太平記 現代語訳 10-3 新田義貞、反撃に転ず・第2次分陪河原合戦

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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分陪河原(ぶばいがわら:東京都・府中市)で敗戦してしまい、新田義貞(にったよしさだ)は、ガックリきていた。

ところが5月15日の夜、かねてから新田陣営に参加しようと思っていた三浦義勝(みうらよしかつ)が、相模国(さがみ:神奈川県)の武士たち、すなわち松田(まつだ)、河村(かわむら)、土肥(とひ)、土屋(つちや)、本間(ほんま)、渋谷(しぶや)らから構成の6,000余騎の軍団をひきつれて、参陣してきた。

義貞は大いに喜び、ソク、三浦義勝に対面。礼厚くして席を近づけ、今後の作戦について、彼に意見を求めた。

新田義貞 見ての通りの状態さね・・・これからいったい、どうやって戦っていったらいいと思う?

三浦義勝 ・・・うん・・・そうですねぇ・・・。

新田義貞 ・・・。

義勝は、かしこまっていわく、

三浦義勝 今や天下はまっ二つに割れ、自らのサバイバルを、ひたすら合戦の勝敗に賭している状態。これからなおも10度、20度と、わが方と幕府方、あちらとこちらの優劣が入れ替わることは、十分ありうるでしょう。

新田義貞 うん。

三浦義勝 しかし、しかしですよ、遅かれ早かれ、最終的な決着は、天命の帰する所に落ち着くわけ。だからね、いつかは、新田殿が、天下に太平をもたらすことになる事、まちがいなし!

新田義貞 ・・・。

三浦義勝 新田殿の陣営に、この義勝が加わって戦うってんだからね、こちらの軍勢は10万余騎だ。これでもまだ、幕府軍の数には及ばねぇけんどね、今度の合戦こそは、一勝負(ひとしょうぶ)やりましょうぜぃ!

新田義貞 でもなぁ・・・わが方の連中、みぃんな疲れきっちゃってるぜ。こんな状態でよぉ、あの勇み誇る幕府の大軍に、はたして、立ち向かっていけるもんかなぁ。

三浦義勝 次の戦は、絶対に勝てます、勝てますって! そのわけはね・・・。

新田義貞 うん・・・。

三浦義勝 古代の中国において、秦(しん)国と楚(そ)国とが戦いを交えた時(注1)、楚の将軍・ 武信君(ぶしんくん)、すなわち項梁(こうりょう)は、わずかに8万余の軍勢でもって、秦の将軍・李由(りゆう)の軍80万に勝利し、秦軍の首を切る事40万余、という結果に。

三浦義勝 これより、項梁は心おごり、気がゆるんでしまって、「秦軍恐れるに足りず」というような、うわついた気分になってしまった。これを見た楚の副将軍・宋義(そうぎ)いわく、「「戦に勝って将軍がおごり、兵卒がだらけてしまったら、その軍は必ず破れる」と言うではないか。武信君は今まさにこのような状態、彼の最期は近いぞ。」。その言葉のごとく、後日の戦に、項梁は、秦の左将軍・章邯(しょうかん)とのたった一戦に敗れ、命を失ってしまったんですよ。

三浦義勝 オレね、昨日ひそかに部下を送ってね、幕府軍サイドのようすをさぐらせてみたんです・・・あちら側の大将たちの、いやぁ、そりゃぁもう、おごりたかぶってることといったら、もう・・・まさにこの、「武信君状態」ですよ。宋義が懸念したのと同じような状態になってまさぁ。

新田義貞 ふーん・・・。

三浦義勝 明日の合戦では、元気イッパイの新手のオレの軍団、一方面の先陣を承って、敵とイッチョウ、バシバシーンと、刃を交えてみたいもんだなぁ!

新田義貞 うーん!

義貞は、義勝に深い信頼感をおぼえ、次回の戦の作戦立案を義勝に委ねた。

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(訳者注1)三浦義勝がここで言っている「楚」とは、秦の始皇帝が中国全土を統一する前に存在した、戦国時代の[楚]ではなくて、秦帝国打倒に決起した項氏一族とその旗下に参集した集団の事である。
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明くる5月16日午前4時、三浦義勝率いる4万余騎は、倒幕軍の先頭を進み、分陪河原へ押し寄せた。

敵陣近くなるまでわざと、旗の上部を下ろさず、トキの声も上げない。幕府軍を油断させて接近した後、一気に攻撃をしかけよう、という作戦である。

義勝のヨミの通りであった。

幕府軍サイドは、前日数度もの合戦に人馬みな疲れきっていた上に、倒幕軍サイドが再び、攻撃をしかけてくるなどとは思いもよらずに、馬に鞍も置かず、武具の配備もいいかげんにしていた。遊女と枕を並べ、帯紐(おびひも)を解いて臥(ふせ)せっている者もおれば、酒宴に酔いつぶれて前後不覚に寝入っている者もいる。これぞまさしく、前世になした業の報い、今まさに目前に迫る自滅寸前の姿と言うべきか。

河原に面した所に陣を張っていた者たちが、接近してくる三浦軍を見つけて、警告を発した。

幕府軍メンバーA たった今、正面方向に、旗を巻いて静かに馬を進ませてくる大軍が出現! もしかして敵かも、各々方、ご用心!

幕府軍メンバーB あぁ、そりゃぁきっと、例のアレだろう、アレ。なんでもなぁ、三浦義勝が相模の勢力を引き連れて、こっちに援軍に向かってるってな事、聞いてるから。

幕府軍メンバーC あ、そりゃきっと、三浦の援軍だい。

幕府軍メンバーD 援軍かぁ、そりゃぁ、メッチャいいニュースだぁ!

三浦軍に対して、警戒の目を向ける者など一人もいない。とことん運命の尽きている幕府軍、まことにあきれたものである。

新田義貞は、先駆けする三浦義勝に追いつき、10万余騎を3手に分けて、攻撃命令を発した。

新田義貞 全軍、三浦の後に続けーーっ! エェイ! エェイ!

倒幕軍メンバー一同 ウオーーーー!

倒幕軍は、一斉にトキの声を上げ、三方向から幕府軍めがけて押し寄せていく。

幕府軍総大将・北条泰家(ほうじょうやすいえ)は、びっくりぎょうてん、

北条泰家 馬引けぇ! 鎧はどこだぁ!

このようにあわて騒ぐ中、新田義貞と脇屋義助(わきやよしすけ)率いる軍は縦横無尽に、幕府側陣営を蹂躙(じゅうりん)して廻る。

三浦義勝はこれに力を得て、江戸(えど)、豊島(としま)、葛西(かさい)、川越(かわごえ)、坂東八平氏(ばんどうはちへいし)武士団、武蔵七党(むさししちとう)武士団らのメンバーを7手に分け、蜘蛛手(くもで)、輪違い(わたがい)、十文字(じゅうもんじ)、「一人残らず敵殲滅(せんめつ)!」とばかりに、幕府軍を攻撃する。

かくして、幕府軍側は三浦義勝の謀略にはまり、その大兵力をもってしても、もはやなすすべもなく、散りじりになりながら、鎌倉めざして引き退いていく。その戦死者は、数え切れないほどである。

幕府軍総大将・北条泰家でさえも、あわや関戸(せきと:東京都・多摩市)付近で討ち死にか、と思われるようなキワドイ局面もあったが、幕府軍・横溝八郎(よこみぞはちろう)がその場に踏みとどまり、迫り来る倒幕軍メンバー23人をしばしの間に射落としながら、主従3人、討死。

安保道堪(あぶどうかん)父子3人とそれに従う100余人も枕を並べて討死。

その他の北条家譜代(ふだい)の郎従(ろうじゅう)たちや、北条家恩顧(おんこ)の家の者ら300余人が、とって返して倒幕軍と戦い、次々と倒れていく中、北条泰家はかろうじて、鎌倉・山内(やまのうち:神奈川県・鎌倉市)に無事、帰りついた。

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長崎高重(ながさきたかしげ)は、久米川(くめがわ:東京都・東村山市)の合戦の際に組み伏せて切った首2個、切って落とした首13個を中元(ちゅうげん)と下部(しもべ)に持たせ、鎧に突き立った矢を抜く余裕も無い中に、かろうじて鎌倉へたどりついた。

傷口から流れ落ちる血で、白糸の鎧を真っ赤に染めながら、高重はしずしずと、北条高時の館へ参じ、中門の前にかしこまった。

彼の祖父・長崎円喜(ながさきえんき)は、嬉々として彼を出迎え、自らその傷口を吸い、血を口中に含みながら、涙を流していわく、

長崎円喜 (ズズゥィーー・・・(血を吸う音)ズズゥィーー・・・)なぁ、高重・・・昔のことわざになぁ、「子供のデキ・フデキを見抜く事にかけては、その父を越える者はいない」って言ってなぁ・・・。

長崎高重 ・・・。

長崎円喜 (涙)わしはなぁ、高重・・・オマエの事をなぁ、「あれじゃとても、高時さまのお役に立てるような人間じゃぁないよなぁ」って思ってたんだ。だから、いつもお前の事をなぁ、「かわいくないヤツだぜ」って思ってた・・・でも、それは、大間違いだったなぁ。

長崎高重 ・・・。

長崎円喜 オマエはたった今、「万死を出でて一生に逢った」ってわけだ。

長崎高重 ・・・。

長崎円喜 あの、新田の堅い陣を、みごとに打ち破ったってぇ、いうじゃぁないか! すばらしい、ジツに、すばらしいぞぉ! あの陳平(ちんぺい)や張良(ちょうりょう)(注2)だって、そこまでうまくやれるかどうか・・・オマエはみごと、軍事の最高のレベルを究(きわ)めたんだ、大いに自慢していいんだぞぉ!(涙)

長崎高重 ・・・。(涙)

長崎円喜 いいか、これからもよくよく心してな、戦場に臨んでは常に、「合戦こそは我が一大事」と思ってな、父祖の名を天下に顕わし、高時殿にもしっかりと、ご恩奉じをしていくんだぞ、いいな、わかったな、高重!(涙、涙)

長崎高重 (何度もうなづく)ううう・・・。(涙、涙)

高重の顔を見る毎に、小言ばかり言っていた円喜であったが、今日はいつもとは全く違い、今回の戦で示した彼の武勇を、深く感じ入ってくれている・・・高重は頭を地に付けて、祖父の言葉を心の中でじっとかみしめた。

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(訳者注2)陳平、張良ともに、漢の高祖の名参謀。
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関東での倒幕軍相手の思わぬ大敗北に、鎌倉幕府全体が色めきたっている中に、西の方から、驚天動地(きょうてんどうち)の情報がとびこんできた。

急使 一大事、一大事! 京都の六波羅庁(ろくはらちょう)、反乱軍の攻撃により陥落! ハァ、ハァ・・・(荒い息)。

幕府リーダー一同 ナニィーー!

急使 六波羅庁メンバー、京都を脱出するも、近江(おうみ:滋賀県)の番場(ばんば:滋賀県・米原市)にて全員自害! ハァ、ハァ・・・(荒い息)。

幕府リーダー一同 ナァァニィーーーー!

幕府リーダーK (内心)まさに今、関東の大敵と、

幕府リーダーL (内心)死闘を展開している、さ中だというのに、

幕府リーダーM (内心)またまた、このような事を聞くだなんて・・・。

幕府リーダーN (内心)なんということだ・・・。

幕府リーダーO (内心)いったい、これから先、いったい、どうしたらいいんだ・・・。

全員途方に暮れ、呆然と立ちすくむばかりである。

やがて、この情報は、六波羅庁に派遣されていた者たちの家来や親族たちにも伝わっていった。彼らの嘆き悲しむその様は、もはや言葉にはつくしがたい。

いつもは猛く勇ましい人々も、さすがにこの事態には、手足もなえるような心地がして、平常心を完全に失ってしまっている。

幕府リーダーK 今はまさに、非常事態。でも、ただ手をこまねいて、あわてふためいているだけでは、どうしようもないだろう。

幕府リーダーL そうだ、まったくその通りだ。

幕府リーダーM 最優先課題は、今、目前に迫ってる大敵の方でしょう。

幕府リーダーN そりゃそうです、当然そっちが先ですよ。

幕府リーダーO 新田軍を退けてこそ、京都へも、軍を送ることができるってもんでしょ。

幕府リーダーP まずは、鎌倉防衛の作戦会議、しなきゃぁね。

幕府リーダー一同 賛成!

幕府リーダーM もう一つ重要な事、それは情報管制。六波羅庁陥落のことを、新田のレンチュウらに知られちゃまずいや。

幕府リーダー一同 同感だ。

幕府リーダーP なんとか、手をうたなきゃなぁ。

しかし、それはもはや、隠しようもない事実、「六波羅庁陥落のニュース」はあっという間に、関東一円に広まった。

倒幕軍メンバーW おいおい、聞いたかよぉ! 六波羅庁陥落だってよぉ!

倒幕軍メンバーX いやぁ、おれたちにフォワードの風、ビュンビュン吹き出したじゃぁん。

倒幕軍メンバーY こないだの分陪河原での大勝利だけでも、うわぁこりゃスゲェやぁと思ってたのにぃ。

倒幕軍メンバーZ それに輪ぁかけてねぇ、メデッタ(目出度)、メェデッタァーのぉ・・・。

倒幕軍メンバー一同 ウワハハハ・・・。(パチパチ・・・拍手)。

倒幕軍メンバーW さぁ、やぁるぞぉーーー!

倒幕軍メンバー一同 イィケイケイケェーー!(パチパチ・・・拍手)。

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