コロナウイルスの休館は終わったけど、競技生活を振り返ってみる。Part.7

 こんにちは。今回は、中学2年生トラックシーズン後半です。よろしくお願いします。

 中2のジュニアオリンピックは全国の種目が1500mでした。(当時は…)嫌いな距離のやつ。ただ、他の人が全国に行くというのは嫌だったんだと思います。(すごいわがまま)あと、そんなことあってはならないというコーチの考えもあったと思います。ちょっとだけ頑張りました。ジュニアオリンピックに出場するためには、「標準記録の突破者、突破者がいない場合は、県予選で優勝した者」という規定があって、6月の記録会でなんとか4‘41“29で走って、標準記録を突破していたこともあり、県予選には出ないでジュニアオリンピックに出場することになりました。当時は、全中などの疲れがあることと、800mの練習しかできていないから出なくてもいいと言われていたのですが、多分、疲れた状態で1500mを走って、他の人に負けるなんてことがあってはいけなかったんじゃないかなと思います(笑)当時の私は、1500mは苦手だったので、走らなくてラッキーと思っていましたけどね。

 そして、臨んだジュニアオリンピック。横浜の競技場は観客席がすごくて!こんなところで走れるんだって思いました。あと、ちょっとトラックが小さく見えた。(笑)この時から、試合の日に観客席からトラック見るのが日課に。ちなみに、調子がいいと小さく、調子が悪いと大きく見えます(笑)組着順は、覚えていませんが、4’37”57で自己ベストを出すことができました。そして、これが1500mの生涯ベストです。(笑)決勝には残れませんでしたが、私の中では十分満足した結果でした。

 トラックレースは中体連が締めくくりになります。郡の中体連では、400mと800mで2冠を取りました。嬉しかったです。この頃から、400mにもちょこちょこ練習がてら走ることが増えてきました。県中体連は、2‘15“99で優勝して、県内同学年には負けなしを維持しました。よく頑張ったと思います。自分で自分を褒めたい。当時はそこまですごいとは思ってなかったから。


 いつからかは覚えてませんが、コーチや周囲の大人たちから言われる言葉に傷つくことも多々ありました。優勝して戻っても、「お疲れ、おめでとう」という肯定的・褒めるような言葉ではなく、「タイムがね~」と言われるようなことも多くて。それがまた、プレッシャーになっていました。あぁ、もう勝つだけじゃだめなのか~と何だか走ることが嫌になったのを覚えています。もちろん県で勝つことが目標ではなくて、全国の決勝の舞台に立ちたい!と思っていました。だから、言われていることはごもっともというところなんですけど、やっぱり勝ったことに対してやその日頑張ったことに対して、褒める言葉が欲しかったんですよね。褒められて伸びるタイプなんで(笑)ということもあり、試合がどんどん怖く感じるようになりました。
練習は、スピード練は好きだし、自分の走りたいように走れるからがんがんしていましたが、長い距離はきらいだから嫌々というのは変わらず続いていました。1000mのインターバルになると足が痛くなるのも継続中(笑)そして、だいたい前日に刺激をいれるように練習メニューが組んであったんですけど、ものすごくいい調子で刺激を走って、仕上がってるーと思って、臨む試合がいまいちだったり、刺激があまりにも走れてないときに、案外結果良かったりと、刺激で調子を見れないという…。持論ですけど、日によって調子って変化してしまうもののような気がします。男子のことはあんまりわかりませんけど…。正直、あんまり刺激の結果にこだわりすぎなくてもいいかなと…。私も最初は、刺激が走れなかったら落ち込んでいたこともありましたけど、そういう刺激と関係ない試合結果が続くと、気にしなくなっていました。逆に良すぎるとちょっと心配になったり…。刺激で大事なことは、いかに試合に向けていいイメージで走れるかということだと思います。指標として、タイムはもちろん絡んでくるとは思いますけど、それだけじゃなくてフォームなどを意識して刺激に臨んでもいいのかなと思います。刺激だけではないんですが、1番大事にしてほしいのは、いい走り(フォームとか感覚とか)で終わることです。がちがちに固まった走りでメニューを終えたら、もう何mでもいいので、いいフォーム、感覚を取り戻す流しみたいなのを入れてほしいです。それだけで、次の日の走りが大きく変わると思います。

 では、今回はここまで。次は駅伝シーズンへと移っていきます。読んでいただき、ありがとうございました。