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EMDR/16回目

頭痛と肩こりと首の痛みがひどくなった2週間

前回はEMDRをせずに、父とのことについてアセスメントのみを行った。その時に出てきた記憶も複数あって、それらを次回からは順番に処理していきましょうということになった。まだトラウマが残ってるの?とうんざりする自分がいる。これからしんどそうなので目を背けたい気持ちもあると思う。

その後精神的には特に何ということも無かったのだが(と表向きは感じているだけかもしれない)、身体が結構しんどかった。ここ最近は軽くなってきたと思っていた肩こりや首の痛み、頭痛がまたひどくなった。仕事が忙しくなりパソコンの前で集中する時間が増えたせいかもしれないし、気温の変化のせいかもしれないし、トラウマのせいかもしれない。わからない。

今の私の状況は「キッチンのシンクの掃除を進めていくほどに、排水口の奥の汚れを発見してキリがないなと途方に暮れている」という感じだろうか。できれば排水口(父のこと)は知らんぷりしていたかった。


私の声ではなくて母の声だった

前回、父のことをかわいそうだと思ったり罪悪感があったりすることに改めて気づいたが「父がかわいそうだ、私はひどいことをしている」という自分の中の声は、私の声ではなく母の声だということに気づいた。そうだった、母はよく私にそう言っていたのだった。

母は私に父の悪口も愚痴も言う。ん?でも待てよ。母が純粋に父の悪口を言ったことあったっけ?「あんた達(私や弟)がいるから離婚しないで頑張ってる」「あんたはお父さんに似てだらしがなくてわがままだ」「おばあちゃんがお父さんをあんな風にした」などなど、いろんな事を言っていた母だったが、父だけが悪いと、父単体での悪口を言うことは無かった気がする。私を落としたり、周りの誰かの悪口を言う際に父を使ったりしていた。これって何なんだろう?やはり父に依存していて父のことを好きだったということなのかもしれない。

ただ当時の私は父の悪口を言ってると認識していたが、その一方で私が父に反抗的だったり父に対する嫌悪感で強迫性の症状が出ている時などは「お父さんはあんたのことを思っているのにかわいそう」とか「お父さんの気持ちを考えてあげたら」などと言われていた。この時の声だ。

私ももともと「自分は悪い子だ」という認知がすでにあったので、母の言葉をすんなり受け入れてずっと残っていたのだと思う。たぶん、こうやって受け入れて自分の声にして自分を責めている方が生きていく上で楽だったのだろう。父のことを責めたり嫌いだと思う気持ちが(表面的には)全く無いのだけど、おそらく強烈に抑圧してきたのではないか。でも嫌悪感はどうやっても漏れてしまって、自分でもどうしようもなかった。

つまり、私は自分の内面に取り込んだ母の視点から自分自身を責めて否定してきたということなのだろうな。

この話をセラピストにすると「それは混乱しますね。ダブルバインドになっています。悪口を言う一方で、その悪口の相手をかばってルルさんを責めるということをされていたら、ルルさんの内面が混乱します。もともと不安定で自分が悪い子だと思っているので、なおさらです」と言われた。

きっと父に対する母の気持ちも、同じように混乱していてそれを私にも押しつけていたのだろうと思う。全く、こんなのは子どもに背負わせないでくれよ。自分の中でだけやってくれ。


ここには書きたくない記憶の処理

セラピストと前回の振り返りをして、父との記憶や感情についてアセスメントをしたことと、今回からそれに関する記憶を処理していくことを確認した。今回はここには書きたくない5歳の時の記憶を扱う。

その出来事はできれば思い出したくないし、自己否定と恥と嫌悪感と恐怖の感情が強烈にある。父と母が関係している記憶で、私はその時泣いていた。断片的な記憶しかないが、当時の背景は覚えている。この出来事の際に父や母、誰か他の大人に寄り添ってもらうことは無かった。

この出来事に関しては、その前段階からずっと母に怒られてきた記憶がある。なので、自己否定も強い。自分のせいで起こった出来事で、自分が悪くて恥ずかしい人間だとずっと思ってきた。何をやるにしても、幸せな気持ちになるにしても、その大前提となる資格が無いとずっと感じていた。悪い子だし恥ずかしい子だから。

そして、怖かった。詳しくは書けないが「私はどうなってしまうんだろう」という恐怖があった。でもその恐怖も自業自得なのだとも思っていた。父と母を責める気持ちは全く無く、自分が悪いのだからと当然のように思っていた。


具合が悪くなる

まずはセラピストと処理する記憶についての認知の確認をした。
否定的認知は「私はダメな恥ずかしい人間だ」で処理前は最高値。肯定的認知は「私は私でいい」で最低値だった。結局毎回「私は私でいい」「私は私のままでいい」「私はこのままで大丈夫」という、自分のそのままの存在を全肯定する認知にたどり着く。こう思えると本当に楽になれる。ダメとか頑張っているとかは関係無く、今の私のそのままを全て受け入れるのだ。

身体に出ている症状はかなりきつかった。頭痛、吐き気、動悸、息苦しさ、喉の詰まり。息がしにくくて気持ち悪くなり、ちょっと休ませてもらおうかなと思ったほどだった。ここでセラピストに毎回「しんどかったらいつでも言ってください」と言われるのだが、今回は「いつでも言っていいし、中断できるんだ。セラピストならしんどくなった私にちゃんと対応してくれるから大丈夫」と思い、気を取り直して処理に進んだ。

本当にキツい嫌な記憶でも、やっぱり処理が進むにつれて認知が変わっていく。最初は同じところを行ったり来たりしていた感じだったが、大人の私が子どもの私のところに行って声を掛けてあげると、感情がドバッと出た。怖い、誰も助けてくれない、母はひどい、母が嫌い、父も嫌だ。その感情を受け止める。

大人の私が子どもの泣いている私に声を掛けてから側に寄り添い、父と母に「こんなに怖がっているのに怒っているだけなんてひどい。そこまで怒るような悪いことなんてしていない。泣いている私に寄り添ってよ」と言った(父と母には伝わる気はしなかったが)。大人の私は子どもの私を抱きしめて「怖かったね。ルルちゃんは悪くない。ルルちゃんのせいじゃないんだよ」と言ってあげると、子どもの私は「私が悪いんじゃないの?」とびっくりしてから「もう大丈夫だ」と安心していた(処理を進めていく中で本当にびっくりした気持ちになった)。今回も父と母は親になる修行のために天上の世界に行ってもらい、大人の私が子どもの私に寄り添う場面は透明なボールに入れて、1日1回このボールを取り出して眺める。

ちなみに現在の私のイメージの中では、この記憶の私をおソノさんやすでに私の中にいる5歳の私や弟がいる居心地のいい部屋に連れて行って、みんなでお昼寝をするイメージになっている。私の強力なリソースだ。

今回も処理が終わってみると、嫌な記憶であることには変わりがないのだけど「私がいけなかった、悪かった、恥ずかしい」という認知が無くなっていき「私に責任があることではなかった、私は寂しく辛く不安だっただけだった」という認知に変わった。何と言ってもまだ5歳だったのだ。

母は不安定になると見境がなくなるので本当にどうしようもない。父には嫌悪感がある。当時のことについて、セラピストは子どもの私が母に怒られていたことは「これだけ不安定な状況にいる子どもならそうなっても当然の反応であって、何も悪くもおかしくもない」と話してくれた。不安定な子どもによくあることなのだそうだ。母にしこたま怒られ嫌悪され、父からも異常な子どもを見るような目をされた(ように私には思えた)のだけど、おかしいのは父と母で私をこんな風に追い込んだのも父と母だった。それを実感して納得した。

処理後、身体の症状はあらかた消えていた。途中で感情が出てきた辺りから気持ち悪さなどが軽くなっていく感覚があった。


パッと変わった実感は無い

恥ずかしいことをしたのでも悪い子でも無かったし、私はそのままでよかったのだということは腑に落ちている。もうあの時の記憶を思い出しても大人の私がすぐに助けに来るイメージになっていて、怖くて嫌だったけど安心する。たぶんこれは処理できているということなのだろうと思う。セラピストもそう言っていた。

ただ「うわーそうだった!」という風に劇的に変わったと実感することは無い。私にとっては記憶処理後の感覚はいくつかあって、パッと変わったように思えるものと、これが変わったと言うことなのかな…?と思いながら日々を過ごすといつの間にか処理が進み(脳の中ではセッション後も処理が続いているらしい)、記憶も薄れていったりもする。いろいろなんだなと思う。

ここのところ身体がしんどい。身体が重い感じがする。トラウマのせいなのかは分からないが、粛々と処理を進めるだけだ。
また2週間後。


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