見出し画像

EMDR/4回目

新たな悲しみ発生

前回の治療から今回までの間のことを少し書く。
「自分のことをわかってほしいけど、理想の保護者のようにわかってくれる人は初めからいない」という悲しみと喪失感でしばらく泣いていたことは、前回の治療記録に書いた。

この悲しみは現時点ではとても静かになっている。昇華してしまったのか、それともまたぶり返してしくしく泣く時が来るのかはわからない。

そして、新たな悲しみ発生である。
私は弟に対して意地悪だった。両親には弟に優しくないことでいつも怒られていたし、弟はとても優しい子なのだけど思春期辺りから私のことを嫌い始めた(当然の反応だ)。
私はいつも弟に対して罪悪感があり、私が仲良くなれていたかもしれない関係をぶち壊したのだと思ってきた。ちなみに今は必要な時以外ほとんど連絡を取らないが、話す時は友好的ではある。これ以上は怖くて距離を縮められない。まあ異性のきょうだいだし、両親に何かあった時には協力できる程度の関係性はあるのでいいのかも知れない。

でも、私は弟に優しくしたかったし、もっと仲良くしたかった。小さい頃からいつもそう思っていた。なのにできなかった。
「弟と仲良くしたかったのにできなかった。あんなにかわいい弟だったのに。もっと優しくしたかった。もう子どもの頃は戻ってこないし、そうしたくても絶対にできない」ということが実感としてわかって、ものすごく悲しく喪失感に襲われている。書いていても涙が出てくる。
これもインナーチャイルドの悲しみなのだと思う。

「だったら優しくしてやればよかったじゃん。自分で蒔いた種だろ」というのがこれまでの私の考えだったのだが(批判家にこてんぱんにされていた)、どうもそうじゃないかもしれないと思い始めた。これは次に書く。



前回作ったリソースをフル活用

前回の治療で、胸の中に透明なボールを入れた。その中には、代理の親として「魔女の宅急便」のオソノさんと旦那さんのパン屋さんがいて、子どもの私と弟は一緒に暮らしている。このボールは一日一回取り出して眺めてくださいと言われていた。

私はただ眺めるだけではなくて、ボールの中に入って、子どもの頃の傷ついた記憶を思い出すと「本当はどうしてほしかったのか、どうしたかったのか」をオソノさんとパン屋さんにやってもらっている。
これが効果てきめんで、毎回「あーこうやって欲しかったんだ。こうしてもらえると私は満たされるんだ」と泣いてしまう。しかもそれはすごく高い要求などではなく、親として当たり前の態度ばかりだった。

そして、私が弟に優しく意地悪をしないようにするにはどんな感じがいいのかなとイメージした日があった。
お母さんのオソノさんとパン屋さんで、私と弟を同じぐらい大事にしてくれたり抱きしめてくれたりする。オソノさんと2人で甘える時間を作ってもらって、その間小さな弟はパン屋さんが見ている。
これをやってもらったら、すごく満たされた。弟に意地悪する自分の姿が浮かばない。こうして欲しかったのかという安心感があり、また泣いた。
当時の私には、そうしてしまうような何かがあっただけだったのだと思う。それは結局、不安定で不適切な親ということだったのだけど。

この話をセラピストにすると「すごい、それはセルフセラピーしているということですよ」と言われた。そうだったのか。
これからも何度でも傷ついた子どもの私を救うために、オソノさんたちには活躍してもらわないといけない。



MRIを受けることができた話

私には予期不安があり、狭かったり拘束されている状態で「ここからは逃げたくても逃げられない」と感じられるような状況が怖い。
主な怖いものは、美容院のシャンプーやうつ伏せのマッサージ、歯医者の歯型を取る時、そしてMRIである。
ちなみにどれも「逃げたくても逃げられない」訳ではない。ちょっとやめます、と言えば解放してもらえるだろうけど、それをするのも怖いのだ。

そんな中、最近足のしびれを感じるようになった。症状的には脳ではない感じだろうとは思ったものの、放置するのも不安なので一度ちゃんと検査はしておきたい。考えてみれば、脳を診てもらったことは一度も無い。いいタイミングではある。
でもMRIは怖い…と思っていたら、オープンMRIなるものがあることを知った。あんな狭い場所で爆音を聞くなんて、やはり受けられない人が多くいるのは当然だろう。狭い空間に入るのではなく、頭に電極を巻き付けて少しだけ機械が覆いかぶさる形になっていた。

これならいけるかもしれないと思い、早速脳神経外科に行って検査を受けた。迷ったのだが、手元にある頓服は飲まなかった。なんとなく。
検査が始まると、やはりすぐ上にかぶさってきた機械で「うっ」となった。でもそこで「安全な場所」に入って、私の中の青ちゃんと一緒にシャボン玉をするイメージをした。するとだんだん足元からゾワゾワときて冷や汗が出そうになる怖さが薄くなっていった。

ああ、私は大丈夫だと安全な場所から思ったら、急に涙が止まらなくなった。という訳で、検査の最初の10分間ぐらいはずっと涙がドバドバ出ていた。マスクをしていて助かった。

検査結果は全く異常なしであった。
心配だった脳と腰と血管には何も問題ないことがわかってホッとした上に、怖いことを安全なイメージを使うことで克服できた(ガチのMRIではないけれど)ので、ホクホクな帰り道となった。



ほぼマインドコントロール状態

さて、EMDR治療に入る前のカウンセリングで、セラピストに上に書いたことを全部話した後に、こちらの本についての感想と質問をした。

まずはフラッシュバックについての質問。
私が想像していた、気を失ったりするようなそんな反応はほとんど無いとのことだった。あまりにひどい記憶だと圧倒されてしまう場合もあるが、よくあるフラッシュバックは「昔の嫌な記憶を思い出して、その時の感情が出てきちゃった」というようなものらしい。
ということは、やっぱり私もフラッシュバックはよく経験しているということになる。
なるほど。まあそうですよね。

次に「内向きの批判家」について。私のことを責めて否定する批判家の言葉は、両親が昔私にかけた言葉そのままだったことを話し、どんなことを言われたのかを書き出したものを見せた。

例えば、EMDR治療の時にイメージの世界に入るが、それがスムーズでしたねと治療の初回でセラピストに言われた時、私は「でもそれって自己暗示にかかりやすいからかも」と思った。
自己暗示にかかりやすいって、いつどこでそんなことになってたんだっけ?と思ったら、小さい頃から母に繰り返し言われてきたのだった。
腹痛がひどい時や調子が悪い時に、特によく言われていた記憶がある。「そんな風に具合が悪くなるのは、自己暗示にかかりやすいせいだ」と。
何の根拠も無かったと思う。一体何なんだと今書いていて腹が立つ。でも、これを私は自分の中に取り込んで、ずっと自分に対して同じことを言ってきたのだった。

こんな話をしていると、セラピストに「これだけ手を替え品を替え『お前はダメだ』と間接的なメッセージを浴び続けて、ある意味お母さんからマインドコントロールされているような状態になっているんですよね」と言われた。

幼少期に不安定な状態になっている私に、親から何度も「お前はダメだ」という言葉をかけられた上に、母が「私こそが正しいのだ」ということも同時に私へ繰り返し言ってきた(母はよく自分がいかに正しくいい人間かを話していた)。
私の中には「母が正しく、私はダメなやつだ」という認知が植え付けられている。
セラピストから、このマインドコントロールをなくしていきましょうね、と言われた。

マインドコントロールなどと言われると「いやまさかそんな大袈裟な」と思うが、母の言葉を全て間に受けて自分を否定している私が実際にいるわけなので、まあそうだよなと抵抗するのをやめた。



比較されてないがしろにされることへの強い怒り

母からの言葉に関する話で、私は母がよく弟や近所の友達の誰かと私を比べることがあって、とても嫌だったことも話した。
正確には、母は比べるような言葉は言わない。弟や私の友達がいかにいい子でちゃんとしているかを私に話すのだ。私に無いものばかりを褒めるので、私が傷ついて母に「どうせ私は」と言うと、母は決まって「別に比べたわけじゃない。被害妄想が強い」と言っていた(そういう訳で、私は自分を被害妄想が強い人間だと思ってきた)。

「だから比べてる訳じゃないんですよね、私が勝手にそう受け取っちゃって」と話すと、セラピストに「それは二重の意味でルルさんを傷つけています」と言われた。は?何ですと?

そもそも、そうやって私にないものを持っていることで私以外の誰かを褒める言葉を私に聞かせるというのは、間接的に「お前はダメだ」というメッセージを伝えているのと変わらない。
そしてその言葉に私が傷つくと「被害妄想が強い」と私をさらに「お前はダメだ」と言っている。それは傷ついて当たり前だと。
お母さんはとても巧みにメッセージを伝えているけど、わざとなんでしょうかね…とセラピストも首を傾げていたが、わからない。

そうだったのか…確かに私は自分の子どもにそんな風にしたことは一度も無いし、しようとも思わない。あり得ない。
私の「代理親」のイメージのオソノさんも、絶対にやらないだろう。

今も私は、比較されたと感じたり、自分だけがないがしろにされたと感じた時には、とても動揺して悲しくなり、最後には強い怒りになる。
怒りの段階になると「みんな死んでしまえ、世界が破壊されてしまえ」という無差別爆弾のような気持ちになる。比較対象の子や母にピンポイントでの怒りが向かわない。自分が「悪い子」だと思い込んできたので向けることができないのだろう。でも怒りや悲しみはあるので「それなら世界全体を破壊してしまえ」みたいになるのだと思う。

よく母に言われていたのが、弟は母に似ていていい子でかわいいし気持ちがわかるけど、私はわがままだったりだらしのないところが父にそっくりだという言葉だった。ひどく怒られた時は「離婚したらお父さんについていきなさい、連れて行かない」と言われていた。
小さい頃の私は「離婚」は「お父さんとお母さんが二度と一緒に暮らさなくなること」ということは理解していた(母がそう説明したので)。そして、日常的にひどい喧嘩をしていた父に似ているということがどういう意味なのかも理解していた。なので、ひどく傷ついていた。
でも、自分が悪い子だからそうなんだろうと思っていた。



衝撃の大転換

今回はこの母の言葉に対する記憶やそれに対する認知を処理していきましょうということになった。
「弟は母に似ていて気持ちがわかるけど、私は父に似ている、離婚したら連れて行かない」と言われた時の記憶だ。割と日常的に言われていたけれど、最初に言われたのはおそらく5〜6歳ぐらいだったと思う。

今回はターゲットが決まっていたので、応接室には寄らなかった。そして、応接室ではなく会議室らしい。聞き間違えていた。言葉の違いに何か意味があるかはわからないけれど。

この記憶の否定的な認知は「私は悪い子だから仕方ない」というので、最大値の10だった。
ここでどう思えたらいいのかという肯定的な認知は、セラピストと話した結果「私はこのままでいい」だった。最小値の0。
もう「傷ついたのは自分が悪いからだ」というところでガチガチになっている。苦しい。

身体反応は、動悸と呼吸の浅さ、喉の奥の詰まった感じ、胸の奥が燃える感じだ。前回と同じ。

処理が始まり、1セット終わるごとに思い浮かんだことや感情を話していく。
最初は母の睨みつける目だったり、喧嘩の時に父に気を遣ってついて行ったりしていたので母が傷ついているのかなとか、弟は優しい子だからとか、そういうことが浮かんでいたが、途中から徐々に変わってきた。

そもそも、私が気を遣うような状況にしているのは両親ではないか。両親がそんな状況にしなければよかったのではないか?私も母親だけど、こんなことを子どもに言ったことはないし言おうなんて思ったこともない。いけないのは私ということではなく、おかしいのは母ということなのではないか?おかしくない?

今回も、ここに来るまで時間をかけて何セットも繰り返しながらセラピストと対話しつつ進めている。この場面の母も、前回同様私の身体反応と一緒に大きな箱に入れて、天空の一番上に上げた。母にはそこで母親になるための修行をしてもらう。そのうち天空は父と母だらけになりそうだ。

当時の子どもの私にも「お父さんにそっくり」「離婚したら連れて行かない」と言っている母に「私はこのままでいいんだ、そんなことを言うなんておかしいし悲しい」と言ってもらうことができた。もちろん涙も怒りもドバドバ出たので出し切った。

そして最終的には「すごく傷ついたし嫌な記憶だけど、どう考えてもこんなことを言う母がおかしい。私はこのままでいい。悪い子とか関係ない」という認知に至った。母、おかしいだろ。ありえない。「悪い子」だったとしても、言っていい言葉ではない。

大転換で自分でも驚いた。悲しい気持ちはそのままなのだけど「私がいけないから変わらないといけない」というような自分を責める気持ちが無くなった。
おそらく前回別の記憶で「私は私でいい」と思えていたり、リソースで自分を癒していたりしていたことも私の背中を押してくれていたのだろうか。肯定的認知が最大になり、否定的認知は0になった。まったく冗談じゃないよと思う。



私は母の味方になって、私自身を攻撃してきた

治療が終わってセラピストと話していて気づいたのは、私は母に言われたことを素直に自分の中にインストールして内向きの批判家をスクスク育ててきた。結局、母の味方になって自分のことをずっと攻撃してきたんだなということだ。
セラピストから「それは本当にしんどいことだったと思います。よくここまで大事にならずに生き延びてきましたね」と言われて沁みた。

ちなみに、今この記事を書いている時点の感覚では、ますます自分の中の母に対する「清く正しく」みたいな認知が崩れてきている。これまでは上に書いたような言葉で傷ついたという気持ちはあっても、その言葉の真偽については疑問に思わず、それを言った母自体のことも不思議なぐらいすんなりと受け入れていた。そのことに今初めて気づいて、すごくびっくりしている。

私の特性や性格もあるし、母もかなりグイグイと植え付けてくるタイプだったと今は思うので、かなり染み付いていると感じる。
これを全部「違うんだ」と全身で拒否して、子どもの私も大人の私も安心させてあげたいと思う。

それにしても、これは1人ではできないと思った。心理教育をしてくれるセラピストとの対話が必要だったと思う。
ちなみにカウンセリングではここまで深いところに行き着けなかった。自分の中を見ることはできたのだけど、私の中の批判家と対決するほどの力にはならなかった。でも、もっと時間をかけたらカウンセリングだけでもいけたかもしれない。
いずれにせよ、どちらも大事だ。トップダウンとボトムアップ。

あと、最後に前回気になっていた、会議室の白ちゃんのためにベッドを作り、フカフカの暖かい布団に寝かせてあげることができた。これで安心だ。

次回はまた2週間後。
今回は長くかかったため(自分では時間の感覚がよくわからない)、しっかり休んでタンパク質と水分をしっかり摂るように言われた。そして、何か大きな感情に圧倒されたらいつでも連絡して欲しいとのこと。

でも、大丈夫な気がする。私には青ちゃんもオソノさん達もいるし、安全なイメージもある。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?