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若人の昔話

 高校、大学の時は結構真面目に小説を書いていた。

 なんで突然こんなことを話し出したかというと、Twitterでブルーピリオド(今後ブルピリと略します)の漫画のコマのスクショが流れてきたから。

 ここに写真を貼ると普通に無断転載(漫画のコマをスクショしてツイートするのは無断転載です)になるので貼らない。代わりに説明する。
 ブルピリの主人公である八虎やとらが泣きながら絵筆をふるい、そこにモノローグで「俺の絵で 全員殺す」と書いてあるコマのスクショだ。

 ブルーピリオドは若人が芸術(主に絵)をやるために困ったり悩んだり暴れたり怒ったり苦しんだりする漫画である。創作をやる人間が読むと、めちゃくちゃハマるか、めちゃくちゃ苦しいし劣等感刺激されるから読みたくないと思うか、逆にめっちゃ怒るか、どれかになるみたいな漫画。

 私はブルピリが結構好きで、新刊が出るたびちまちま買ってちまちま読んでいる。読んだ後は疲れてぐったりする。

 んで、主人公の八虎くんが追い詰められて、それでも絵を描いてる時のシーンが例の「俺の絵で全員殺す」のコマ。

 私が初めて読んだ時に「うーわめっちゃわかる」と思ったコマ。

 創作をすると、自分の作品を鑑賞してくれた人間に対して何か影響を与えたくなる。
 もちろん最初は、喜ばれたいとか、感動させたいとか、そういう気持ちが強い人が多い。でも、自分の作ったものが誰にも響かない、誰にも感動されない、となってくると段々心が歪んでくる。

 私は高校生までは好きなキャラクターを私の理想の中で生かしたくて、それで二次創作の小説を書いていた。それが、だんだんと創作そのものへと惹かれていって、のめり込んでいった。
 最初は感動させたり、何か教訓めいた学び的なことを読み手に与えたかった。そんなのはエゴだと途中で思ったけれど、独りよがりの創作をしたいわけじゃなかった。誰かに読んで欲しいなら読ませる努力をするべきだし、読ませたからには何か心に動きを与えたい。その感情がエゴだとしても、受け取り手がいないと成立し得ない創作をする限り、独りよがりよりはエゴまみれのがいいかなと思った。誰かの心の中に私の生み出した何かが残って欲しかった。

 私は「トラウマでもいいから読み手の心に何かを与えたい」「傷でもいいから残って欲しい」と思うようになった。

 「俺の絵で全員殺す」はこの感情の動きにかなり近いなと思う。だから、「めっちゃわかる」と思った。なんなら、今も「めっちゃわかる」と思っている。


 今になって思えば「トラウマになるような話を誰が好き好んで読むんだ」と思う。そもそも、私の書く話には、知らない人を引き込むほどは物語の展開に面白みがなかった。要するに私には読ませる努力が足りなくて、結局めちゃくちゃ独りよがりだったなあと思う。

 独りよがりで、得たものなんてほとんどない(あの頃できた友達はもうみんな縁が切れてしまった)ような創作活動だったけれど、漫画を読んで「わかる」と思えるようになったのはあの日々のおかげなので、まぁ悪くはなかったなと思う。


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