいやとなる。セラピスト曰く「恥の感情は人を孤立させます」とのこと。
ただ、私は1人で気ままに過ごすのが好きなので、別に一緒に行動する人は要らないんだよなあと本気で思うのだけど(しゃぶしゃぶも焼肉も温泉も1人で行くのに抵抗は無い)。


1年前に受けていた、とある心理講座での傷つき

このnoteでも何度も触れたが、ACカウンセリングを受ける前に、あるネットの心理講座を受けていた。詳細は割愛するが、今となっては「トラウマを抱えた人間にはやったらヤバいことばかりだったよね」という感想に尽きる。ただ、トラウマを持った人を対象にしているわけではなかったし、正しいとか正しくないなどとは思わない。受けると決めたのは私だし、自己責任だ。

ただ、その過程を思い返すと、どう考えても再演を繰り返していたし、恥と自己否定を強化する結果になっていたのだと思っている。その時の感情も、今回の友人とのやり取りで出てきた感情と同じものだった。

ちなみにこの記憶もこの先EMDRで処理してもらった方がいいのか迷っているとセラピストに相談したら、処理するのは必要であればやった方がいいとのことだった。ただし、再演しており幼少期の感情が出てきていると思えるような出来事であれば、その元になっている記憶を処理すると、この記憶についても処理が進むことが多いらしい。根っこは同じだからなのだな。

という訳で、処理については様子見とすることになった。きっと大丈夫だろうと思う。大きく回り道したけれど、そういうものだったのだろう。


元になった記憶は8歳の時の出来事

この記憶は部分的だけど鮮やかで、よく思い出しては苦しんでいた。

8歳頃、いつものように私が反抗的だったか弟に意地悪をしたかで、母に怒られて泣いていた時があった。これまでそんなことをしたことは一度も無かったのだけど、私は何を思ったのか、母に手紙を書いた。画用紙を二つ折りにして、表紙に「わたしの心」と書き、いろんな表情の顔を描いたのを覚えている。内容は詳しく覚えていないが、「もうつらいよ」とか「悲しくてしかたない」とか、そんな気持ちを詩にして書いていたように思う。それを母に渡すと、母は「こんなものを書いて許してもらおうと言うのか」とものすごく怒ったという記憶だ。

その時は悲しいという気持ちなどは無くて、ただただ恥ずかしかった。なんてバカなことをしてしまったんだろうという後悔もあった。「こんなポエムみたいなものを渡して何やってんだ私は」「本当にバカだし恥ずかしい。消えてなくなりたい」という恥と後悔と自己否定でいっぱいだった。この記憶を思い出すたびに恥ずかしくていたたまれない気持ちになっていた。実際、これ以降私は母に自分の気持ちを正直に話したり伝えたりしたことは無い。もちろん父にも無いが。

この「母に否定され拒絶された」ということと「恥ずかしい」という気持ちが、私の他人とのやり取りで何度も再演されているのでしょうとセラピストにも言われた。正直、カウンセリングやEMDRの時も、終わった後にいつも薄っすら恥ずかしい気持ちになっていた。「調子に乗って話し過ぎた」などと思ってしまう。

この記憶はアセスメントの時の記憶リストには書いていなかったが、処理していくことになった。


必死に表現したことを受け入れて欲しかった

処理の前に、肯定的認知と否定的認知、身体の感覚の確認をする。
この記憶を思い出した時の感情は、恥ずかしさと後悔。否定的認知は「私は恥ずかしい人間だ」で、数値は一番高かった。この場面でどういう風に思えたら乗り越えられそうかという肯定的認知は、やはり今回も「私は私のままで大丈夫だ」だった。処理前の数値は一番低かった。とてもそんな風には思えない。身体の感覚は、胸の奥のざわつきと肩に下りてくる寒気のような感覚があった。もう自分が嫌で嫌で仕方なくて、振り払いたいぐらい恥ずかしかったのだった。

ここからEMDRの装置を使って処理を行っていく。
最初の内は恥ずかしい気持ちばかりで、なぜこんなことをしたんだとか母に伝わる訳が無いのにバカなんじゃないのかとか、そんなことしか浮かばなかった。もっとうまくやらないといけなかったのに、と。でも、処理を繰り返すうちに今回も認知がどんどん変わっていった。

私が母に手紙を書いたのは、これが最初で最後だったと思う。でもこの時は、かなり正直な気持ちを書いたのだなと思った。実際に当時の私は本当にしんどい毎日だった。ギリギリだったのだと思う。そして、次の年ぐらいから腹痛の症状に悩まされることになった。恥ずかしい以前に、親にSOSを出したっていい。そして、これまで分かってもらえたことが無い相手(母)に当時の私はよく言語化して伝えようという気持ちになったなと思った。

そのうち、悲しい気持ちがドバっとやってきた。やっぱり受け止めてもらえず否定されて悲しかったのだ。どんどん悲しい気持ちになってきて、止められなくなった。当時の私はこんな悲しさは感じない方がよかったのかもしれないと思った。辛くて力尽きてしまいそうだ。そういう意味では、恥ずかしくて私がいけないんだと思っている方が楽だった。この出来事の後も、何食わぬ顔で1人で呑み込んで生活しないといけないのだから。

今回も大人の私が記憶のイメージに入って子どもの私を助けた。母に言いたいことを言い、子どもの私の気持ちに寄り添った。そして、子どもの私はリソースであるおソノさんにこの手紙を見せた。おソノさんは「ルルちゃんはそう思っていたのね」と手紙を受け取って読んでから言ってくれた。そして、「どんな気持ちなのか聞かせて」と言い、子どもの私は思っていることをおソノさんに話した。このイメージで、初めて「気持ちを受け止めてもらえた」という安心感と救われる思いになり号泣した。

このおソノさんが手紙を読んでくれて、子どもの私が自分の気持ちを話しているイメージを透明のボールに入れて、胸の中に仕舞った。今後は一日一回ボールを取り出して、この光景を眺めることが宿題になった。私の情動を助けてくれる。


私じゃない、母に何かある

引き続き処理を行ううちに「あれ?母おかしくない?」と思い始めた。私も人の親になったけど、さすがに母みたいな対応はしない。私だったら自分の子どもが荒れていて反抗的な時に、こんな手紙を渡して来たら怒るどころか「これってまずそうなサインかも」と思うだろう。なのに頭ごなしに怒って手紙も受け取らないって何なんだ?

ここで、過去に処理した「夜中の夫婦喧嘩が怖くてお祈りしていた私に母が怒鳴った」という記憶の時と同じ気持ちになった。「これって私がどうこうじゃなくないか?母の方に何かあって、こんなことになってるんじゃ?」と。母が母として機能していなかったのではないか。ていうかそうだろ。

この頃の父との関係やワンオペの子育てのキツさで精神的に不安定だったせいもあるだろうし、セラピストの仮説である「母に特性があり、感情を受け止めることができない」という可能性もあるだろう。それにしても、父もASDの疑いが濃厚で、感情を出したり受け止めることをとても嫌がっていた。父と母は似たもの同士だったのか。私は相当きつかっただろう。

どうやってもわかってもらえそうにない母は、また大きな箱に入れて天空の一番上に連れて行き、そこでお母さんの修行をしてもらうことにした。母は消えたりいなくなったりするわけじゃなく、安全な場所で過ごしているという感覚になれるので、私はこのイメージが好きだ。


恥ずかしさ消滅

ここまでの処理で、私の否定的認知「私は恥ずかしい人間だ」がどうなっているのかを確認した。この出来事で自分を恥ずかしいと思う気持ちがすっかり無くなっていた。

いけないことをしたわけではないと思えたこと、とても悲しかったという気持ちが出てきて感じることができたこと、そしておソノさんにイメージの中でこの手紙を受け止めてもらえたという安心感を持つことができた結果だと思う。もう恥ずかしいと思う必要は無くなったのだ。

セラピストと話していて、自分が悪いとか恥ずかしい等と内的な批判家に言ってもらった方が楽だったし、そうやって日常を送れるようにしてきたのだろうと思った。子どもってすごい。生きる力があるし健気だ。とにかく生き延びる一択で、どうにかして辻褄を合わせようとしてきたのだと思った。本当にがんばったんだね、と心から思う。でももうそのがんばりは必要無い。


記録を書く=お焚き上げ

長々と意味不明に見えるイメージや感情の動きを書いているが、私にとってはかなり意味のあることだと思っている。処理をしたことをもう一度自分の中で整理して外在化すると、自分の中がしっかり見えるような感覚になれるからだ。私はこういうことが好きなのだと思う。そして、お焚き上げに近い感じがする。ああスッキリしたね、お空に上っていきなさいというか。あとは、ややこしいことは全部ここに置いていって身軽になるような感覚もある。

次回はまた2週間後。
やはり標準回数の15回では終わりそうにない。


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