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#52. 5/14 ソワレ バケモノの子 劇団四季の大規模国産ミュージカル

感想

アニメだから生み出せるファンタジーを
舞台上で人間が演じるという挑戦だ、、

と前半見ていたのですが

四季の歴史が持つ技術と
俳優陣の圧倒的な実力によって

完全に劇団四季×細田守監督作品の
フュージョンとイリュージョンが
起きていた、、

物語の舞台関係なく、
100%の日本の作品だった

また、本当に俳優陣の圧倒的実力が
際立つ作品でした、、、

想い

ミュージカルを元にミュージカル映画を作るのではなく、また、ミュージカル映画を元にミュージカルを作るのではなく、

動物 (バケモノ) の世界と人間の世界が交錯し、その交錯がキーとなる アニメーション映画を、ミュージカル化する。

それを成し得るのは、劇団四季が培ってきたノウハウがあってこそだな、と歴も見た作品も少ないがとても思った。

と、同時に、やはりミュージカルだからこその、ミュージカルナンバーや、

歌で表現するが故のベースの感情の起伏の描き方の大きさ

メイクや衣装、パペットを通じての表現など、ミュージカルを見慣れない人にとっては、心理的ハードルもあるだろうし、

細田守監督の映画上での表現技法の大ファンならば、両手をあげて、とはむずかしいだろうな、と思ったからこそ

それでも広く受け入れられ、残り続ける作品となってほしい、と強く願わずにはいられない作品でした。

最大規模の国産ミュージカル

(以下ネタバレを含みます

上述の通り劇団四季と言えば歌、演出が印象的。

今回も特に前半部分の見せ方には、ライオンキングを強く感じたし、機構の表現方法ははじまりの樹の神話を。渋谷の表現にはロボット イン・ザ・ガーデンを思い出しながら見ていた。

だけども本当に今回の作品は、ただでさえ長い歴史を持つ劇団四季の作品をさらに上回る

紛れもなく、劇団四季史上最大の新作オリジナルミュージカルだった。

細田守監督の織りなすストーリー展開、そしてふたつの世界。その交錯。

それらは紛れもなく、四季作品の世界観をさらに上回る迫力だった。

緊張を解いたのは

四季の演出、歌、キャラクター、細田監督のキャラクター、ストーリー展開、世界観。

様々な要素が詰まり、初演ということもあり、沢山の要素が掛け合わさる目の前に繰り広げられる未知の世界に、

私も客席もなかなか緊張が取れなかった。

思い描く細田監督の世界観とアニメーションのタッチと目の前に実在する人間が演じる、衣装、メイクで構成されるキャラクター。

ザ・四季なセット、衣装、メイクに、ザ・ミュージカルナンバー。シンバの成長のように登場した青年、蓮。

半ば頭がぐらぐらしながら見た第一幕を、それでも100%の四季の作品ではなく、細田守監督作品のミュージカルとさせ得たのは、

紛れもなく、熊徹、多々良、百秋坊の3人の演技でした。

四季ナイズドされた作り込まれたメイク。
四季の得意とする美しい自然の舞台セットに対し、心もとなく感じてしまった渋谷のセット。

前半に感じた違和感、きっとこれは意図されたものなんだろう、それともショーになってしまったのか、、という懸念は後半、楓のシーンから覆される。

図書館のシーンはまだしも、楓の家の前で話すシーン。見たこともないくらい衣装も、舞台上もシンプルで、そこにはただ楓と蓮がいた。

正直まだこの段階でも、感情の起伏の表現が大きいな、と感じていたのだけど、

蓮の父の登場により、一気にひっくり返った。
歌、表情、存在感、演技が素晴らしすぎる。

そう、四季では見たことのない舞台上のシンプルな景色。いかにもなスーツに眼鏡、圧倒的一般人な風貌の蓮の父。

圧倒的な一般人の風貌だからこそ、私の中での細田監督のタッチと一気に重なったところであり、

そのあまりにも普通な風貌から繰り出される表現に頭がくらくらしてしまったのである。

そして渋谷のあの見せ方は、あくまで人間世界の見せ方は、心情描写にフォーカスするシンプルな舞台がメインであり、

渋谷は情景描写だったと納得した。

(ハロウィンのシーンのコスプレが、コスプレに見える舞台衣装でめちゃくちゃ笑っちゃった。

高度な衣装の技術をもってして、若干安っぽい仮装の衣装を表現してるのに、布も形も素敵すぎた。一階席でよかった。

私は熊徹、蓮、蓮の父の3人が同時に歌い上げる葛藤のシーンが1番好きだったかもしれない。

少なくとも私はそこで一気に引き込まれた。
ファンタジーだと思っていた目の前の世界から、蓮の父という余りにも一般人なキャラクターの存在により

一気に客席の集中力が変わり、共感へと移っていったように感じた。

生きていたキャラクター

これが細田守監督と四季の俳優陣の力かぁ、と感じた一番のところだったんだけど

私は今まで四季の作品の中で、キャラクターが1番印象に残ることはなかった。

けれど今回作品の一部ではなく、本当に熊徹がいて、一郎彦がいて、楓がいて、蓮の父がいた。

だから私は久々に泣いてしまった。
自分の辛かった時のこと、今助けてあげたいと思っている子のこと、四季の俳優陣をいつも褒め称える先輩や後輩の顔を思い浮かべながら泣いてしまった。

感情があまりにもリアルで、そしてそれをあまりにも体現していた。歌が上手いとか、演技が上手いという次元ではなく、

ただただ凄かった。私は1番青年一郎彦のパワーに圧倒された。

1幕ではパペットを使った猪王山と熊徹が、9年後は猪王山と熊徹の生身で戦っていたところも本当によかった。

四季に感謝を

本当に大変だったと思う。
原作を実写化するのだけでも大変だ。

でも四季にしかできないとも本当に強く思った。

一郎彦の叫びを聞いた時、生で演ることの意味を強く感じた。ファンタジーを舞台上で演り、それにお金を払ってもらう上では、

人間が生で演る意味を体現できなければ成り立たない。それを成し遂げられるのは、四季の歴史が持つ舞台技術と、四季の俳優陣でしかないとも思った。

人間の持つ弱みと人は1人では生きていけないという普遍的なメッセージを、細田監督の生んだ魅力的なキャラクターを生で演じること、

これが残る世の中であってほしいと強く願う。

嬉しかった。バケモノの世界のイメージがモロッコだろうと、紛れもなく日本の作品に、日本の劇団四季が本気で挑んだことがひしひしと伝わってきた。

俳優の実力と舞台技術と日本の脚本だけで成り立つミュージカルが売れる。残る。そんな日本であってくれ。

そしてミュージカルという西洋×日本の作品を見て、改めて日本の歌舞伎×日本の現代作品(ワンピースなど)を見てみたいと思った。

細田監督と作品とそのファンへの最大限のリスペクトと細心の注意を払いながら、持てる全ての力を注ぎ込んだ劇団四季に心から拍手を贈りたい。

しゃぼん玉が飛んでくる演出、客席もファンタジーに取り込まれて、心底うっとりして、生で見られてよかったな、と心の底から思いました。

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