コロナウイルスの休館は終わったけど、競技生活を振り返ってみる。PART.24

 こんにちは。まるです。今日からは大学の競技生活を振り返っていきたいと思います。 

 大学に入学した当時は「競技を頑張りたい」という気持ちと「もう“楽しく”やりたい」っていう気持ちとで迷っていた気がします。6年間一生懸命頑張ってきてあんまり遊びにも行かず、ほぼ陸上のことだけを考えてやってきたので、大学生という比較的自由な環境になって戸惑っていたのかもしれません。私の進学した大学では、顧問の先生が毎日来るわけではなく、練習メニューも幹部の先輩方が考えられていました。
 

 まず、最初の県選。400m、800mにエントリーしましたが、両方とも欠場しました。多分、このあたりから競技に対する“逃げ”が始まったんだと思います。

 続いて、レディース陸上も800mは欠場。400mは予選を61“60で走って、組1着で決勝へ。決勝は、59”32で1位。意外と走れてるじゃん。(笑)この時期に60秒切って走れてたことなんて忘れていました。

 そして、初の大学の大会、春インカレでは、まず400m欠場。そして、800mを走っていました!記録は2‘21“24で、予選1着+4で、決勝には残ったんだけど、決勝を欠場してますね。ほんと、逃げてる。(笑)マイルを走る先輩方を見て、かっこいいなって思っていました。この年は、マイルで全カレの標準記録を切られていて、すごく速くて憧れの先輩方でした。

 その後は、第二回の学連競技で800mを走りました。忘れていたけど、意外と800m走っていたんだなって結果を調べていて思いました。こんなに走っていた記憶が正直ありません。(笑)結果は、2’19”48とまずまず。まぁ、今までの結果からしてみれば、全然走れてないうちに入るんでしょうけど、今この結果を見て、意外と走れていたと思う不思議。(笑)

 夏インカレでも800mに出て、2‘22“91で5位。なかなかの走れなさ。そんな感じで落ち込んでた時に、「マイルをどうしても走ってほしい。」って言われて(笑)泣いて断るという…。本当に今思えば、申し訳ない。でも、その時は、絶対走れないってわかっているくらいの調子で、個人種目全然走れていないのに何でマイル走らなきゃいけないのーって思っていました。結局走ったんですけどね。(笑)なんとか走ることができて、3’57”70でまぁまぁのタイムで3位でした。でも、相当足を引っ張ったと思います。でも、頑張ったと思う。大学になると、いろんな場所に行って走るからすごく楽しかったです。県外の大会が多くて、県外だとそんなに知ってる人に会わない、見られなくて済むから(笑)

 その年の西日本インカレでは、800mを走り、タイムは2‘21“70でした。タイムは、この辺を行ったり来たりしている感じですね。九州選手権では、400mに出場。61”02でした。遅い。この時には、腰の痛みと戦っていたはず。高校からの腰の痛みをずっと引きずっていて、練習もそんなに積めないし、強度をあげたら足が痛くなるし…。みたいな悪循環。
 

 そして、その年の全カレは、地元開催で、去年のタイムが標準記録を切っていたので、エントリーすることができました。練習はほとんどできていなかったです。自分の思った通りの走りにはほど遠い、そしてそれをたくさんの人に見られるというのがどうしても嫌で。そんな気持ちだったんですが、一応アップはしました。でも、どうしても走れないってなって、その時、ちょうど腰も痛めていたこともあって、そのまま試合に出ることなく病院へ向かいました。応援してくれている人もいたのに、本当に申し訳ない気持ちはあったんですけど、結果的に逃げてしまうような形になってしまいました。そんな感じで行った病院では、「椎間板ヘルニア」を診断されて、引退することを勧められました(笑)逃げで行った病院でもう陸上は辞めた方がいいよって言われるこの感じ。そして、そうなったら、走りたくなる、私。できれば競技を続けたいと先生に伝えると、手術をして取り除いてしまうのは勿体ないからということで、硬膜外ブロック注射というのを打つことになりました。学校の授業を休むわけにはいかないので、夏休みに入院して、秋のインカレには応援に行けるような日程を組んでもらいました。ただ、注射が効かなくて(笑)結局2、3回硬膜外ブロック注射を打ったんだけど、だめで、神経根ブロック注射っていうのもしたんだけど、結局痛みは取れませんでした。少しは良くなった気はしますけど…。こんな感じでいろいろ注射を打ったので、入院期間も伸びて秋のインカレにも行けなくて…。病院で回ってくる連絡のメールを見ながら、泣いていました。(笑)取り残された感が半端なかった。その後は、少し良くなったこともあって、退院して、リハビリをして…。現役復帰を目指しました。でも、あれだけ続けたいからって治療をしたのに、逃げの姿勢は変わらなくて。部活を休んだり、学校を休んだりしては、走れない日々の繰り返しでした。先輩方には本当に迷惑をかけてしまったと思います。すぐ泣いてしまって、「もう辞めます。」っていう私を引き留めてくださった先輩方には感謝しかないです。本当にありがとうございました。大学1年目の入院後は、ほとんど走ることなく、欠場の繰り返しで逃げてばっかりだったと思います。ここで気づいたことが1つ。試合出るのってすごくお金がかかる!今まで、中学でも高校でも試合のお金は払ってもらっていたので、そんなこと気づかず…。自分でお金を出すようになってから、欠場することの重みをお金で知ることになりました。本当は簡単に欠場とかしていいものではない。試合に出られることを当たり前と思わずに、感謝をしなくちゃですね。

 さて、次回は大学2年のことについて書きたいと思います。読んでくださってありがとうございました。