2024年、河童忌に

 7/24は芥川龍之介の命日です。

 私が生まれた瞬間から芥川龍之介は故人なので、芥川の命日に特別な思い入れはありません。私が生まれた時からずっと死んでいる人が、初めて死んだ日がずっと昔の今日なんだなと思うだけです。
 特別な思い入れはありませんが、今の私の好きな人がずっと昔の今日死んだのだと思うと、それなりにいろいろなことを考えます。


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 例えば、「河童忌」という名前。
 芥川の著作『河童』から名前をとったと昔は考えていましたが、いまはそれ以上に芥川が河童という妖怪を好きだったからだろうなと思います。

 死んだ日に好きなものの名前がつくというのは、面白いし羨ましいです。いろんな人に愛されていた証拠のように見えます。
 その理論でいくと、今から私がいろんな人にめちゃくちゃ愛される努力をし続けたら、いつか私が死んだ日は「芥川忌」になるのかも。そしたら面白いけど、流石に荷が重すぎるなあと思います。
 サクレ忌とかにしてください。


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 例えば、芥川が死んだその日、新聞記者が芥川の遺書を盗んだという話。
 初めて知った時、軽蔑よりも先に、純粋に「すごいな」という感情が湧いたのを覚えています。今そんなことをやったらSNSで相当叩かれるでしょうね。
 芥川くらいの作家になると、その死すらリアルタイムでメディアに消費されて、コンテンツにして食い潰されるんだなと思いました。でも、今わたしが河童忌にかこつけて文章を書いているのも、芥川の死をコンテンツとして消費しているという意味では本質的には変わらないのかも。
 そして芥川には、そんな私のことすらも曖昧に微笑んで許しそうな弱さが、あるいは強さがあります。そういうところも、私は好きです。


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 例えば、その死に顔。
 小穴隆一が描いた絵を見ると、きちんと目を閉じて、本当に眠るような死に顔だと思います。
 路上で見かける死んだ生き物は大抵目を見開いて、驚いたような顔で死んでいる気がします。あの見開かれた黒い目が私には怖いのですが、芥川の死に顔はそれに比べたらひどく穏やかだなと思います。

 妻の文さんがその死に顔を見て安堵したという話がありますが、生前の方がずっと苦しかったんだろうなと思います。私は他人なので、苦しかろうがなんだろうが生きててくれたら良かったのにと思ってしまいますが。


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 2024年、河童忌に。
 今年の夏も暑いですが、私は今年の夏も芥川を読まなきゃいけないので死ぬわけにはいかないのです。死んだ人の文章のために生きるのも変な話だなあと思いながら。

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