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EMDR/13回目

これは子どもの私の感情だと気付けるようになる

ここ最近は穏やかに過ごしているのだが、もちろん感情の波はある。にんげんだもの。という訳で、普通に不安になったり夫にムカついたり仕事でうんざりしたりしながら過ごした。大事なのはそれを「自分の中でまあ大丈夫だなと安心しながら抱えられた」ということだと思う。生きている限りそういう感情は必ずあるけど、それでも自分の中で不安なんだなとかムカつくんだなと抱えていられる。共感して受け止めていると、そのうちその感情は薄くなり消えていく。

ただ、そうではない感情の波もたまにある。この2週間では2回ほどあった。1回目は不安でたまらない気持ち、2回目はヤキモチのような「自分は誰からも見てもらえない、見てほしい」という寂しい気持ちだった。

どちらも現在の出来事のせいで出てきた感情なのだけど、感情の動きが激しくて、最終的に「自分はダメだ」とか「みんなめちゃくちゃにしてやりたい」というところに行きつく。これは子どもの私が感じてきた気持ちだ。そして、この気持ちを抱えていられそうにないと感じる。こういう感情の動きは、自分の中で探ると子どもの私の感情だなと気づくようになった。

そして、思い返すとこういう感情になる出来事は子どもの頃のトラウマになったような出来事の再演になっている。自分でそういう状況になるようにして、また子どもの頃と同じようなことを繰り返して同じ感情を味わっているのだった。これ、ACあるあるだ。自分から「そういうこと」にいつの間にか仕立て上げていく。でも無意識なのでどうにもならない。

ここまで気づくと、私の中にいる5歳の私と小さな弟と大人の私とリソースであるおソノさんがいる部屋に行って、思ったことを話す。私は見てもらいたかったとか、あの子はズルいとか。そのうち涙がドバドバ出てきて大泣きしたりもする(もうこの時点で子どもの私の感情だよなあと納得する)。大人の私もおソノさんもただ話を聞いてくれる。そして、5歳の私を抱きしめる。ついでに弟も抱きしめる。ひとしきり泣いたり気持ちを出したら、いつの間にか気持ちが穏やかになっている。


記憶は遠くなりにけり

EMDRに入る前に、前回の記憶とそれに伴う感情についての確認があった。
あれ?前回何の記憶を処理したっけ?と本気で分からなかった。そうだった、病気の子どものドキュメンタリーを見た記憶だった。感情は特に湧き起こらなかった。

うまく言語化できないが、出来事の記憶が遠くなっている。記憶が無くなるという訳ではなく「ああ、あんなこともあったな」ぐらいになる。
前回より前に処理した記憶たちも、嫌な出来事だったけど遠い。そして、記憶よりもイメージで処理した映像(大人の私が子どもの私を助けているところなど)が浮かんでくる。「記憶がセピア色になる」というのはこういう意味なのかと思った。


弟に対する加害者の自分を癒す

今回は8歳の頃の記憶を処理する。思い出すたびに「ああー」と声が出てしまうぐらい嫌な記憶だ。処理前にはここまで書けなかったと思う。

弟とは5歳近く離れているので、当時は3歳だった。かわいい盛りだ。私はよく弟を連れて私の友達や近所の子達と遊んでいた。私が大人になってからの母の話によると「(私は)面倒見が良くて弟も懐いており、助かっていた」らしいが、当時の私はわがままで乱暴でよく弟をいじめていた、という記憶しかない。それは母にもよく言われていた。

弟は本当に性格が良く優しく、もちろん頑固だったりわんぱくなところもあったのだけど、私や私の友達と遊んでも可愛がられて歓迎されるような子だった。そのまま成長し、幸せな結婚をして暮らしている(もちろん、弟には弟の傷つきがあり地獄があるはずなので、そこまでは私にもわからない)。とにかく私の中では、私は悪い子で弟はいい子ということになっている(それは現実もそうだったのだけど)。

そんな弟をいじめていた。そして結局思春期辺りで喧嘩がひどくなり、嫌われてしまった。当然だ。今は関係は悪くはないけど、遠慮もあって疎遠になっている(でも結婚している弟に姉が頻繁に用もないのに連絡を取るのは私としては気持ちが悪いし、連絡を取ろうと思えば取れるのでこのままで構わない)。ただ、昔の弟に申し訳ないことをしてしまったという罪悪感で時々押しつぶされそうになる。ちなみに、もう母も何も言わないし、弟に責められたことも無い。私の中で勝手に押しつぶされそうになっているだけだけれど。

今回の記憶の時も、8歳の私は弟を連れて住んでいた集合住宅の階段の踊り場で近所の友達と3人で遊んでいた。普通に遊んでいたのだが、何かで私が弟を気に入らなくて突き飛ばした。弟は後ろ向きに階段を落ちていった。運が良かったのだが、なぜか弟は後ろ向きのでんぐり返りの要領でくるくると回転しながら落ちていき、しかも集合住宅の階段は7段ごとに踊り場のあるらせん状のものだったため、次の踊り場のところで弟は無事に着地してケガ一つ無かった。弟が落ちていく時の恐怖で見開いた眼を覚えている。

一番の感情は、とにかく怖かった。弟が死んでしまうのではないか、そうでなくても大けがをさせてしまったと思った。それから後悔と罪悪感と、最後に出てきたのは「お母さんや周りの大人に怒られる」という恐ろしさだった。今の私にとっては、弟の感じた怖さや弟への申し訳なさに気持ちが行ってしまう。なかなかこの場面で私自身の気持ちに寄り添うことができない。


弟のことを過剰に気にかけるのはなぜだ

この記憶を話す時はこれまでで一番動揺し、泣きながら話した。
セラピストに「この時期のルルさんはずっと辛いことが重なっていて、親から受けた八つ当たりのようなものを弟さんに向けていたように見えます。そうやって弱い方に向かっていくものなんです」と言われた。
それじゃあ弟は?一番弱かった弟はどこに向けて発散したらよかったのだろう?それを思うともう気持ちが保てなくなった。

処理を終わった今の段階では、弟は母から溺愛されていたので、そこでケアされていたのかもしれないと思う。
そして、いずれにしても弟は私ではないのだ。弟の気持ちは弟にしかわからない。私が弟にひどいことをしていたということはあっても、弟のことは弟自身が何とかするしかない。弟の問題なのだ。しかも、弟はちゃんと自分で何とかしていて、幸せになっている。私の出る幕はない。

そして、EMDRでの処理が進んでいるうちに見えてきたのは、私は弟と自分の子どもを重ねているということだった。実際に似ているし面影があるのだが、弟に対してこんな風に申し訳なさを感じるようになったのは、子どもが生まれてからだった。弟にも自分の子どもにするようにしてあげればよかったと思うし、自分の子どもには弟を重ねて何となく申し訳ない気持ちになっていた。私は罪滅ぼしをしたかったのかもしれない。今の私の中のリソースに小さな弟がいるのも、弟もケアしたいという気持ちの表れなのかもしれない。

そうやって自覚すると、確かにごっちゃになっている部分が多々あった(もちろん、現実ではなく記憶やイメージの中である)。記憶を処理してトラウマから回復していったら、こういったことも無くなるのだろうか。


私も弟も信頼のできる大人からケアされて欲しかった

毎度おなじみ、処理前の確認。
この記憶の否定的な認知は「私はもうおしまいだ」「私はダメなんだ」になった。数値で表すと最高値の10。肯定的な認知はいろいろ考えた末にやっぱり「私は私でいいんだ」は一番しっくりくるかなと思った。こちらは数値だと0だ。
突き落とした私を、私のままでいいんだよと思えるなどとはとても処理前には思えなかったが、でもこの時の私に言ってあげる言葉としてはこれ以外に思いつかなかった。
身体的な感覚は、激しい動悸と吐き気と胸の奥がギューッと潰されそうな感じ。

そして装置の準備をする間、おソノさんに来てもらった。今回の私はかなり動揺していたけど、おソノさんがいることで「とりあえず今は大丈夫」という気持ちになった。セラピストにはその気持ちを感じていてくださいと言われた。

EMDRの装置を使い、セラピストの誘導で処理を進めていく。セットごとに出てきた認知を言葉にして、セラピストと話したりしながら何度もセットを繰り返す。
弟に謝っていなかったこと、自分の保身ばかりを考えていたことや、そして「誰か助けて」という気持ちだったことも思い出した。自分でやらかしておいて何が助けてだという感じではあるのだが、確かにそう思っていた。

ここで大人の私がこの記憶のイメージに入る。
セラピストに「ルルさんは今はもう母親になっています。母親の気持ちから、8歳のルルさんと弟さんにどんな声掛けをしてあげますか」と言われた(このイメージの中に入る作業の時は、何度もEMDRのセットを繰り返しながら行っている)。

8歳の私に「怖いね、大丈夫だよ」と声を掛ける。8歳の私は泣き出して大人の私にしがみつき「ごめんなさいごめんなさい○○(弟)を助けて」と言った。大人の私は弟のところへ降りて、怖くて呆然としている弟を抱き上げてケガは無いか、異常は無いかを見る。弟にも「怖かったね、大丈夫だよ、抱っこしていようね」と抱きしめる。そして弟を抱いたまま8歳の私のところへ戻り、「○○君は大丈夫。心配ないよ」と話す。8歳の私がホッとしたのがわかった。そして、8歳の私は弟に「ごめんね」と泣きながら謝った。

この作業後も処理は続いたが、この時点で感情が急速に緩んで楽になっていったのがわかった。結局、誰か頼れる大人に私と弟がケアされることが私にとっては必要だったのだろう。大人の私が8歳の私を責めないこともとても救いになった。こんなに罪悪感で押しつぶされそうな子どもを責めて何になるだろう。


当時の私が辛かったことを認めて受け入れる

認知の修復に入っていく。
当時の私はかなり辛い時代を過ごしていた。既に自分の中に批判家がいて「お前は悪い子だ」と常に自己否定を繰り返していたし、チックや腹痛などの身体の症状も出ていた。家の中は相変わらず荒れており父はほとんど帰ってこず、母は不安定だった。土台はグラグラで家もボロボロという感じだ。その中に私は何食わぬ顔をして住んでいた。何なら「豪邸ですよ」という顔をしていた。

ただ、だからといって弱い弟に向かって発散するということは受け入れられない。辛いのはわかる。そうやって攻撃的になる子どもは辛い子どもなのだというのもわかる。でも私の場合はただ私が嫌な奴で悪い子なんじゃないかとずっと思っていた。私の中の批判家が自己否定をする時に、この記憶は格好の材料になっていた。

こうやって葛藤するのも、当時の記憶を思い出して辛くなったり怖くなったりするのも、当時の私が不安定だから起きている。この不安定は誰が原因ですか?とセラピストに聞かれ、「親です」と答えた。そうだ、親だ。

リソースの中の5歳の私は弟と一緒にいるが、おソノさんと大人の私に守られて安定しているので、弟に意地悪をしようなんて欠片も思わない。弟と遊び、面倒を見て楽しく過ごしている。本来の私はこの私ではないのか。信頼できる安定した大人に安心させてもらえたら、子どもは安定して成長していくものなのだろう。

ここでようやく「当時の私は辛かった、やったことはいけないことだったけど、そうする理由があった」と納得できた。そして、もう一度大人の私が8歳の私に「いろいろあってとても辛い気持ちになっているんだね。やったことはいけないことだったけど、こんなことをしてしまうぐらいに辛いんだね」と声を掛けた。8歳の私は号泣した。本当にごめんなさい(ちなみに現実の私はこの後も弟に意地悪をし続けるわけだが)。


処理に慣れてきている?

処理の後半からはかなり楽になっていた。終わった後は見事なまでの解放感で、処理前にこの記憶を思い出して「あああああ」と頭を抱えたい気持ちになっていたのが嘘のようだった。嫌な記憶のままではあるが、イメージで大人の私が入ることで気持ちが救われて、感情が解放された感覚がある。

今回はかかった時間もいつもより短かった。いつもは2時間かかるが、今回は1時間半だった。記憶の辛さや強烈さに比べるとあっけないぐらいだった。セラピストの経験からすると「辛く大変な人の方が時間がかかる」そうだ。当然と言えば当然だが。

「だんだんEMDRの処理に慣れてきているのかもしれないですね」とも言われた。確かに、大人の私が介入してイメージの中で過去の私を助けるというのにも慣れてきたし、それで癒されるというのも経験的に理解してきている。ただ、やはり毎回終わった後の感覚は微妙に違う。どれも最終的には処理されているなと感じるが、じわじわと来るものもあれば今回のようにパッと変わったように感じるものもある。

かなり気の重かった記憶の処理が終わったことで、気持ちがとても軽くなった。あとは処理する記憶は何が残っていたっけ?
標準治療回数は15回だと言われているけれど、あと2回で終わりそうにない。順番待ちをしている人には申し訳ないけど、じっくり行きたいと思う。

また2週間後。

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