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「やったのか、やらないのか」とグループ分けされる

「やったのか、やらないのか」とグループ分けされる

 

やっているのと、やっていないのは、大きな差です。

やっていれば、信頼に繋がります。
次にも繋がります。

可能性が広がります。
未来が変わります。

やっていなければ、どんな理由でも 「やっていない」と見なされます。

たまたま忘れてやっていなくても、サボってやらなくても、わかっていてやらないのも、「やらない」という結果は同じです。

野球部の息子に、「家に帰ってから、バットの素振りはしなくてもいいのか」と聞いています。

部活の練習は、一生懸命に取り組んでいます。
でも、家での努力が見えません。

親からすると、「それでいいのか」と思ってしまいます。

息子は、素振りをやらないといけないのは、わかっています。

「疲れている」
「しんどい」

スマホを見ながら「あとで」と言って、結局、素振りをしません。

家で素振りをすると、「家で素振りをした」という事実が残ります。

「やっている」という努力が残ります。

誰かが見ていたらやって、誰も見ていなければやらない」というスタンスになっていないか、ということです。

「素振りをしていない」というのは、わざわざ監督に言いません。

自分自身がわかっています。

自分自身では、「家に帰って素振りをやっていない」という事実を確認しています。

自分はわかっています。

でも、やっていない事実があります。

やっている人と、やっていない人の差が広がるだけです。

「やらないといけない」と思いつつ実行に移せないのは、やっていないグループに所属しています。

「やらないといけない」と思っている人と、思わない人のグループ分けではなく、「やったのか、やらないのか」というグループ分けです。

「やらないといけない」と思っているだけで、もう満足しています。

勝手に、「意識が高い」と勘違いしています。

「やらないといけない」と思うことを、実行に移していく


「やらないといけない」と思うことを、実行に移しましょう。

ここの差です。

結果を出す人は、「やらないといけない」と思っていることを、ちゃんと行動に移せています。

やったか、やっていないか、の違いです。

「やらないといけない」という必要性は、誰でも感じています。

それを、行動に変えられるかです。

「やりたい」 「頑張らないと」と思わないと、人は動きません。

自分で感じて、腑に落ちたときに、初めて動けます。

そのキッカケが、どこで来るのかです。

うちの息子も、ある日突然、何かのキッカケがあって、家で素振りをするかもしれません。

どこで変わるか、わかりません。

やらないのは、そのタイミングが来ていません。

やらされることから、自分でやるように変わるときは、自分で気がつかないと、永遠にやって来ません。

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