鶏か卵か環境か人か

この前家にあった賞味期限が3ヶ月過ぎた卵を捨てたのですが、この卵も生まれた時は新鮮だったのになと申し訳なく思ってしまいました。
ということで、初回である今回はこの内容について書こうと思います。


「鶏か卵か環境か人か」
鶏か卵かという話を耳にしたことがある。鶏が卵を産み、卵は鶏になる。
これを人に置き換えるとどうだろうか。

親は昔子供であった。いや、うん、それはそう。しかし、教育という観点で見れば、教育を行うのは親だけではない。
育つ環境やその人が生まれつき持つ特性などの状況がその人の教育に大きく影響を与える。
また、人は環境を作り人を育てる。

「他人を変えることは難しいから自分が変わりなさい」と言われたことがある。
なぜ、人のことしかみないのか。
自分のことであっても特性は変えづらい。
だが、環境は変えられる。
環境を変えれば、同じ環境にいる他人も学べることが変わる。

私の母には発狂癖があった。卵ひとつ落とせば1日中機嫌が悪く、家庭内の空気は最悪になる。
そんな環境で育った兄と私にも発狂癖があった。何か失敗すれば怒鳴られ、殴られ、晩ご飯を作ってもらう為に何度も頭を下げなければならない。そんな焦りと恐怖心が脳を刻んでいた。
しかし、人の癖による環境はすぐに変えられる。新しい認知を加えれば良いだけだ。

母が亡くなった後、日用品を間違えて多く買ってしまい発狂している兄をみて、私は「すぐに無くなっちゃうからいくつあっても嬉しいね!」と声をかけた。その日から、兄が失敗するたびに私は出来るだけポジティブな対応を心がけた。
すると、兄の発狂癖はみるみる良くなっていった。
家族の発狂からのストレスも少なくなり、仲も良くなっていった。

正直これらは、私が母に生前の頃こういう声かけをして欲しかったという思いがあったからこそ出来たのかもしれない。
苦しみを知る者こそ、当事者のことを理解できるとはよく言ったものだ。

確かに、今の世代の苦しみを産む環境は前の世代が残していった課題なのかもしれない。しかし、社会は発展を続け新たな考えが生まれていっている中で、その恩恵を一切受けずに育った人などごく一部なのではないだろうか。

今の苦しみの原因を探ることは重要である。しかし、それらは全て前の世代の責任だと放棄していては次の世代にまで苦しみを与えることになる。

今自分が人として生きているなら、前の世代が作った環境や人すらも変えていけるのだ。


環境か人か。どちらも先だろう。ただ、人は状況や環境の結果物であるという視点に重きを置くことで、未来の生きやすさに繋がると私は信じている。
人を変えたいなら、環境を変えるべきである。





卵を腐らせる、るんらーより🙄

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