太平記 現代語訳 16-18 光厳上皇、東寺へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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「持明院統(じみょういんとう)の皇族方も、延暦寺(えんりゃくじ:滋賀県・大津市)へご避難あそばされるべし」ということで、太田全職(おおたたけもと)がおともして、花園上皇(はなぞのじょうこう)、光厳上皇(こうごんじょうこう)、豊仁親王(とよひとしんのう)も、坂本へ向けて発たれた。

しかし、光厳上皇は先に、足利尊氏(あしかがたかうじ)に対して院宣を送っていたので(注1)、輿が北白川(きたしらかわ:京都市・左京区)あたりにさしかかった時に、

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(訳者注1)16-7に、尊氏が院宣を受け取るシーンがある。
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光厳上皇 (内心)今回のこの騒動、自分にとってはまたとないチャンス・・・天皇に復位できるかも・・・。

光厳上皇 あんなぁ、急に気分が悪ぅなってきてしもぉた。法勝寺(ほうしょうじ:左京区)まで、輿を戻せ。

上皇は、法勝寺の塔の前まで輿を引き返させ、そこで時間をかせいだ。

そうこうするうち、足利軍が京都に乱入してきたと見えて、四方から兵火が上がりはじめた。北白川で光厳上皇をジリジリと待っていた太田全職は、焦りだして、

太田全職 新院陛下のお帰りを、いつまでもお待ちしてるわけにはいかん! 本院陛下(注2)、親王殿下だけ、先に、坂本へお遷し申し上げよ!

ということで、皇族御二人だけが坂本へ向かうことになった。

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(訳者注2)「本院」が花園上皇、「新院」が光厳上皇である。
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一方、法勝寺に留まった光厳上皇は、

光厳上皇 このまま、ここにじっとしててもなぁ・・・太田がここに戻ってきたら、エライ事になってしまうし・・・どないしょう?

日野資名(ひのすけな) とにかく、どこか他のとこへ、逃げ込む事にしましょう。どこがえぇやろかなぁ?

三条実継(さんじょうさねつぐ) 東寺(とうじ:南区)は、どないですやろ?

日野資名 よし、そこにしょう。さ、陛下、わたいらが、お供しますから。

かくして、光厳上皇は、日野資名と三条実継に伴なわれて、東寺へ逃げ込んだ。

これを聞いた足利尊氏は、

足利尊氏 ナニ! 新院陛下が東寺に?!

足利尊氏 (内心)やったぞ!

足利尊氏 みんな、よく聞け! たった今から、東寺が皇居だぞ! わが国の主、新院陛下は、東寺におわすのだ!

足利軍メンバー一同 エーッ!

足利尊氏 それぇ! 東寺へ急げぇ!

足利軍メンバー一同 ウォーイ!

久我(くが)はじめ、後醍醐天皇について行かなかった公家たちも、やがて東寺に参集してきた。

足利尊氏 本日をもって、わが日本国に、新しい政権が誕生した! 諸君、今日から、新しい日本がスタートするのだぁ!

足利軍メンバー一同 バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!

まさに、この光厳上皇の東寺への退避行は、足利尊氏の運が今後大きく開けていく瑞兆であったといえよう。

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