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EMDR/12回目

マッサージが怖くなくなった

最近、股関節の神経痛が出てきてしまい、整形外科とそこでのリハビリを受けている。リハビリの理学療法士さんは女性で、朴訥として穏やかで一緒にいるとなぜか気持ちが暖かくなる人だ。リハビリ自体は毎回20分程度なのだが、そのたびにホンワカした気分になれる。もしかしたらこれが協働調整だったりする…?と感じている。さらに、整体に通い始めた。女性の整体師さんが力を使わずに施術してくれるところだ。毎回「ゴッドハンドだ…」と震えるぐらい良い。そこでも穏やかな空気が流れていて、毎回いい気分になれる。

私はこれまでこういった施術とか人に自分の身体をケアしてもらう時、先回りして「こうやってここを持ち上げた方がいいのかな」などと気を張っていた。余計な力が入りまくっていただろうし、気を遣いすぎて余計に疲れたりしていた。この2人の方たちにはそれを全くしていない。先日「そうか、身体を任せるというのはこういうことか」とようやくわかった。なんてリラックスできるんだろうと感動してしまった。こういう自分がホッとできる小さな繋がりをいくつも持っておけるようになりたい。

この話を今回セラピストにしたら「前にルルさんが話していましたが、うつ伏せが怖いとか、ずっと仰向けになっているのが怖いという感覚は無いですか?」と訊かれた。あ、すっかり忘れていた。そうだった。それでマッサージなどを受けるのを躊躇していたのだった。全く大丈夫だったと答えるとセラピストはとても喜んでいた。

身体の痛みのために受けたのだけど、自分の回復とうまく嚙み合ったのかもしれない。あるいは、回復してきたからこそ身体の方が痛みを出せたのかもしれない。この辺は本当に不思議な領域なので、そういうこともあるだろうと思うことにしている。


記憶が急に鮮やかに繰り返される

今回処理した記憶は、私の身体や病気に関する怖さに関係している。
私は病気が怖い。もちろん事故もケガも災害も怖いが、自分の身体に何か違和感や痛みがあると不安に吞み込まれてしまう。メディアなどで病気のことや闘病している人が出てくると、自分の事のように思えてしまい怖くなる。同じ症状が自分にも出てきたような感覚になることがよくあった。

そして、(ここはいい面だとは思うのだが)何かしら不安を感じると、すぐに病院へ行って検査してもらう。毎回どこに関しても「異常なし」。ホッとしたのもつかの間、また別の部分が気になり怖くなる。この繰り返し。
この不安も波があり、特に何も感じない日々と不安でたまらなくなる日々が交互にやってくる。他の人もそんなものなのかなと思ってきた。でもあまりにも全ての病気を自分の方に寄せすぎではないのか。

私は幸運なことに、大病や大きな手術は経験したことが無い。ただ、いくつか病気もしたし、その中には難病指定されている治癒しないものもある(放置すれば命に関わるが、投薬でコントロールできる)。出産も24時間かかる難産だった。不思議なことに、そういった経験の中ではとても冷静に対処してきた。「自分が病気かもしれない」と不安に襲われる気持ちと、実際の行動のアンバランスさが目立つ。

ここのところ、7歳の時のある記憶が頭の中で鮮やかに繰り返されることに気づいた。忘れていた記憶ではないのだが、あまりにも鮮やかで臨場感を持って繰り返し頭の中に流れる。そして、おそらくその記憶は私が自分の身体に対して持つ不安と繋がっているのではないかと感じるようになっていた。

その記憶は、母に言われて一緒にドキュメンタリー番組を見たというものだった。私と同い年ぐらいの、白血病と闘っている女の子2人が出てくる。最後、1人の女の子は家に帰れるぐらい回復するのだけど、もう1人の女の子は亡くなってしまう。その過程を治療の様子なども含めて淡々と伝える番組だった。

母はおそらく番組表でこの番組を知ったのだと思う。時間を合わせて私を座らせて「一緒に見るよ」と言ってきた記憶がある。そして「辛いね」「かわいそうに」「ルルは健康で恵まれていて幸せね」「感謝しないとね」などと言いながら見ていた。最後、2人出ていた女の子が1人だけしか映らなくなって「あの子は?」と訊いたら「死んじゃったのよ」と母が答えた。

母は「かわいそうな子達」を私に見せて、自分がどんなに恵まれていて幸せなのかを私に実感して欲しかったのだろうと思う。母にはこういうところがあった。病気や貧困や飢えで苦しむ子どもたちを引き合いに出して「それに比べてルルは恵まれている、幸せだ」「それなのにわがままだ」と事ある毎に言っていた。弟が病弱だったため、弟のことも引き合いに出していた。そして、その言葉は私に罪悪感と「自分はダメなんだ」という認知を植え付けたように思う。

7歳の私にはその番組はただただ怖いだけだった。治療の痛みに泣き叫ぶ女の子、「おんも行きたいなあ」と窓を見ながらつぶやく女の子、どんどん弱っていって最後にはいなくなってしまった女の子。その画面に取り込まれて「自分もこうなってしまったらどうしよう、怖い、痛いのは嫌だし死にたくない」という気持ちでいっぱいだった。

セラピストによれば、母の言動は間接暗示(だったっけ)のような形を取っており、私へのコントロールになっているとのことだった。母はとても巧みなのだそうだ。
「あなたはこのかわいそうな子達よりも幸せで恵まれているんだから、いい子にしなさい、頑張りなさい、感謝しなさい。そうしないあなたはダメなんだ」というメッセージを発している、と。母のコントロールは過去のいろんな場面で感じられるようになってきており、とても不快だと思うようになった。

この記憶を処理していく。


母に決定的に欠けていたもの

この記憶を思い出して感じる感情は恐怖と罪悪感だった。罪悪感というのは「こんなに大変で頑張っている子達に比べて、私は何てダメな人間なんだろう」という感じ。まるっきり母の言葉のようだ。自分が何の問題もないということに後ろめたさを感じる。恐怖には「死や痛みを見てしまって単純に恐ろしい」というのと「自分もああなってしまったらどうしよう」という気持ちが混ざっている。

身体的な反応は、喉の詰まり(日常では感じなくなっていたが、やっぱり出てきた)、胸の奥と背中がゾワゾワとする感じ、胸の奥が重たい感じ。

この記憶に関する否定的な認知は「私はダメなんだ」で、数値もかなり高い。「ダメなんだ」というのは、病気に関して「私もこうなるかもしれない、怖い」というのと「この子達に比べて恵まれているのにいい子じゃない私はダメなんだ」という意味が含まれる。

ではどういう認知ならこの記憶の中の私が安心できるかという肯定的な認知は「私は私のままでいいんだ、大丈夫」になった。また今回も「私は私のままでいい」が出てきた。いつもこれが出てくる。私は子どもの頃からずっと「自分はこのままの自分でいい」と思いたかったのだ、きっと。セラピストにそう言うと「ずっと親から存在否定のような言動をされてきたから、違うんだって言いたいのでしょうね」と言われた。心からの願望であるにも関わらず、この認知はとても低い。

毎度おなじみ、EMDRの装置を付けて、眼球運動と両側刺激を何セットも繰り返す。1セット終わるたびに出てきた認知や見えたものをセラピストと話していく。

当時の私はおぼろげだが「怖い」と横にいた母に言っていたように思う。母の反応は「怖くなんかない」「どうして怖いのよ?あんたは今病気じゃないし恵まれている」というものだった。親の喧嘩に関しても同じ反応で、こちらの怖い気持ちを認めて「怖いね」と言ってくれたことは無い。つまり、気持ちに寄り添ってもらったり共感してもらったことが無い。私としても、母に話したところで気持ちが伝わるとはとても思えない。

母に私の話をしても、いつの間にか母自身の話になってしまう。母も、母自身の気持ちを受け止めることができていなかったのだろう。きっとそんなことを自覚したことも無かったはずだ。

セラピストに「お母さんには共感するとか気持ちを受け止めるということが欠けているように思います」と言われ、確かにそうだろうなと思った。特性なのか成育環境なのかはわからないけれど。

父も自他の感情を認めたり受け止めたりすることができない人なので、私は相当しんどかっただろうなと思う。まあ、人の気持ちに寄り添えるのなら、あんなに不安定な家庭環境にはしないだろうと思うので当然といえば当然なのだが。


私は悪い子=きっと病気になってしまう

このドキュメンタリー番組は、私の中にかなり根深く残っている。病気になることや痛みの恐ろしさ、いつかこうなるのではないかという不安が強烈に存在している。そして、ドキュメンタリー番組の中の女の子たちと自分の境界が無くなっていることに気づいた。テレビの中の出来事だとは思えていない。今までずっとそうだったのだけど、闘病で苦しむ人に対して「辛いだろう」という前に「私もそうなったらどうしよう、もうなっているかも」と感じてしまう。そしてそんな自分本位な自分に罪悪感を感じる。

EMDRのセットを繰り返すうちに「私は悪い子だし恵まれているから、私はきっと病気になるだろう」という気持ちが出てきた。このドキュメンタリー番組にどんどん浸食されていくような感覚がした。あの子達は自分なのではないか、次は自分の番なのではないか、いうカオスな感覚だった。

当然のことながら、母の狙いは全く的外れなものとなって、私に怖さとか自分の不安定さに対する不安な気持ちを残しただけになった。


怖さを認めてもらうこと

ここで、満を持して大人の私が当時の記憶に入る。待ってました。もう慣れたもので、セラピストの誘導のもとで子どもの私に「怖いよね」と言ってあげる。すると子どもの私は、大人の私にしがみついた。見たくない、怖いと目をつぶっている。そりゃあ怖いよね。

母には大人の私から「この番組は怖いだけだから見たくないんだけど」と言ってやったが、イメージの中でも母には全く伝わらない。

子どもの私を抱きしめながら「怖いよね、もう見なくていいよ。大丈夫、そのままのルルちゃんでいいんだよ。わがままなせいで病気になったりしないよ。今の私の年まで、こんな辛い病気にはかからずに元気でいるよ」と話しかけた。まあいろいろと身体の症状は出ているが、命に関わるようなものではないので元気なのは本当だ。

怖さを認めて受け止めてもらうと、とても安心する。怖いんだ、怖くていいんだ、わがままではないのだと思えるからだ。

そして、「こんな怖い思いをしているのは誰のせいなのか?」私ではなく母がこんな番組を見せたせい、「今の私だったら何ができる?」そもそもこんな番組は見ないと言って立ち去るか消すことができるし、無理に見せられてしんどい思いはしないで済む、ということを確認した。今の私には力があり、安全なのだという確認だ。


土台が不安定なので感じ方も歪む

何セットも繰り返していくうちに、怖かったけど(大人の私に認めてもらうことで)安心した感覚と、この番組に取り込まれることなく消すことができる、これはただのテレビ番組なんだという感覚が強いものになっていった。そして「私は大丈夫だろう」「この時の私はこのままでいいし、何もやらないといけないことは無かった」「実際に病気や事故に遭ったこともあったけど、そのたびにちゃんと向き合って対処できてきた」ということが次々に出てきた。

大人の私は子どもの私をテレビの前から連れ出して、一緒に公園でブランコに乗ろう。それから一緒にシャボン玉をする。あの番組が終わる頃に家に帰る。お母さんは気持ちを分かってくれないけれど、それは今後もしんどいだろうけど、でも子どもの私が悪いのではない。いつでも大人の私が駆けつけて寄り添ってあげる。おソノさんもいるし、私の中に安心な部屋もある(いつの間にかリソースとして出来ていた。大きな気持ちのいいソファがあり、小さな弟と5歳の私とおソノさんと大人の私でいつも過ごしている)。

この記憶と同じような経験をしても、私のような感じ方をせず心の傷にならない子もいるし、これは私の生まれ持った感じ方なのだろうかとセラピストに訊いたら「ルルさんはそもそもその時期はずっと辛いことばかりあって、自分自身の土台が不安定でしたよね。そこにこういった出来事があり、お母さんに感情を受け止めてもらえなかったり恐怖を感じたのだから、傷になって当然だと思いますよ」と言われた。そうだった。あの時期は本当にきつかった。

この記憶を思い出すと、自己否定や罪悪感に繋がる感覚は無くなっていた。否定的な認知は0になった。病気は怖いけれど、私はあの子達じゃないし、恵まれているとか関係が無い。逆に肯定的な認知は高くなった。

何となくだけど、あの番組の世界の中に入ってしまっていたような感じが無くなり、番組の画面が遠くなった。本来のテレビの中の映像になったような感じ。そして、テレビを見ている私の横には大人の私がいて、見なくていいよと抱きしめているイメージが出てくる。

当時の感情を感じて受け止めること、安心を感じることと、あの状況がどんなものであったかを自分なりに理解すること、これが私にとって大事なのだろうと思う。それから、過去の自分に思いやりを持って「辛かったね」と言ってあげることも。

また2週間後。






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