見出し画像

誕生日に、宝石みたいなチョコレートを買った話。

「人生の節目には、記念品になるご褒美ジュエリーを」

都会的なファッション雑誌で度々見かける文言。節目の誕生日に高価なジュエリーを手に入れるのは素敵だ。20歳になれば成人式を迎えるように——今では18歳が成人になったけれど——30歳、40歳、50歳と区切りのいい年に、人から貰うのではなく、自分が稼いだお金で宝飾品を購入する。百貨店のラグジュアリーな店舗に足を踏み入れて、麗しい店員さんに微笑みながら試着を勧められれば、この優美な時間からご褒美は始まるのだ。

ジュエリーは高級だからこそ、記念日に買う価値がある。それに、輝く貴石は豊かな財力の証。けれども、こういう贅沢は節制の先にあるのがいい、と思えるようになったのは三十路に差し掛かったからだろうか。それとも、東京へ出て7年が経ち、都会的な悦びに飽きてしまったのだろうか。

普段から意識して節約を心がける友人が、ここぞとばかりに贅沢をするのは見ていて気持ちがいい。憧れるお金の使い方だなと、思う。

節制せずともジュエリーを幾つでも買える富を持っている人は、今だけ少し寄り添いながら聞いてほしい。

私が20代までに経験した、身に余る贅沢の話を。

***

大学を卒業して実家を出た私は、檻から解き放たれた強欲の猛獣と化した。今までの田舎暮らしはあまりにも不便で、一つ屋根の下の5人暮らしはあまりにも不自由で、ずっと出て行きたくて仕方なかったのだ。サークル活動に没頭していた私には時間がなく、アルバイトができないから金銭もなく、都会の享楽に身を浸す人々が羨ましくて堪らなかった。いよいよ反撃を始められる、虚しくもそう信じたのだ。

バッグ、コート、ハイヒール。都心のディナーにアフタヌーンティー。舞台のチケット、旅行の予約、デパコスと香水と腕時計。夢見ていた何もかもがそこにあった。4桁の数字をピッピと押せば達成感が湧き上がり、年2回の賞与はすぐに溶けた。

25歳の誕生日、ご褒美ジュエリーを購入できる財力はなかったけれど、特別感を味わいたくて高級チョコレートを買った。甘い菓子なんてなくたって生きていけるのに——宝石とは値札のゼロの数が1個も2個も違うけれど、それでも私の自尊心は満たされた。舌の上を転がって、ピエール・マルコリーニの赤いハートはあっけなく溶けてゆく。幸福の命は短く、儚い。

私が買ったものは、見栄と虚勢。
買った理由は、羨望と嫉妬。
手にしたのは瞬間的な悦楽と持続的な空しさ、見失ったのは幸福の本質。

それが当たり前の日々だった過去の自分にけじめを着けたい、漸くそう思えるようになったのは理由がある。ただ、初めはこの価値観の変化に戸惑いもあり、どうしたらいいか分からなかった。

***

「子供はできれば二人欲しいんですよね」
「ええ、いいですね」
「そしたら、今のアパートでは手狭なので家を購入して引っ越して…東京を出て郊外に住みたいねと話しているので、車も欲しいですね」

画面の中でファイナンシャルプランナーの男性が、明るく穏やかな表情で頷いてくれる。

30過ぎまで独身だと思っていたのに、人生は意外な方向に進むものだ。入籍、結婚をした私の眼前には「出産」「育児」「家庭」と今まで見えていなかったカードが浮上してきた。

——授かるかは分からないけど、子供は欲しい。

10年来の付き合いになるパートナーと将来について思い描けば、空虚なりに華やかだった日々は過去のものとして色彩を失い、セピア色のアルバム写真のように記憶の奥底へ落ちていった。もう、役目を終えたのだろう。私も未練はない。

交際費も山ほど出て行った。誘いを断るのが怖くて、けちで付き合いが悪いと思われたくなくて、無理をしたのも一度や二度ではない。それでも、ライフプランを建前にすれば今はすんなり断れるようになった。皮肉な話だ。

***

今年はどんな商品が出ているんだろう。ピエール・マルコリーニのホームページを眺めて、華やかなビジュアルと購買意欲を煽る宣伝文、魅力的なラインナップに心惹かれる。ピンク色の丸っこい缶はあまりにも可愛い。

けれども、今は買わない。それよりも欲しいものがあるからだ。

30歳を過ぎたら、私はどんな買い物をするのだろう。どうか、中身のある「欲しい」と「買った」でありますように。未来の自分に小さな願いを託し、昨日買ったチロルチョコを1粒口に放り込んでデスクに向かった。


おやつを恵んでいただけると、心から喜びます。