何をやっても楽しくない

今年の夏、また無謀な決断をした。
早い話、また引っ越しをしたのだ。少し大きめのバッグに荷物を詰め、約8ヶ月住んだアパートをひとり後にする。

そして、住居のサポートをしてくれる団体に連絡をとった。が、私は初手の初手から色々なタイミングを間違えてしまい、多大な迷惑をかけてしまった。

それでも、スタッフの方は優しく接してくれた。
けれど、その優しさを私はうまく受け取れなかった。
必要なものは十分に与えられているのに、それを受け取る部分が壊れている。思えば前に引っ越した時もそうだった。

過去を振り返ってみる。
高校生まで私がいた環境に比べれば、今は飛躍的に良くなっているはずだ。何より、一人で静かに暮らせる環境がある。これは私には不可欠なものだと思う。
しかし……それで楽しいかというとまた別の問題だ。

そもそも私には、自分を幸せにしたいという欲求がない気がする。幸せになりたい、とも思わない。

私にある欲求は、
・嫌な思いをしたくない
・生きていたい
・本当のことを知りたい
基本的にこの三つだ。
そしてこの欲求には、それぞれ穴がある。

一つめの「嫌な思いをしたくない」は他人から嫌なことをされたくないという意味であって、「自分で自分を傷つける分には構わない」
二つめの「生きていたい」は「生きてさえいれば後はどうでもいい」
三つめの「本当のことを知りたい」は、「たとえ自分が不幸になろうとも真実を追い求める」態度

……どれも不健康だ。日々こんな気持ちで暮らしているのだから、私が幸せになれないのは当然のことだ。
しかし、じゃあどうすればいいのか。何も浮かばない。全部変えようのないことのように思う。

このまままた精神的に、あるいは社会的に死んでしまうかもしれない。それならそれで仕方ない。肉体が死なない限り、私はまたどこかで息をし続けるだろう。

住居サポートの団体からは、私の荷物は処分したと連絡があった。私は胸が空っぽになったような感覚の後、「仕方がない」と静かに思った。無くなったものを惜しんでも仕方がない。皮肉なことにこれが私の数少ない健康な思考の一つだ。

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