...

自分のことが見えるようになった。

高校を辞めてから色んなことがあって色んな人と出会って
自分は何を思っているのか
色んなものを取捨選択した結果残った物を元に自分を認識するようになった
今は自分をそう認識している

だから、それは透明人間を認識するのに服を着せることで中身はなくともそこにあるようにみせるようなもので
実際に本体を見ているわけじゃなく
相対的に判断しているに過ぎない
と、最近思う。

相対的に。

比べてはじめて自分の立ち位置がわかる
そうでないとどこまでも勘違いしてしまうのは自分がよくわかっている

でも、本当にそんな謙虚な理由だったのか
人と比べて、優れたところをみつけて、
自分の存在意義をただ確かめていただけだったのではないのか。

必要とされたい。
誰かの唯一でありたい。

自分のやりたいことが出来たらそれでいい?
否、
自分のやりたいことで評価されたい認められたい

醜い

自分が醜いことに気づいたのはだいぶ序盤だったけれど、
醜くあることを受け入れたつもりだったのだけれど、

歪みと醜さは違っていて、
多少の歪みは魅力になる
醜さは違う

ただただ醜くそこにあるだけで、
ただそれだけで。

文章を書くのは苦手だ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?