太平記 現代語訳 26-5 吉野朝、賀名生において、逼塞状態に

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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京都朝年号・貞和(じょうわ)5年(注1)1月5日、四条縄手(しじょうなわて)の合戦において、和田(わだ)・楠(くすのき)軍は全滅し、今は、楠正行(くすのきまさつら)の弟・正儀(まさのり)が生き残っているだけの状態となった。

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(訳者注1)ここは、太平記作者のミスであり、四条縄手の戦があったのは、貞和4年(1348)である。
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高師泰(こうのもろやす) このチャンスを逃がしちゃいかん! 楠氏の拠点、残らず掃討しちまうんだ!

高師泰軍メンバー一同 ウィッスゥ!

師泰は、3,000余騎を率いて、石川河原(いしかわがわら)に向城(むかいじろ)を築き、楠一族を攻めたてた。高師泰側と楠側、互いに攻めつ攻められつ、合戦の止む間もない。

一方、吉野朝(よしのちょう)の後村上天皇(ごむらかみてんのう)は、天川(てんかわ)の奥、賀名生(あのう:奈良県・五條市)という所に、小さな黒木の御所を建て、そこに住むことになった。

後村上天皇 (内心)まぁ、こないな粗末な御所やけどな、かの中国太古の時代、堯(ぎょう)帝や舜(しゅん)帝は、屋根を葺(ふ)いた茅(かや)の端を切り揃える事もせんと、ものすごい質素な生活をしてたというやないか。当時の虚飾無き生活は、まさに今のこの、私の状態みたいなもんやったんやろ。そない思うたら、こういう生活もまた、えぇもんかもしれんて。

しかし、天皇の母・廉子(れんし)や皇后たちは、とてもそういう気持ちにはなれない。

廉子 あーあ、ここはまたなんちゅう粗末な住いやねんなぁ(涙)。屋根に瓦も無いがな、ただ柴で葺いたるだけやないかいな。雨が降ったら降ったらで、軒からじゃぁじゃぁ、雨水が垂れ落ちてくる。あぁ、もういやや、こないなとこに住みとうない・・・みじめや・・・みじめや・・・ううう・・・。(涙)

女性方の涙は、乾くひまもない。

しかし、屋根の下に住めるだけ、まだましというものだ。公卿たちは、木の下や岩の陰に松葉を葺きかけ、寝具といえば苔が筵(むしろ)の代り、そのような場所を、我が身を置く宿とするしかないのである。

公卿A (内心)はぁー・・・こらぁ、ほんまにまいったでぇー・・・。

公卿B (内心)高峯(たかね)の嵐は吹き落ちて 夜の衣をひるがえし

公卿C (内心)露の手枕寒ければ 昔を見せる夢も無し

身分が低い者たちは、もっとみじめである。

身分が低い者D (内心)もうたまりまへん、わし、こないな生活には、もうとても耐えられしまへん。

身分が低い者E (内心)暮山(ぼさん)の薪(たきぎ)を拾うては

身分が低い者F (内心)雪を戴(いただ)くに 膚(はだ)寒く

身分が低い者G (内心)幽谷(ゆうこく)の水を掬(むす)んでは(注2)

身分が低い者H (内心)月を担(にな)うに 肩やせたり(注3)

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(訳者注2)谷川の水を両手で掬(すく)うこと。

(訳者注3)この部分は原文のまま記載した。その意味はおそらく、「夕暮れの山に入って薪を取っている。雪が積もる吉野の寒さが、厳しく肌に迫ってくる。深い谷に入って水を汲んでいる時、月光の下、水面に映る自分の姿を見て、驚いた。いつの間に、自分の肩は、このようにやせ細ってしまったのか!」。
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身分が低い者I (内心)こないなとこで、もうわし、よぉ生きていかん・・・1日、いや、1時間もムリや。いっそのこと、死んでしまいたい!

身分が低い者J (内心)いやいや、人間、命あってのモノダネやぞ、死んで花が咲くもんかいな。

身分が低い者K (内心)耐えて耐えて、生き抜いてったら、

身分が低い者L (内心)そのうち、運命も開けてくるかも・・・。

身分が低い者M (内心)歯ぁくいしばって、ここでがんばってみるとしょうかいな。

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