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トラウマ関連の読書記録⑨「ソマティック・エクスペリエンシング」

提唱者の本を読む

ソマティック・エクスペリエンシング(以下SE)。
トラウマ治療の本でEMDRと並んでよく見かける治療法で、気になっていた。「ソマティック」は「身体的な」という意味らしい。理論やどんな治療なのかを知りたくて、提唱者のピーター・A・ラヴィーン博士の本を2冊読んでみた。


意識的な記憶は無くても身体が記憶している

「身体に閉じ込められたトラウマ」には主に神経科学や脳科学、生理学の観点からSEについての理論が書かれていて、それに事例や自分でできるエクササイズなども載っていた。なかなか読みごたえがあった。

トラウマによる身体的体験のせいでずっと身動きが取れず、恐怖や無力感に囚われ続ける。これは自己の内側で維持されるので、怒りや恐怖や強烈な感覚の悪循環に陥って、生物学的なトラウマ反応の中に閉じ込められる、とある。
そこから自力で抜け出ることはできないし、自分を守ろうとするほどドツボにハマっていくということか。

人はトラウマを経験した時に、身体を反応させている。自分自身を守ろうとするために走って逃げたり、相手を押しのけたり、身を守るために手を伸ばしたり。そういった反応は、身動きができないようなトラウマ経験の中では「完了」させることができないので、身体の中に残ってしまうのだそうだ。「未完了」になっている反応を「完了」させなくてはならない。

ラヴィーン博士は、一連の回復させるための治療を「トラウマとの再交渉」と書いている。少しずつ慎重にトラウマへ再交渉し、身体反応を完了させて回復に導く。この時、トラウマの記憶や経験を語ることは必要無い。人は自分の感覚を思考で納得させたいという本能があり「これってこういうことだよね」と自分に言い聞かせることがある。これは思考が感覚を邪魔しているということであり、治療の邪魔にもなる。ただ身体感覚を感じていることが重要なのだそうだ。


恥とトラウマの本質的な関連性

トラウマには毎度おなじみ「恥」の感覚についても書いてあった。恥とトラウマには本質的な関連性があり「うなだれた肩、遅い心拍、視線への嫌悪、吐き気」などの症状がある。「トラウマと恥の精神生理学的パターンが似ている」とある。

そしてこれ。
「恥はまた、どういうわけか、自分の身に起きた災難の原因は自分にある(もしくは少なくともそうなるのは仕方ない)と捉えるトラウマ被害者に共通して見られる誤解を助長する」
「恥は『悪』という全般的な感覚として、彼らの人生の隅々まで浸透し深く埋め込まれていく」

私はEMDR治療を始めたからか、恥の感覚はほぼ無くなった。トラウマ治療が進むと自分に対する感覚がこんなに変わるのかと実感している。


SEはどのように進むのか(再交渉のステップ)

では、SEはどのような流れで進んでいくのか。手順は決まっており、それに従って慎重に進められる、

  1. 比較的穏やかで落ち着いている「今・ここ」の経験を持てるようにする。ポジティブな感覚とトラウマの元となった困難な感覚の両方を観察する方法を教わる。

  2. 土台を身体の中に作れたら、心地よく地に足が付いた感覚と、より困難な感覚との間を、ゆっくりと行ったり来たりする。

  3. 「トラッキング(五感を使って感じていく方法)」を行っていると、トラウマの手続き記憶が湧き起こる(完了が阻害されていて一部が欠けている)。

  4. 完了させることができずに失敗に終わった反応の「断片」が見つかったら、更に五感を探っていき「意図されていたが実際は疎外されてしまった自己防衛反応」を完了させる。

  5. ここまでで心身の中核の調整系がリセットされる。リラックスしながら適度に調整された状態へと戻る。

  6. 手続き記憶は、感情、エピソード、ナラティブな記憶の機能とのつながりを取り戻す。手続き記憶はその構造全体が変化し、新たに更新された情動記憶とエピソード記憶が出てくる。

私の理解としては
「今・ここ」で落ち着いていられる状態になる→トラウマの感覚と「今・ここ」で大丈夫だという感覚を交互に五感で感じて(トラウマだけ感じると圧倒されてしまうので)、そこで出てきた身体の感覚や手続き記憶を元に、未完了の自己防衛反応を完了させる→感情やその時のエピソード記憶と繋がって回復に向かう
という感じなのかなと思っている。

気になる。これを受けたらどんな感覚になるのだろうか。頭痛や肩こりや顎の緊張や、ここから逃げられないという状況が怖いという感覚から解放されるのだろうか。受けてみたい。変容はEMDRと違うと思うが、どんな感じで違っているのだろう。


身体に残っている「手続き記憶」

「トラウマと記憶」は、記憶について書かれている。SEの治療で記憶がどのように変容していくのかという過程や実際の治療の様子なども載っていた。こちらはそこまでページ数も多くなく、記憶に絞って論じられていることもあってかなり読みやすかった。

まず、記憶は固定された実体ではなく、流動的なものであるとあった。歪むこともあるし、虚偽の記憶を持つこともある。人は強い感情を伴うと、あらゆるイメージや示唆、信念などが事実のように見えてしまうらしい。「『思い込みの強さ』は、そのときの感情の強さに比例している」。これは確かにある。そもそも私の記憶が本物かどうかなんて、誰にもわからないのだ。親に聞いたとしても、親の記憶も正確かどうかはわからない。
でもそれは問題ではないのだそうだ。こう書かれている。

「記憶が真実かどうかは第一優先課題ではない。クライアントは脳と身体に刻み込まれた記憶痕跡、つまりは感情、気分および行動を支配している手続き記憶と情動記憶に囚われている」
「クライアントが体験したことの衝撃と影響は、まぎれもない真実であり、それが重要なのだ」
「癒し手であるわれわれの使命は、トラウマの内容に関わらず、神経系に溜め込まれた巨大な生存本能のエネルギーを解放できるように助け、それによってクライアントがより自由になり、平和と安寧を実感できるようにすることである」

この本で知ったのだが、記憶には2種類あり、さらに4つの種類に分かれる。
顕在記憶と潜在記憶の2種類にまず分かれていて、その中で顕在記憶は宣言的記憶とエピソード記憶に、潜在記憶は情動記憶と手続き記憶(身体的記憶)に分かれている。
そして、回復への鍵となるのが手続き記憶となる。
この本は記憶について書かれているので、それぞれの記憶の解説もあり、すごく面白かった。


認知からのアプローチと身体からのアプローチ

トラウマ治療はここ10年ぐらいでかなり研究が進み、身体からのアプローチが重要であるという理解が進んできたらしい。
それでは認知からのアプローチは必要ないのかというと、そうではないようだ。どちらからも取り組むことが必要だと、ラヴィーン博士も他のトラウマ研究者も書いている。

この本の訳者である花丘ちぐささんもトラウマに苦しんだのだそうだ。訳者あとがきではこう書かれている。
「『認知からのアプローチ』は私を支えてくれたが、『身体からのアプローチ』は私の人生を変えたのである」
とても分かる。認知からのアプローチだけでは身体症状や咄嗟の感覚は消えないけれど、自分に何が起きたかという理解もとても大事だと思う。


受けてみたい

認知からのアプローチであるカウンセリングが次回で最終回となり、大学院で学んでいた心理学も今年度いっぱいでいったん終わりにしようと考えている。ちょうど単位認定試験が終わったところだ。読み漁りたい本もあと数冊で終わりになる。経済的にも時間的にも余裕が少しできる。

SEの専門家を探したら、近くにいることが判明した。セッションの料金がそこまで高くなくて心に沁みる。EMDRと並行してもいいのか分からないが、セラピストによってはEMDRとSEをミックスして治療している話も聞く。物は試しで受けてみたいと思った。

SEの他にフェルデンクライスにも興味がある。ヨガもトラウマ回復に焦点を当てたものがどんなものか知りたい。
マッサージは気持ちがいいが、身体の緊張状態が緩まない限り焼け石に水のような感じがする。まずは身体の根本から癒していきたい。

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