その灯火の色は
全くの私事で恐縮だが、つい昨年までいい年して年齢=恋人いない歴だった私が恋なぞというものを正しく理解しているか甚だ不安ではあるが、性懲りも無く、
鉄道の話である。
今でこそ細々ながらも鉄道短歌や鉄道要素のある短編小説などに携わっている筆者であるが、幼少期から鉄道が好きだったわけではない。
では鉄道を明確に好きだと意識し始めたのはいつだったろうと記憶を遡ると、恐らく高校生の頃である。
当時、軽くもオタクであった私とその少ない友人たちの間で流行していたのが、擬人化ものであった。特に某国擬人化などは(少なくとも界隈では)一世を風靡していたと思われる。
そのような時代背景、といえば大げさだが、そんな中で鉄道を擬人化した漫画にも出会った。
……が、それにはまったというわけではない。試みに自宅の最寄りの鉄道が描かれているのか探したが、あいにくその作品中にはキャラクターとして存在しなかったのである。
それならば、その鉄道を擬人化したらどういうキャラクターになるだろうか、と想像を巡らせた。ら、沼にはまった。
それが、京浜急行、通称京急である。
当時通学にはJR線を利用していたが、大学受験のため塾に通うことになってからは、塾の立地から頻繁に京急線を利用するようになっていた。
真っ赤な車体に白い帯。京浜間を最速時速120キロで爆走する一方で、シートはふかふか。川崎大師への参詣路線として明治末頃に設立したという長い歴史も有する。ギャップ萌え、歴史好きとしては堪らない。乗務員・駅員の制服も濃紺や青を基調としていて格好いい。女性のドゴール帽がかわいい。(ケピ帽が正式名称だそう)
鉄道ファンには京急ファンが多いという話を聞いたことがあるが(※意見には個人差があります)、知れば知るほど、ご多分に漏れずいつの間にか私も好きになっていったのであった。
なかでも古いもの好きな私が好きなのは、やはり当時最も古い形式であった所謂旧1000形という車両だった。
青いロングシートに一枚扉。何よりつぶらな一つ目の前照灯が私の心臓を射貫いた。
(現在は全て廃車になっているが、京急の鉄道イベントで前照灯は手に入れた。今は家宝である。)
京急は私の大学受験生活に寄り添っていた。
ある時は定期試験で学校が早く終わった後、塾の自習室へ向かう気だるい体を、ふかふかのシートが受け止めてくれた。
列車は塾に直行することに疲労していた私をそのまま下り方面へ連れて行った。
――海が見えた。
空模様はそんなに良くなかったと思うが、その膨大な水をたたえた深い青色を目にして、私は少なからず癒やされた。
またある時は夕方で、全面塗装の赤い色が西日に照らされて黄金に輝いていたり、ホーム端に立てば幾重にも交差した線路がダイヤモンドよりまぶしく光って見えたりした。
そんなささやかだがあたたかい記憶が重なっていって、いつしか京急への、鉄道への愛が大きくなっていったのだと思う。
大学入学後は、京急を利用して通学していた。鉄道研究会に入部した。
一年生の夏合宿は四国で、現地集合だった。18切符で現役だったムーンライトながらに乗車し、奈良で途中下車しつつ向かった。初めての一人宿泊旅行だったが、不安よりもわくわくした気持ちが先行した。その時は、時刻表は持たず乗換案内をメモした紙切れだけが頼りだったので、今思えば怖いもの知らずだったと思うが、四国合宿の後は瀬戸内海の美しさに感動しつつ北上し、津和野で泊まって東上した。
そのうち、18切符で利用できる普通列車などだけでなく、寝台列車の活躍した最末期に大学生でいたことが幸いし、廃止寸前のあけぼのや北斗星といったブルートレインにも乗車するなどした。
勿論JRだけでなく、各地の私鉄や路面電車も乗った。車両も駅施設もそれぞれ地域や会社の特色があるような気がして、私にとっては鉄道自体が観光・娯楽というか愛でる対象であった。
数年後、好きだった京急の旧1000形は引退して、私は就職して、以前よりは少し鉄道への熱が冷めたとも思われた。が、少し思い返したら先日は京急のドレミファインバータ(所謂、京急の歌う電車のことである。ご興味のある方は是非検索して頂きたい)引退記念乗車券の購入列に並んでいた。
前述のように私は軽いオタクではあるが、例えばアニメ作品にははまっても一年と経たずに次の作品に目移りしてしまうし、そもそも就職してからはアニメをほぼ見なくなってしまったが、鉄道好きは現在に至るまで細々ではあるが続いている。
一般的なアニメ作品などと異なり、基本的には完結とか終了とかいうことが無く、次々と新しい話題が投入されるからというのも大きな理由であろう。
しかしそれだけではない気がする。
鉄道は一般人からしたら或いは無機質な交通システムかもしれない。
しかし少し興味を持って携わってみると、車両、ダイヤ、運転、駅などなど当然だがあらゆる部分で人の手が関わって創り上げられたものであることが分かるのである。血が通った、あたたかいものなのである。
少し突飛かもしれないが、だから、鉄道を利用することは人と会うことに似ている気がする。複雑な背景や思想を持つひとりの人のように思えるのである。そう考えると、私が鉄道を意識するきっかけとなった擬人化についてもあながち遠くないといえるかもしれない。
多分、私の鉄道好きはこれからも続くと思う。それは高校生の頃、赤い電車が私の心に点した小さな灯火のようで、消えることのない、初恋というべきものである。
さあ今日も、初恋のひとに会いに行こう。
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