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TABIPPO2020でのターニングポイント ~合宿係編~

TABIPPO2020での活動を通して、私には色々な変化が訪れました。
大きな変化から、ちょっとした小さな変化まで。

今日から数回に渡り、活動の中でターニングポイントだったと感じるところをピックアップして、振り返っていこうと思います。

TABIPPOに入る前まで、「PDCA?何それおいしーの?」みたいな人間で、
終わったことは何でも美化して「いい経験ができた!」という薄っぺらい感想で終わってしまうタイプの人間だったのでうまくいくのかどうか…
という感じですが、お時間のある方お付き合いいただけたら嬉しいです。

合宿係とは

タイトルにもある通り、活動中に訪れたターニングポイントとして
最初に思い浮かぶのはやっぱり合宿係だったなと思います。

合宿係とは、その名の通り、合宿の企画運営を行う係のことです。

TABIPPOは合宿がめっちゃ多いです。
5月末にキックオフがあって活動がスタートし、
6月下旬には大阪支部合宿
7月下旬には大阪、名古屋、高松支部からなるBブロック合宿
そして8月下旬から9月上旬にかけては全都市合宿
これが、毎回全部ある訳ではなかったですが2~3周しました。笑
つまり、始まったばかりの頃は月1回くらいのペースで合宿があったわけです。

大学内外のどんな団体、サークルにも所属経験がなかった私には新鮮すぎる経験でした。

その中で私は、最初の大阪支部合宿と次のBブロック合宿で合宿係をやりました。

記憶が薄れているところも多々ありますが、順に振り返っていきたいと思います。

6月 大阪支部合宿

TABIPPOでの初めての合宿。

記憶では、キックオフ後2回目ぐらいのMTGではもう募集がかかったんじゃないかな?

その頃の私は、周りの雰囲気について行くので精一杯でした。

偶然にもスタッフ経験のある同郷の幼馴染、なつきがいたので(奇跡!!)
幸い全く馴染めない、なんてことはなかったのですが、
周りの活発な子はみんな2年目に見えるし、
結構焦っていました。

代表、じんが合宿係の説明をしてメンバーを募った時、
結構な数の女子たちが手を挙げました。

この時点ですでに衝撃で。

普通こういうのって誰も手挙げへんくて他薦(という名の押し付け合い)で
何とか決まったりするもんじゃないん!?!?って。笑

衝撃を受けると同時に、
「やばい、これに乗り遅れたら輪に入れへん!!!」
と確信し、次の瞬間には私も手を挙げていました。

正直いうと、そんなに乗り気ではなかったし、できる自信もなかった。
(圧倒的隠キャ感!!)

2人のチームメンバー

合宿係が決まると、全体MTGの前に少し早く集まって話し合ったりしてみんなで少しずつわからないなりに準備を進めていきました。

Slackってなに?LINEとはどう違うの?
ファシリとは?どういう意味?何の略?

今LINEグループのトークを見返すと初々しすぎて笑っちゃうけど、
本当にこんなレベルから。

私も、とりあえずできることがあればやってみようと、話し合いに来れていなかった子達のためにLINEのノートに議事録みたいなものをとったりしていた。

次第にコンテンツの案も集まり、合宿係の中で3人程度のグループに分かれてそれぞれコンテンツを作っていこう!ということになり、あみだくじでメンバーが決まりました。

メンバーは3人。私の他に、あずとゆーじろーがいました。
2人とも年上。
しかも、2人ともなんか知らんけど海外おって、リモート。

やのに、国内にいてバリバリ動けるはずの私より圧倒的に引っ張る力があった。
これまた衝撃。
何すればいいのかも全然わからなくて手探りな私は結構迷惑をかけていた自覚があって、ものすごくしっかりしている2人に会う日がちょっとだけ怖かったのを覚えています。

まあ、実際のところ
あずはくそ美人なくせに引くほどおっさんやし変態やし
ゆーじろーもまっすぐすぎるしたまに謎やし覚えた言葉はやたら頻繁に使うし
それに2人とも優しかったし、すぐに馴染めたのだけど。

とりあえず、TABIPPO初期の頃から私の中で2人はすげー人で憧れだった。

メンバーの涙

コンテンツをやる場所を必死で探したり、
なんだかんだ結構大変だったけどなんとか迎えることができた当日。

当日も会場設営とか場所移動の引率とかで結構バタバタしていて、
あっという間に1日目のコンテンツは終了。

宴会が終わってからやっと銭湯で汗を流して、
帰ってくるとみんなは部屋で飲んで大騒ぎしていた。
(怒られましたね、懐かしい…)

ど隠キャの私がその雰囲気にビビらないわけがなく。笑
流れでその場にいたけど、何度部屋に帰りたいと思ったことか。

そうするといつしか集まっていたメンバーは他の部屋にもばらけ、
TABIPPOに入った理由だとか、抱えてる悩みとか
そんなちょっと真剣な話をする空気になっていました。

そこで衝撃的だったのが、
あれだけ完璧に見えたあずが
「自分は何もできていない」「もっとできるはずなのに」
って涙を流していたこと。

活動が始まって1ヶ月で、
既にTABIPPOのことで涙を流すほど強い思いがあって
自分の動きを省みられているのに
私はなんて消極的なんだろうって。

同時に、自分たちの活動は2月までで、
決して長くはないことにも改めて気づきました。

限られた時間の中で、いかに自分の価値を見出せるか。
主体的に活動できるか。

この合宿を機にいろんな人に「主体性」が芽生え、動きが活発になった。

私も、MTGの議事録やファシリに挑戦したり、
いつもと違う人と話して仲良くなってもらうためにMTGの席順をくじ引きでランダムに決めてみたり、
1年目スタッフの中で一番早く説明会デビューしたり。

やりたいことを言ってみれば、いつでも挑戦させてもらえる環境だとわかった。
私自身はそんなに大きく変わった自覚はなかったけど、
よく「たけるりも合宿で変わったよね」と言われました。
やってみることへの「怖さ」がなくなったんだなと思う。

当たり前のようにBブロック合宿の合宿係もやることに決めました。

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7月 Bブロック合宿

この合宿が、初めて大阪支部以外のメンバーと顔を合わせる機会でした。

私が受け持ったのは前回と同じくコンテンツチームと、しおり制作でした。

支部合宿でも確かしおり係には入っていたんだけど見事に少しも役に立てなくて、
スーパー高校生うたが作ってくれたセンス溢れるしおりをスゲ〜…と眺めているだけでした。

いや、高校生に負けるわけにはいかんぞ芸大生。

と、結構頑張った。

そして、目標を定めた。
「印刷したしおりをきちんと全員の手に渡し、思い出にしてもらう」と。

結果、いろんな人に製本を手伝ってもらったり、夜中まで頑張ったりして、
それは達成できた。

でも、紙のしおりにもデメリットはあって、部屋割りなどに急な変更が生じた時に対応できず、結局そこはデータをLINEで確認してもらうことになった。
変更後のデータをギリギリまで待ったから印刷、製本もギリギリになって。

うーむ、本質的じゃなかった。

情報提示の仕方、それぞれのメリットとデメリットを知るとてもいい機会になったと思う。

人を喜ばせることが好きな私

結構大変ではあったけど、やっぱりしおりを渡した時に

「ありがとうー!」

って喜んでくれる顔を見るのはとても嬉しかった。

製本めっちゃ大変だったけど、
最終的に誰かを喜ばせることができたならいいなって
大変だったことも忘れられるなって
そんな自分に気づくことができた。

私の原動力は今でも誰かの喜ぶ顔。

何気ない気づきだったし、これに始まったことでもなかったけれど、
これを言語化できたのは強かった。

クリエイティブでの成功体験

実は芸大生でありながら、グラフィックデザインは結構苦手意識があった。

配置とか、どうすればいいのかわかったもんじゃない。
いつも感覚だし、適当だし、なかなかしっくりこない。

でも、この時に結構配色や配置、フォントや文字の大きさ、全体の雰囲気や見やすさまで結構こだわって作ったことで

あれ?意外とできんじゃね?

と思うことができた。

ディレクションなど全体を見た時に於いて今回のことを「成功体験」と定義していいのかどうかは一旦置いておくとして、

苦手だったデザインをFBなどもらいつつ自分で完結させることができて、
「結構いいじゃん」と思えるものができて、
それを形にできたことがとても大きくて、この後の自信に繋がった。

この体験がなかったら、クリエイティブチームでやっていく勇気も出なかっただろうな。

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まとめ

脈絡やまとまりはあんまりないけどざっくりと振り返ってみました。

合宿係をやるというのはあんまり深い考えのもとでの決断じゃなかったけど、
やっぱり今の私を作る貴重な経験でありターニングポイントになっていると思う。

合宿って内向きの企画だし、
そういう企画って一般的には割と軽く見られがちなものかもしれないけど、
TABIPPOはちょっと違うのかな。
共通して言えることは、みんな企画に対して本気だったということ。

企画、運営の段取りや気をつけることなど、
これらの経験はのちのイベント運営にも活きたと思う。

学びってどこに転がってるかわからないんだな。
常に何かしら学ぼうとする視点を持つことがきっと成長のカギだ。

次は何について書こうかな〜〜