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カウンセリング/1回目

1回目は、自分の思っていることや気がかりなこと、ここしばらく考えていたことなどを好きに話してくださいと言われて始まった。
カウンセラーは、前回よりも表情が柔らかかったが、あえてニュートラルにしているのだろうと思った。

母に対して責める気持ちが感じられないこと、今の両親との関係は悪くないので、昔の出来事に対して自分の中での位置づけに戸惑っていることなど。
某講座を受講していた時に迷ったり戸惑ったりした気持ちを話した。

やはり一番きつかったのは「両親がひどい喧嘩を日常的に繰り返していたこと」なので、そこに向き合うことになった。
「その時の思い」「当時の自分の本当の思い」「どうしてほしかったか」ということを一緒に見ていった。

気持ちを出したら、そのことについて話をしながら紙に書き出していく。
やはり書き出すというのは有効なのだろうと思う。
某講座でも、気持ちはとにかく書き出すということを教わった。
頭の中だけで処理しようとすると、うまくいかないというのはわかる。

私は両親から、私が悪い子のせいで喧嘩になるとよく言われていた。
最近まで本気でこのことを信じていた。私は聞き訳が良くなくて、習い事を真面目にやろうとしないなど、母を困らせていた。
母はたまに帰ってくる父にそのことを言って、そこから喧嘩が始まるというのが夜中の喧嘩のお決まりのパターンだった。
なので、きっかけが私だったことも確かにあった。

もちろん大人になってからは両親の不仲の理由はそこではないということは分かっていたし、私がきっかけにならなくても喧嘩にはなっていたのだから、変なこじつけだったのだとも分かっていた。
それでも、「私がいい子だったら」という気持ちがずっと残っていた。
このカウンセリングでカウンセラーに指摘され、話をして「あ、そっか、私はそのままでよかったんだ」と腑に落ちた。
「私がいい子だったら」ではない。「両親に、私のせいだと言わないで欲しかった」のだ。

カウンセラーによれば、私の両親もアダルトチルドレンだったのだろうとのことだった。そんな喧嘩を子どもの前で平気でするのはおそらくそうでしょう。まるで子どもの喧嘩みたいでしょう?と。確かにそうだ。
母は分からないが父の成育歴は明らかに複雑だった。
その後年齢を重ねるにつれて両親は多少は落ち着いていったのだが、それはおそらく成長したのでしょう、と。
だとしたら両親から私へと連鎖している。ぞっとした。
私が絶対に止める。私の子どもに連鎖させてはならない。

両親への怒りは、出した方がよければ出すけれど、絶対に必要なわけではないとのこと。怒りがあるなら出す。無理にはしない。
既に出してきたからかもしれないけど、今の私には怒りはあまり無い。
無理に絞り出す必要は無いのだろう。

思いを書き出し終えてから、子どもの私を癒すワークを一緒にやった。
感情がかなり出てきた。まだこんなにあったのかと驚いた。

某講座で教わったことの中に「自分を責める」というものがあった。
小さい頃に自分が生きていくために作った制限や思い込みのせいで、自分自身と距離を置いて粗末に扱ってきた。それを責めるのだ。
でも、このカウンセリングやワークではその必要は無いらしい。
カウンセラー曰く、好きでやっていたわけではないのだから、と。
そうするしかなかった、辛かったね、もう大丈夫、と自分をただただ受け止め、受け入れたらいいのだと。
私には自分に優しくする、癒すということはできていなかったのかもしれない。自分に対して分析はできていたけど、突き放したところがあった。
その上責めていたら、いつまでも私自身は辛いままだ。

カウンセリングで自分を癒してから、某講座で学んだ方がよかったのかもしれない。癒す前に自分自身を自立させようと必死だった。
私にはまだ早かったのかもしれない。

繰り返し自分を受け止めるためにワークをやって、子どもの自分が笑顔になるイメージが出るまで続けましょうと言われた。
まだまだかかりそうだけど、焦らず取り組んでいきたい。

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