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カウンセリング/5回目

前回からの振り返り

今回もこの1週間に気づいたことや変化などを報告するところから始まった。

・暴露療法として取り組んでいることが、だんだん抵抗が無くなり順調に止めることができていること(本当にささいなことではあるが)
・他にも小さなこだわりを止めることに取り組むつもりでいること
・夫に対して「邪魔された」と思う出来事があると、怒りに変わってその日のこだわりがひどくなること
・怒りは自分自身に対しても感じていること
とりとめもなく話し、カウンセラーは淡々と耳を傾け、時々質問をする。
 

理想的な母親の投影

続いて前回途中までで終わった、認知行動療法に取り組んだ。
「夫は汚い」という認知に対する書き換えだ。
前回までで、安心したいからきれいにする、きれいにさせてくれない夫は安心させてもらえない相手だと捉えていることはわかった。

では、夫は汚いから嫌なのか?
カウンセラーとやり取りしているうちに「夫がたとえお風呂上りであってもダメ」ということに気がついた。
夫が汚いからダメ、というのはおそらくダミーなのだった。もちろん、汚いのは嫌だしダメだが。
「夫に邪魔された」という気持ちは「自分の思い通りにしたい」ということでもある。

カウンセラーに指摘されたのは、夫に「理想的な母親」を投影しているということだった。
夫に母親を?とポカンとしたが、「何でも受け入れてくれて安心させてくれる存在」になって欲しいと思っている、ということなのだと聞いて納得した。
理想の母親なんて本当はどこにもいない。みんな未熟だ。私も然り。

小さい頃に愛着形成ができていると、成長と共にアイデンティティや自分の心の中の安全基地が出来上がって、理想の母親を求めなくなる(この辺は自分でも勉強したので理解できる)。
でも、私の場合は愛着の形成ができないままだったので、アイデンティティの確立ができず、安全基地も無い。
ずっと理想の母親を求めて、周りの人に投影し続ける。
そうだった。そう思うと、夫だけでなくその時々で周囲の人間に理想の母親を投影してきてはうまくいかなかったように思う。
子どもにさえ求めていたのかもしれない。


安全基地

自分が自分の安全基地になり、養育的な関わりを自分自身にしていくこと。
周囲の人間は、私の思い通りにはならないし、私が変えることはできない。
みんな違う人間で、違う人生を生きていて、それぞれに時間の流れがあって感情があって思考がある(当たり前だけど、これがわからない人は私を含めてすごく多いんだろうと思う)。

私は、大きな存在に「もう大丈夫、怖くない。辛くて怖い思いをしたね」と安心させて欲しかったという気持ちがずっとある。それを受け止めて「私がいるから大丈夫」と自分自身に語りかけていくこと、と言われた。

続けて認知の書き換えをしていき、結局私のこのこだわりは「夫のせいにしているけど、本当は夫には関係のないことだ。それに夫は理想の母親ではない。夫は私をコントロールしようとはしていないのだから大丈夫」ということがわかった。
ただ、わかったからといってすぐにこだわりや怒りが消えてなくなるわけではない。

安心したいという自分の気持ちを受け止めて、自分の中に安全基地を作り、徐々に楽になっていくのだろうと思う。
自分自身の中を変える。周りを変えたり排除することで安心を得ようとしても意味が無い。

そして、毎日寝る前に自分のできたところ、褒めたいところを書いておくことを続けることを勧められた。
それから、自分を責めないこと。無理もなかったんだよ、と言ってあげる。生きていくためだったのだから。

今回は、これまでよりももっと深いところまで話をすることができた。
カウンセラーは相変わらず淡々としていながらもしっかり耳を傾けてくれる。
カウンセラー自身には、特に何の興味も感情もわかないが、転移が始まるのはこれからなのだろうか。いわゆるラポールのようなものはできてきているのかなと感じる。


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