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カウンセリング/16回目

前回からの振り返りと報告

・父への嫌悪感に向き合い、自分へも嫌悪感があることに気づいたこと。
・母の子どもっぽさを再確認したこと。


自分で取り組み始めたこと

カウンセリングの進行には関係なく、自分で自分の内側に向き合うことについては工夫を続けている。
友人が教えてくれた、ACを克服した方のとあるブログを読んで「対話形式」で自分の気持ちを書き出していくことを始めてみた(友人よ、いつも本当にありがとう)。すごくいい。自分との対話を書くことでどんどん掘っていける。そして新たに気づいたことがたくさん出てきた。

更に、前から気になっていたスキーマ療法の本を読み始めた。かなりじっくり取り組むことになるので、ある程度進んだら感想の記事を書いてみたい。
スキーマ療法は、結構最終形態に近いのかもしれないと思っている。取り組んだことをカウンセリングでも向き合いたい。


母の子どもっぽさを再確認

ここしばらくは父に対する気持ちを中心に取り組んでいるので、母のことは少し脇に置いておく形となっていた。
叔母(母の妹)がかねてから母と私とで泊まりにおいでと言ってくれている。叔母は母とは性格が対照的で、細かいことは気にしないさばけた人なので話していて楽しく、私は1人で会いに行ってご飯を食べたりしていた。
叔母からは客観的な母の話を聞けるのも興味深かった。叔母は基本的に人の悪口は言わないところも私は大好きだ。
その叔母は、母のことが好きらしく「今度は2人でおいで」と言うので、母に打診してみたところ浮かない顔をしていた。
母は叔母のことがあまり好きではないらしい。叔母のあそこがイヤ、ここがイヤ、こういうところはお父さん(私の父)にそっくりでうんざりする、などと言っていた。
母が行きたくないのなら仕方がないが、私としては悲しかった。

母はよく母のきょうだいの悪口を言う。いまだにきょうだいのポジション争いをしている感じだ。
昔から母は私に「自分がきょうだいのなかで一番出来が良くいい子だった、父親(私の祖父)に唯一可愛がられていた」ということを繰り返し語っていたので、母が一番正しくそれ以外は間違っている人たちという認識なのだろうと思う。

そしてふと気づいたのだけど、それ、娘に言う?しかも小学生ぐらいの娘に言ってどうすんの?
私も今とりあえず未熟ではあるが母親な訳だけど、こんな話をわが子にしたことないししようとも思わない。聞きたがったらありきたりなことは話すかもしれないが。
とにかく何でもダダ洩れ状態で私に話しまくっていた母だった。

カウンセリングでこのことを話していて、母は本当に子どものままで私や弟を育てていたんだと思った。私に依存しているし、私にわかってほしいと思っていたのかもしれない。私は私で母に自分の気持ちをわかってほしいと思っていたのだけど。この母ではそれは無理だっただろう。
本当にしんどかった。


父のことが大嫌いだったと気づいて認める

父への嫌悪感について引き続きカウンセリングでも向き合った。
ここ1週間、自分で書き出しなどをしている時も「あー、ほんとに無理無理無理無理イヤだぁぁぁぁ」と声に出てしまうぐらいの嫌悪感がどんどん出てくる。もう本当にとにかく嫌だった。

どこが嫌か?とにかく、父が私の前でする振舞いがことごとく嫌だった。
自分の気が済むまで何時間も私に怒ることも、母が追い詰められてする行動をからかうことも、モラハラっぽい言動も、私のことをコントロールしてくることも、声を荒げて怒鳴ることも、何もかも嫌だ。
どうしてこんなに嫌だったのに、そうでもない感じで今まで生きてきたのかわからない。それでも綻びはそこここに出ていたと思う。

私が布団を清潔にしておく強迫観念のようなこだわりは、中学生の頃に父のことを汚いものとして触りたくないというところから始まったのだけど、こんなに嫌悪感があるのなら当然のことだと思った。しかもその気持ちを抑圧していたのだから、歪んだ形で出てきていたのだろう。不思議でも何でもない。

ここまで来て、もう自分でもはっきりとわかったのだけど、私はあの当時の父のことが大嫌いだった。もう本当に嫌いだった。
そうだったのか、大嫌いだったのか、とびっくりした。今まで必死に抑圧してきた気持ちだった。

カウンセラーに「お父さんがいるとして、当時の自分はどう言いたいですか?」と訊かれた。
「お父さんのああやって怒ったり怒鳴ったりするのがイヤ。私のことを自分の思うようにしようとするところも、口うるさいところもイヤ。お母さんをからかうのも、馬鹿にするのもイヤ。お父さんが嫌い。私はいつも息苦しい。」
こうやって当時は言えなかったけど、もっと自分の気持ちを言えたらよかった。無駄な反抗はしていたのに、自分の気持ちに沿って行動したことがなかった。
ただ、こうやって伝えたとしても、父には伝わっていないだろうなと思う。きっと私が悪い子だからだ、もっといい子にしていたらいいのにと言われるような気がする。そして、こんなことを言ってしまったという罪悪感もある。

そして、当時はやっぱりこんな風には言えなかったし、母にも自分の気持ちは言えなかったと思う。それもカウンセリングの中でだんだんわかってきた。


母の味方にはなりたくないし、家族のバランスを崩すのが怖い

私が「お父さん嫌い」ということを認めて、母に伝えたとしたら、母は「自分の味方になった」と勘違いするだろう。普段から父の悪口や愚痴を私に言い続けてきたのだから。それに、父と同じく「そんなに嫌ならもっといい子にしなさいよ」と言われるだろう。
私は母の味方になるつもりは全くない。だから、母にこの気持ちを言いたくなかった。

そして、私の中の家族のイメージは父と母が向かい合っているシーソーなのだけど、弟は既に母側に付いている(小さかったし、同性の親があんなだったらそりゃあ母の側に付くに決まっている)。私の動き次第で家族のバランスが決まると感じていた。
もともと常にグラグラ動いていたシーソーだけど、私が「お父さん嫌い」と母側に寄ったことになったら、一気にバランスが崩れる。家族がバラバラになるかもしれない。あと、単純に母の側に付きたくない気持ちもある。

自己否定が強かったので、自分の気持ちにも自信が持てなかった。そうやって思っていいことなのだろうか、嫌なのは私がダメだからではないかと思ってしまう。そんなのは関係なく「嫌なものは嫌」でよかったのに。

という訳で、父のことを嫌いだと認めない方が当時の私には都合がよかったし、そんな気持ちを自分で受け止める余裕は無かった。
でも、そうやって嫌だという気持ちを抑圧して、バランスを取ろうとして必死にその場しのぎでウロウロしている自分のことも嫌だった。


とにかく受け入れることのみ

でも、出来ることを必死にやっていただけだったし、無理をして頑張っていたのだとわかった。カウンセラーにも言われた。
今の私から見たら、ずいぶんと整合性の取れない、意味不明なことをやっていたのだけど、当時の自分にはそれが精いっぱいだったのだった。

この「お父さんが嫌いだった」という気持ちをちゃんと私がしっかり受け止めて、「嫌いだったんだよね、それでいいんだよ」と認めることをしていかなくてはならない。せっかく出てきた気持ちなのだから。嫌いでも、怖いことも困ったことも起こらない(ちなみにこの嫌いという気持ちは、当時の父に対してであって、今の父に対してではない。それは別の話)。
とにかく綺麗事は不要。嫌いだったんだね、のみ。

これまで抑圧して、自分の気持ちを無視して生きてきたせいか、心の底から湧き出る力みたいなものを感じることがなかった。いつもその場しのぎで他者からの評価を気にしていた。そして、大学生になっていよいよ低空飛行になり、社会人で一度力尽きた。
結婚後は子どもをどうにかして引き上げて、私も一緒にその場所へ引き上げてもらおうとしていた。子どもにしがみついていた。そして、子どもからは「いい加減にしてくれ、自立してくれ、こっちも自立したいんだよ」というような感じで突き放された。突き放してもらえて本当によかった。
ここからは、特に何者にもならなくていいので、自分の思うままに生きていきたい。湧き出る力を感じてみたい。



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