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カレーとカプチーノ


コミュニティが色々あるとして、時と場合によりその色々に溶け込めるグラデーション人間になりたいと思っていたら帰り道がわからなくなった。皆が家に着く頃、自分は迷子で、他人の家のカレーの匂いに懐かしさと不安を覚え泣きそうになる。短歌は寂しがり屋に向いているが、究極の寂しがり屋には向いていない。

彷徨っているうちに喫茶店を見つけたので入ることにした。カプチーノを注文すると柑橘系の、なにかよくわからない物体がお行儀よく載っていた。
カプチーノを飲みながら、最近行った展覧会のことを思い出してみる。もう半分以上のことは忘れてしまった。でも少しだけ感想を書いていたから、特に惹かれた作品シリーズのコンセプトは結構すぐに思い出せる。

モリソンの《ラーミ》(Raami、枠)は、名前を付けず、作者のエゴを押し付けないシンプルなデザインによって物質本来の神秘的な美しさを見出せる、といった美学があった。《ラーミ》のコンセプトや美学に惹かれ、自分もそういう短歌をつくりたいと思ったことも含め覚えている。
隈研吾がインタビューでなぜ人はガラスに惹かれるのかという問いに対し「森の中の水たまり」「喉が渇いて水たまりを見つけたときに救われる感じ」というような発言をしていたことも覚えている。そういえば、水たまりの短歌をつくろうと思っていたんだった。短歌を始めてから、なんでもかんでも短歌に繋げてしまう自分が恐ろしい。

さっきの柑橘系の物体の苦味を感じたタイミングで顔を上げ、店内を見渡す。色とりどりのカップ&ソーサーが棚に並んでいる。
これからどうやって帰ればいいんだろう。
皆はとっくに家に帰り、各々のカレーを食べているというのは単なる自分の思い込みで、実は同じように彷徨ったあげく別の喫茶店にいるのかもしれない。

あと二口分しか残っていないカプチーノに視線を戻しつつ、もうしばらくここにいようと思った。

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