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EMDR/9回目

不安と怒りに圧倒され「再演」を繰り返していることに気づく

前回からのこの2週間は、結構きつい期間だった。不安と怒りに苛まれ、自分の中で処理はしていたものの、どうにもならないぐらいに圧倒されていた。これは小さい頃の出来事の「再演」だし、これまでに何度も繰り返している。

私にはフラッシュバックも感情に圧倒されることも普通にあって、これまでは気づかないか気づかないフリをしてきただけだったのだと気付いた。最初の頃は「症状ほとんどないし軽いかも~」と思っていたのに。

きっかけは、前回のEMDRのセッション中にセラピストに言われた言葉だった。詳細は書かないが、本題(私のトラウマや感情)とは関係の無い部分に関する発言だったのだが、私をとても不安にさせた。その時も「不安になる」ということは話したのだが、セッションが終わり帰宅してから一気に感情に圧倒された。

不安でたまらない気持ちから、怒りに変わりどうにもならなくなった。胸の奥が渦巻く感覚と、お腹の奥が燃えるような感覚があった。逃さず抑圧せずにちゃんと感じるようにしたのは前進だ。それにしてもこんなに怒りに圧倒されることはこれまでに無かった。それだけ抑圧せずに感じられるようになったということかもしれない。とにかく「私は私でいいじゃんか!私のことを誰も否定するな、邪魔するな!」と怒っている感じだ。

セラピストは「トラウマ持ちの相手に対して少しうかつだったのでは」とは思うが、大したことは言っていない。しかも私は「そんなに感情に圧倒なんてされませんよ」というフリを常にしていた。それに、言われた当初はここまでの感情を感じることは無かった。そう、いつも怒りを感じるのは時間差でやってくるのだ。咄嗟には何も出てこない。後になってから感じる。

それにしても怒りが収まらなくてきつかった。電話して文句を言おうか、もうEMDRは辞めてしまおうか、別のセラピストを探そうかと思った位だった。そして、仮に文句を言って向こうに謝られたとしても、それで全然気が済みそうにないことも自分でわかっていた。もうここまでくるとめちゃくちゃだ。

この怒りを発散させるには、クッションを殴る程度では意味が無い感じだった。人まで殺しはしないけど、もっと破壊的な行為で発散したい。考えた結果「夜中の学校に忍び込み、校舎の窓ガラスを全部割って回る」というのが一番いい感じだった。ぜひやりたい。昔のヤンキーか。イメージの中で何度も割りまくる。

怒り過ぎて涙が出てくるようなこんな気持ちは、もちろん初めてではない。最初にも書いたけど、これは「再演」だ。私は小さい頃から、親が深く考えずに言った言葉に傷つき(両親は無神経な人たちではある)、時間差で怒り狂って親を問い詰めるということを繰り返していた。親には「被害妄想が強い」と言われていた。

成長してからも、電話などで何気なく言われた言葉で後から怒りに変わり、電話し直して問い詰めたりもしていた。そして「そんなつもりじゃなかったんだけど。ごめんごめん」と言われても全く気が済まない。自分でもどうして欲しいのか、どうしたらいいのかわからない。今回と全く同じ。

友人などにはこういった感情にはならない。親や、私が親と同等とみなしたような近しい相手のみだ。ちなみに夫にはこんな風にならない。セラピストは親と同等とみなした対象になっているということなのだなと気が付いて少し驚いた。

私が怒りに圧倒される言葉というのは、パターンが決まっていた。「不安にさせられる」「人と比べられる」「自分を否定されているように感じて、何かしないといけないのではと思わされる」といういずれかのパターンに当てはまると、どうにもならなくなる。
不安なパーツや嫉妬を感じるパーツが私自身を圧倒しないように、防衛パーツが怒りで対処しているということかもしれない。


時間差での怒りは解離

上に書いたことを、洗いざらいセラピストに話した。
まず最初に謝られた。怒りもすっかり無くなった後なので、逆に申し訳ない気持ちになった。そして、セラピストは私が感情に圧倒されて怒りで混乱していたことに多少驚いていた。そりゃそうだ、そんな素振りはこれまでに全く無かったのだから。

怒りを時間差で感じるというのは、解離しているということなのだそうだ。パーツの概念で話してくれたのだが、こんな感じ。
・咄嗟には感情を感じないようにするパーツが邪魔をしている
・相手に言われた内容を内的な批判家のパーツに自己否定のダシに使われる
・不安や嫉妬や自己否定のパーツがその言葉の内容によって出てくる
・不安や嫉妬や自己否定に圧倒されないように、怒りのパーツが出てくる

このパターンを再演しているのは、小さい頃にこういった防衛のパターンを身につけてしまったからだそうだ。トラウマが回復するとともに再演が無くなっていくでしょうとのこと。

怒りがびっくりするぐらい大きいのは、感情にアクセスできるようになってきているからではないかと言われた。悪いことではないようだ。ただ、怒りを感じるのは本当に疲れる。でも無いことにするのはダメなので、怒りの発散方法をいくつか持っていた方がいいですねという話になった。スポーツが得意ならいいのだけど…これは考えていきたい。

そして、こういったことは回復の過程でよくあることなのだそうだ。これまでに隠していたものがごそっと出てきたり、その部分にアクセスできるようになったことで顕わになってくる。だから、顕わになった時はしんどいし落ちたように感じるけど、またそこから回復に進む。そうそう、どんなことでも回復は螺旋階段なのだった。

ちなみに、私が他人にこういうことを(例え相手が心理職だとしても)全て伝えることはほぼ無い。向き合って正直に自分の気持ちを話すとしても、相手にとってネガティブな摩擦を生みそうなことはいつも言ってこなかった(思えば、前まで受けていたカウンセラーにも言わなかった。というか、そういった感情のやり取りが発生しないような関係性で終わったと思う。それがいいのか悪いのかはわからない)。それだったら回避して無かったことにする方が楽だからだ。という訳で、今回は自分自身の変化と成長を感じた。


1歳の時の記憶をイメージで処理する

今回のEMDRは、前回の終わりに話した、1歳の時の出来事だ。もちろん記憶は無く、母が話してくれた記憶のみである。
「瞼の部分に大きな脂肪の塊ができたので、眼科で麻酔無しで切開した」という出来事だ。母は嫌がって泣いている私を見て、不憫で泣いてしまったと話していた。

力で押さえつけらえて身動きを取れなくされる、というのがイメージするだけでしんどく、息苦しくなる。私の予期不安と同じシチュエーションだからだと思う。この出来事のせいだけではないと思うが(メロンを無理やり食べさせられたとか、ポップコーンを詰まらせて死にかけたとかも状況は似ているし)、何かしらの影響があるのではないかと感じる。

そして、関連は分からないが、私は小学生ぐらいまでは「動けなくさせられる医療行為」をものすごく嫌がり、いつも暴れて泣いていた。予防接種も耳鼻科も歯医者も、治療の痛みも嫌だったが、仰向けにさせられたり押さえつけられて動けないのもすごく怖かった。おかげで親にもいつも怒られて「我慢のできない、わがままな子」と言われていた。でも怖かったんだよ。

記憶は無いので、イメージをして処理を行う。
冷たい手術室のような場所で、ベッドに1歳の私が仰向けになり、何人もの大人に押さえつけられている。母は1メートルぐらい離れたところで、目に涙を浮かべて立っている。私は泣いて暴れようとするが、動けない。こんなイメージが浮かんだ。

イメージから感じる感情は「怖い、逃げたい」で、身体の反応は動悸と喉の詰まり、息苦しさ、足の付け根あたりがザワザワする感覚(蹴りたいのに蹴れないような感覚)があった。

否定的な認知は「私は無力で何もできない」。
肯定的な認知はなかなか浮かばず、でも無力な自分ではないと思いたいので「私には力がある」だと感じた。

1歳の時の記憶なので、眼球運動は行わず両側刺激のみで処理を行っていく。イメージだけではあるけれど、何セットも繰り返すうちにいろいろな思いやイメージが浮かぶ。「何をされるかわからないしいつ終わるかもわからない、自分がどうなるかわからない」という感覚があった。そりゃあ1歳だし、説明も時間の感覚も何も無く押さえつけられたのだから当然だ。

今の私も、美容院のシャンプーやマッサージで仰向けになる時などで怖さと息苦しさを感じるのだけど、それは「何をされるかわからないしいつ終わるかもわからない、自分がどうなるかわからない」という恐怖があるのだと気付いた。でもそんなことは無い。シャンプーをされるのであって、10分もすれば終わるし、たださっぱりするだけで死んだりはしない。例えば「すみませんが止めてもらえますか」と言えば、中断できる。でもそう思えていないのだ。身体がそう思えていない。怖い子どものままなのかもしれない。


肯定的認知で行き詰る

処理を進めていく中で、大人の私が1歳の私のそばにいて頭をなでてあげたり、怖いよねと声を掛けたりした。そして、何セットも繰り返すうちにだんだんイメージが変わってきた。

私の目にできたのは脂肪の塊で、おそらく小さいものだと針のようなものでプツンと軽く刺してポロっと取れるようなものだと思う。ただ、かなり大きかった。母は眼科に連れて行き「取った方がいい」ということになり、診察台で軽く切開して取ったのだろう。赤ん坊だし泣くし暴れるしで大変だったかもしれないが、手術ではないので時間はそんなにかからなかったはずだ。きっと終わってから「痛かったねえ、よく我慢したねえ」と看護師さんやお医者さんに言われただろう。小児科でもよく見かける風景だ。

これまでのイメージは、薄暗く冷たい手術室での人体実験という感じだった。それだけ怖かったからかもしれない。それが、だんだん普通の眼科の明るい処置室と、お医者さんと看護師さん数人というイメージに変わっていった。もちろん怖くて嫌だったのには変わりはない。でも、とんでもなく恐ろしいことをされたというイメージが無くなっていった。嫌だったけど、この出来事のすべては結局は「私のため」だったんだよなあという気持ちになった。

苦痛や怖さがかなり軽くなったが、肯定的認知「私には力がある」というのはほとんど感じられない。1歳の子どもが医療処置を受ける時に、自分に力があると信じることができるようになるのは厳しい。

それではどんな肯定的認知だと信じられるのだろうか。セラピストと話をしながら、そういえばさっき「全部私のためなんだな」と思ったことに気づいた。あの場の全員が私が良くなるために最善を尽くしてくれていた。私は大事にされていた。「私は大事な存在だ」だったら信じられる。

そうなると、自分の中のイメージや感覚がすっかり変わった。恐ろしい思い出ではなく、痛くて怖かっただろうけど大事にされていたし、治ってよかったねという感覚だ。あの時の周りの大人たちに大事にされていたと実感するのは幸せなことだ。

トラウマ治療ではイメージを使う時が多いが、イメージは重要な要素らしい。脳が満足してくれる感覚がするので、とてもよくわかる。


私のリソースの現状

最後に、セラピストに私のリソースは今どんな感じかを聞かれた。オソノさんは、子どもの私も癒してくれるが、今の私の話し相手にもなってくれている。だいたいは今の私とオソノさんと5歳の私と赤ん坊の弟の4人でいる。5歳の私はとても元気で、私やオソノさんの周りをぴょんぴょんしている。弟に意地悪もしない。

実は、結構前に自分の中の地下の会議室に置いてきた小さい私のことが気になっている。あの子も連れて帰れないだろうか。今度セラピストに聞いてみたいと思う。

また2週間後。


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