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トラウマ治療について⑥「ポリヴェーガル理論」

トラウマの理解につながる理論

これまでにトラウマ関連の本を読んでいて、必ず出てくるのが「ポリヴェーガル理論」だった。トラウマ治療について知る前から名前は聞いたことがあった。
身体的なアプローチを行うトラウマ治療の元になった理論を詳しく知りたいという好奇心で読み始めた。
別に詳しく知らなくても治療には関係が無いのだけど「なぜこういうアプローチをするのか」という根拠が分かったので、私のようなタイプには読んでよかった本だったと思う。

ここでは私が「そうだったのか」と思ったことを書き出すのみだし、あえて難しい用語は使いたくないので、ポリヴェーガル理論の基本的な知識を分かりやすく書いているこちらのリンクを貼っておく。

ちなみに、この本の謝辞にベッセル・ヴァン・デア・コーク、パット・オグデン、ピーター・ラヴィーンの名前が出ており、ポージェス博士と交流しながらトラウマ治療モデルを確立させていったことを知って胸熱だった。


身体が「安全である」と感じられないと何もうまくいかない

ちょっと極端ではあるが、結局そういうことだよなと思った。
この本の中でも繰り返し書かれているが、まずは「安全である」と感じることが大事なのだそうだ。
ここで言う「安全」は、認知で感じるものではない。意識にはのぼらない領域で、神経がリスクを評価している。だから、いくら自分で「ここは安全なんだから大丈夫」と思うようにしても、神経や身体がそう感じていなければ何も意味は無い。

神経、脳、内臓はつながっており、お互いに情報を提供したり制御したり影響を与えたりしている。
自律神経は交感神経と副交感神経の2種類あるというのが今までの理解だったのだが、副交感神経には2種類神経があり、合計で3種類あったというのがポリヴェーガル理論で解明された。

この3種類の神経は進化の過程でできていったものなのだけど、新しい順に働くようにできている。そして、安全じゃないと感じると、どんどん古い神経が機能するようになっていくらしい。

  1. 「安全だ」と体が感じられている時に働く神経(腹側迷走神経系・哺乳類にしかないもので、一番新しい)。誰かとつながって「社会的交流」を行うことができる。「健康」「成長」「回復」が促される状態。

  2. 「危険だ」と体が反応した時に働く神経(交感神経系)。誰も助けてくれないと判断したら、「闘争/逃走反応」を起こす。他者を責めたり、攻撃したり、何かに依存して逃げるなど。

  3. 「危険」なのに「闘争/闘争反応」もできない時(身動きが取れない、その場から逃げられない、拘束されているなどで)に働く神経(背側迷走神経系・一番古くて爬虫類も持っている)。動かない、シャットダウン、解離などを起こす。

これまでは1か2のどちらかだけだと思われていたのが、ポリヴェーガル理論によって、3について解明された。
3はまさにトラウマの反応で、これが慢性的に続くと複雑性PTSDになる可能性がある。自分を責めたり、自己否定に陥ってしまう。

私自身で考えてみた。
小さい頃、家庭が荒れており、両親が怒鳴り合いの喧嘩をしていた。私にも時々とばっちりが来た。
私はそういう時、泣いたりわめいたりはせず、ただ固まってじっとやり過ごしていた。そこから逃げたりやめてと叫んで泣きたかったが、聞いてくれない人たちだったし、どうにもならないだろうと思って諦めていた。つまり、身動きが取れないと感じていた。
ということは「安全じゃない、危険だ」と身体が感じていたけど、逃げることも戦うこともできなかった。3の状態だということだ。
これが日常的にずっと続いたのでトラウマになった。

神経は脳や内臓ともつながっているので、こういった反応は内臓の症状に出たりする。消化器系に影響が出やすいのだそうだ。私は子どもの頃から腹痛とお腹を壊すことがよくあったのも納得できる。
もちろん、心拍にも影響がある。

トラウマ治療の本でよく見かける「安全なのに安全だと感じられていない状態」というのも、3のままでいるということなのだなとわかる。
「もう大丈夫よー」といくら認知で感じても、神経が感じていないのであればどうにもならないということになる。


人の出す「安全」という合図

危険だと感じる時には、もちろんその場の状況などもあるけれど、相手が出す「合図」に反応するらしい。
人の出す安全という合図を受け取ると、こちらも安全だと感じられて1の神経が働き、相手と社会的交流を行うことができる。
もちろん、合図は意識して出したり受け取ったりできるものではない。

で、その合図ってナニ?という答えは「表情と声」であった。そして、目と目を合わせること。
表情も声も、もちろん脳や神経とつながっている。その人が安全だと感じられている時、微妙な声の調子や韻律によって安全だという合図が出されているらしい。表情も同じで、安全だと感じられている時には目元の表情が豊かになるそうだ(危険を察知した時には、顔の上半分の動きが制御されてしまうらしい)。目と目を合わせるのは合図を読み取るためにも必要だ。
母親が赤ちゃんに対して取る行動や表情、声もこれと全く同じことらしい。

当たり前だが、自分で意識して優しい表情をしよう、「合図」を出そうと思ってできるものではない。
そういう合図を出すためには、自分が「安全である」と感じられていることが必要になる。そりゃそうだ、自分が危険だと感じているのに、相手に安全だという合図を出せる訳がない。

これを読んで、ああそうかと思った。結局親が安全だと感じられていなければ、子どもに安全だと感じさせることはできないのだ。無い袖は振れない。
私の親も、きっと安全だと感じることができていなかったのだろう。戦争を経験したその上の世代などもそうだっただろう。
こうやって連鎖するのかと思った。
自分のことは棚に上げて「子どもが安全だと感じられるようにしてあげたい」ということはあり得ない。まずは自分が安全だと感じられるようにならなくては。


身体を尊重せよ

この本はいくつかの対談を章に分けている。話し言葉なので比較的わかりやすく、しかも対談のたびに理論の説明や大事なことを繰り返し相手に説明するので、毎回同じことが繰り返される。くどいと思う一方で、おかげで頭に叩き込まれた感がある。

聴覚過敏やASD、教育や治療についてなど、いろんな内容をポリヴェーガル理論の視点で論じていて面白かったり共感するものばかりだったが、書くとキリがなさそうなのでやめておく。

ポリヴェーガル理論の提唱者であるポージェス博士は、トラウマに関して研究している訳ではなかった。それが結果的にトラウマ治療に貢献する形となった。本の中でもトラウマ治療や回復について話をしており、おそらくトラウマ治療の臨床家たちと交流しているからなのだろうと感じた。

トラウマ患者には、とにかく「あなたの当時取った行動は適応的で英雄的な行動だったのだ、すばらしい」と伝えること、それを自覚すること、とある。それを自覚するだけでも違うのだそうだ。
それから「どんなトラウマ的な出来事が起きたか」ではなく「その出来事にどう反応したか」が大事だともあった。

身体は他者や場所に対して絶えず反応しており、その身体の反応に注意を払うことが必要だ。身体反応を尊重すること。
私たちは身体の反応を軽視し過ぎだし、身体と脳を切り離して考えてきたが、双方向で影響を及ぼし合っている。

やっぱり身体もですよねえ、と深く納得しつつ、来年のテーマは「身体」だなと改めて心に誓った。


印象に残った言葉のメモ

自分のための覚書である。

  • 何を地獄と感じるかは、一人一人違う

  • 行動には良いも悪いもない。行動が現在の状況に適応しているか否かである

  • ゆっくり深く息を吐くことは心を落ち着かせてくれる効果があり有効

  • ヨガの呼吸法もいい

  • 過去において傷つけられた出来事の多くは、悪意のない無意識の適応行動によるものだったと理解できる

  • ボトムアップとトップダウンの両方の戦略が使えるということは、極めて重要である

  • 「子どもの頃はこうだった」と話している時点で、私たちはもう子どもではない

  • 今まではしばしば身体からのフィードバックをオフにして不適応な戦略を取っていた



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