太平記 現代語訳 28-7 足利直義、吉野朝サイドへ 付・漢高祖と楚項羽の戦い

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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仁木(にっき)、細川(ほそかわ)、高(こう)家の人々らに背かれた足利直義(あしかがただよし)は、京都を出奔してはみたものの、大和(やまと)、河内(かわち)、和泉(いずみ)、紀伊(きい)の勢力らはいずれも、吉野朝(よしのちょう)側陣営に所属しており、今更、彼の味方をしようとする者は誰もいない。

足利直義 これじゃぁまるで、沖からも磯からも離れちゃって、中途半端なままフラフラ漂ってる舟みたいなもんだな。完全に進退を失ってしまったよ。

越智伊賀守(おちいがのかみ) そうですなぁ・・・このままでは、どないにもこないにも、しようがありませんわなぁ・・・この際、いちかばちか、吉野朝(よしのちょう)方へ投降してみはったら、どないでっしゃろ?

足利直義 えっ! 吉野朝へ?!

越智伊賀守 ダメモトですがな、ダメモト! 今までの事にワビ入れはってな、ほいで、吉野朝に身を寄せて、我が身の安全を確保しはってな、それから、態勢挽回、図らはったらよろしがな。

足利直義 ・・・うん・・・うん・・・なるほどな・・・。

直義は、吉野朝へ特使を派遣し、以下のような書状を提出した。

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元弘(げんこう)年間の初め、先帝陛下は、逆臣・北条高時(ほうじょうたかとき)により、西海(さいかい)の隠岐(おき)島に遠流(おんる)の身となってしまわれました。

ご苦悩のただ中にあられた先帝陛下よりの勅命に応じて、義兵を起す者もおりましたものの、あるいは敵に囲まれ、あるいは戦に負けて気力を屈し、打倒鎌倉幕府の志も、ついに空しいものとならんか、という状態でありました。

そのような中にあって、いやしくも私、足利直義は、尊氏(たかうじ)卿に対して上洛を勧め、勅命に応じて決戦し、再び天下を、皇室のものならしめたのでありました。今上(きんじょう)天皇陛下におかれましても必ずや、その事をご記憶に留められ、我々のその行為を良しとして下さっておられることと、存じあげます。

ところがその後、我々足利兄弟は、かの新田義貞(にったよしさだ)の讒言(ざんげん)により、罪無くして勅勘(ちょっかん)を受ける身となってしまいました。以来、君臣は、吉野と京都に別れて疎遠の度を増すばかり、わが足利一族は悉く、朝敵の汚名を受ける事になってしまいました事、いかほど嘆いてみても、嘆き切れぬ事でございます。

私の罪は、まことに重いものがあります。しかしながら、ここに伏して、御朝廷に、以下の如くお願いたてまつります。

もしも、陛下が過去の事をすべて水に流してくださり、前非を深く悔いておるこの私めの咎をお許しくださいまして、今直ちに赦免のお言葉を下し頂けますならば、私は、喜んで御朝廷の戦列に加わらせていただきたいと存じます。四海の逆乱を直ちに静め、陛下の御治世を安泰たらしむるべく、粉骨砕身、努力いたす所存でございます。

以上の旨、なにとぞ、内々に陛下のお耳にお伝えしていただきますように、ここにつつしんでお願いたてまつる次第です。

12月9日 沙彌慧源(注1)

大納言・四条隆資(しじょうたかすけ)殿
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このように詳細な書状を記して、吉野朝へ降参したい由を送った。

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(訳者注1)「慧源」は、出家の後の直義の号。
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吉野朝の重臣らは、直ちに御所に参内し、この件についての検討を行った。

真っ先に口を開いたのは、洞院実世(とういんさねよ)である。

洞院実世 あのね、我々サイドに降参したいやなんて、直義も殊勝な事を言うてきとりますけどな、こんなん信じたらあきまへんで! これは、虚偽以外の何ものでもありません!

閣議メンバー一同 ・・・。

洞院実世 足利家代々に譜代家臣として仕えてきよった高家の兄弟、ほれ、あの師直(もろなお)と師泰(もろやす)、あの二人に、京都から追い出されてしもぉて、どこにも身の置き所が無(の)うなってしまいよった、そやから、こないな事、言うてきとるんですわ。自分の怨恨晴らさんがため、ちょっとの間、陛下のご威光を借りよう、ちょっとの間、陛下に気に入られとこ、そういう魂胆(こんたん)ですわ。ミエミエですがなぁ。

閣議メンバー一同 ・・・。

洞院実世 皆さん! 考えてもみてくださいよ! 私らが、京都からこの地へ出てきてしもてから、もう既に20余年(注2)。その間、私らはいったい、どないな思いで生きてきました?! 陛下におかれてはもちろんの事、百司千官みんな、どないなツライ思いして生きてきた事か・・・来る日もぉ来る日もぉ、京都の方の空を見上げながら、生きてきた・・・(涙)・・・翼を切られた鳥のような無念の思いの中に・・・ずっと・・・ずっと・・・生きてきたんとちゃいましたか!(涙)

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(訳者注2)実際は16年間である。
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閣議メンバー一同 (うなずく)・・・。(涙)

洞院実世 それもこれも、元はといえば、あの直義のせい、足利直義の悪逆非道の故にですよ・・・。それがですよ、なんとまぁ、今や我らの軍門に投降したいと、願い出てきとるんですがな! まさに、天の与えた贈り物ですがな!

洞院実世 この機会を逃してはいけません! 断固、今この時、足利直義を誅するべきであります! この時を逃したら、後の禍を招くは必定(ひつじょう)だっせ。後悔の臍(ほそ)をいくら噛んでみても、失われた時は二度と再び、戻ってはきいひんのですわ!

洞院実世 ただただ速やかに、討手(うって)を大和に差し遣わして、足利直義を誅殺、その首を、御所の門の前に曝(さら)すべきですわ!

閣議メンバー一同 ・・・。

全員しばらく思案の後、二番手に口を開いた二条師基(にじょうもろもと)いわく、

二条師基 古代中国・漢王朝のあの謀臣、張良(ちょうりょう)が記した「三略(さんりゃく)」に、次のような言葉がありますわなぁ・・・「恵(けい)を推(お)し、恩を施せば、士力日々新たに戦うこと、風の発するが如し」。

閣議メンバー一同 ・・・。

二条師基 己の罪をわびて、新たに戦列に加わってきた者は、忠貞に怠らず、万事に誠意をもって努力するもんや、こういう人間はかえって、二心が無くなるもんなんや・・・張良は、このように言うておるわけですよ。

二条師基 まぁ、見てみなはれ、古代中国の歴史を。

二条師基 秦(しん)王朝の将軍・章邯(しょうかん)は、戦いに敗れて楚(そ)の項羽(こうう)の軍門に投降、その後、章邯は項羽軍の先鋒として活躍、そしてたちまち、秦王朝は滅亡。

二条師基 斉(せい)の恒公(かんこう)は、昔、自分に対して矢を射掛けた管仲(かんちゅう)の罪を許し、大臣にまでしましたやろ? その結果、管仲の治世よろしくして、斉の国は大いに治まったのでありますよ。こういった史実は、現代の世においても、立派な教訓として、通用しますわなぁ。

二条師基 足利直義がこちらサイドに加わったならば、もはや天下は、陛下の物。朝廷は、末永く安泰となりましょう。そやからね、足利直義のかつての元弘年間の功績を消却することなく、再び官職に復せしめて朝廷が召し使う、今の最良の方策は、これ以外にはありえないと、私は思いますがねぇ。

このように、二人の意見は真っ向から対立した。

閣議メンバーA (内心)かたや、洞院実世、かたや、二条師基、どっちも、わが朝廷の最重要メンバーやがな。なんせ、陛下に堂々と諫言(しんげん)できるのは、この二人やねんからなぁ。

閣議メンバーB (内心)こら困ったな、どっちの言い分聞いても、「なるほど、もっともやな」と思えてくるわ。

閣議メンバーC (内心)双方の意見、どちらも、メリット、デメリットがあるわいな。

後村上天皇(ごむらかみてんのう) (首を傾けながら考える)(内心)うーん・・・これはムズカシイ・・・。どっちの意見を採用すべきか・・・うーん・・・これはムズカシイなぁ・・・。

閣議メンバー一同 (内心)ウーン・・・。

しばらく続いた沈黙を破ったのが、北畠親房(きたばたけちかふさ)であった。

北畠親房 漢王朝といえば・・・初代君主、漢の高祖(こうそ)は、最初は、沛公(はいこう)と呼ばれていたんでしたなぁ・・・沛公は秦の世が傾きだした時、己の任地、沛郡で挙兵したんやった。そして、そのライバル、項羽(こうう)は、楚(そ)の地で挙兵したんやった・・・。

(以下、北畠親房が語った、沛公と項羽の話)
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沛公と項羽の挙兵と時を同じくして、秦に滅ぼされたかつての戦国時代の六国の諸侯たちもこぞって、秦に反旗を翻しはじめた。彼らは続々、沛公と項羽の旗下に参集してきて、二人の勢力は徐々に増大、沛公は10万余、項羽は40万を率いるようになった。

やがて、沛公の軍は漢の濮陽(ぼくよう)の東に布陣、項羽の軍は定陶(ていとう)を攻略して雍丘(ようきゅう)の西に至った。

ここに、孫心(そんしん)という、かつての楚王の末裔に当たる人がいた。その祖先は、楚の王室から下野して久しく、彼は当時、羊を飼って暮していた。

沛公と項羽は、この孫心を取りたてて「義帝」と号し、冠にかつぐことにした。そして、その新しい帝の前で、「先に秦帝国の首都・咸陽(かんよう)に入って秦を滅ぼした者を必ず、天下の王としよう」との約を交わした。

その後、二人は東西に分かれ、秦国の中心部めがけて軍をつき進めていった。

鉅鹿(きょろく)に至った項羽を待ちかまえていたのが、100万騎を率いる秦の左将軍・章邯(しょうかん)であった。

項羽 (内心)敵は大勢、味方は小勢。一人たりとて生きて帰らじと、覚悟固めて一心に戦わぬ限り、千に一も勝機は無い。この思い切ったるわしの心中を、全軍に徹底せしめるためには、いかがすべきや?・・・うん、よし、こうしよう!

項羽は、自ら20万騎を率いて河を渡った後、船を沈め、釜や炊飯器を捨て、陣屋を焼き、その決意を全軍に示した。

かくして、項羽と章邯は、9度相対して100度、戦を交えた。

やがて項羽は、秦の副将軍・蘇角(そかく)を討ち、王離(おうり)を生け捕りにした。

討たれた秦側の兵は40余万人、章邯は、もはや戦いを続行する事が不可能となり、ついに項羽に投降、翻って、秦帝国攻略の先鋒と化した。

次に項羽は、新安城(しんあんじょう)の戦いにも勝利、秦側兵士の首を斬ること20万。

項羽が向かう所ことごとく、破れない都市は無く、攻める城は片っ端から落ちていった。

しかし彼は、その赴く先至る所で、美女を愛し、酒におぼれ、財を貪り、住民を殺戮(さつりく)していった。いきおい行軍のスピードはスローダウン、未だ、秦帝国の首都に突入することができずにいた。

漢王朝建国・元年11月、ようやく項羽は、秦の首都・咸陽の東側の入り口、函谷関(かんこくかん)に到着。

ところがなんと、咸陽には既に、沛公が入城してしまっていた。

項羽とは別ルートで軍を進めた沛公は、兵力も少なく、難所続きの道中であった。しかし、彼は民を憐れみ、人を撫する心も深く、財をも貪らず、人を殺す事も無かった。彼の進軍ルートの先に位置する城は自ずから下り、秦側の勢力はことごとく、彼の下に投降してきた。

このように、「道開けて事安かりし」状態の中に、沛公は項羽に先だつこと3月にして、秦の帝宮・咸陽宮へ入ったのであった。

中国全土を手中に収めんとの野望を持つ沛公は、秦の宮室を焼く事もなく、始皇帝陵墓の土中の宝玉を暴く事もなく、投降してきた秦の帝王・子嬰(しえい)をも保護した。

沛公 さぁてさて、例の約束があったよのぉ、「先に秦の王宮に入った者が、中国全土の主になる」・・・項羽よ、お先に失礼、ワハハハ・・・。約束通りに、中国全土の主にならせて頂くぞよ!

沛公 函谷関へ、兵を進めよ! 関の門を閉じ、項羽を一歩たりとも、秦の領域に入らせるでないぞ!

沛公の臣たち一同 りょうかぁーい(了解)!(ニヤリ)

数か月後、函谷関へたどりついた項羽は、驚愕した。

項羽の臣D 殿、一大事ですぞ! 沛公はすでに、秦の都城の中におりまする!

項羽 なんじゃとぉ!

項羽の臣D して、函谷関を、自らの兵をもって、塞いでおりまする! あやつめ、我々の通行を拒絶しおりましたぞ!

項羽 ウヌーッ ふざけおって!(激怒)。よし、あやつに、メニモノ見せてくれるわい!

項羽は当陽君(とうようくん)に12万の兵を与え、函谷関を打ち破らせた。

全軍を率いて咸陽宮へ入った項羽がまず行った事は、殺戮(さつりく)と破壊であった。

沛公に投降した秦の旧皇帝・子嬰を殺し、咸陽宮に火を掛けた。四方370里にわたって建ち並んでいた宮殿楼閣はことごとく焼失、その火は3か月間、燃え続けた。

まことに悲しいかな、秦帝国初代の君主・始皇帝(しこうてい)の陵墓である驪山(りざん)の神陵も、たちまちに灰燼と化してしまった。

始皇帝は常々、自らの死後の世界に対して、はかない願いを抱いていた・・・「今生の人生で得たこの富貴を、あの世にまでも、身から放さず持って行きたい」と。ゆえに、その陵墓の中に、楼殿を建造させ、山や川まで造営させていたのである。墓の上方には、日月をかたどった10丈ほどもある金銀の鋳物を掛け、地面には江海を形どった広さ100里にも及ぶ水銀の湖があった。

人魚の油10万石を銀製の油皿に入れて、常に灯火を燃やしていたので、太陽が差し込まぬ暗い墓の中も、まるで青天白日の下にいるかのようであった。

始皇帝の崩御の時には、多数の人々が殉死した。三公以下の官人6,000人、宮門守護の兵10,000人、後宮の美女3,000人、楽府(がくふ)の妓女(ぎにょ)300人、みな生きながらに、神陵の土中に生き埋めにされ、苔の下に朽ちていったのである。「俑(よう)を作る人はそれ以来、跡を絶ってしまったのであろうか(注3)」との孔子の言葉、今にして思い知られる事である。

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(訳者注3)原文には、「始めて俑を作る人、後無からんか」。訳者には、これの意味がよく分からない。始皇帝陵墓から出土のあの「兵馬俑」と何か関係がある?
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このように、様々の執念を燃やし、様々の詔を下して残された神陵であれば、始皇帝の妄執もきっとその地に留まっているであろうに、項羽は一切おかまいなしに、これを掘り崩し、殿閣ことごとく焼き払ったのである。始皇帝と共に、一旦はあの世のものとなった宝玉が再び人間界に戻ってくるとは、まぁ何とすさまじい事であろうか。

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この時、項羽の兵は40万、新豊(しんほう)の鴻門(こうもん)にあった。沛公の兵は10万、咸陽の覇上(はじょう)にあった。

両者の間は30里、しかし沛公は未だに、項羽のもとにあいさつにやってこようとしない。

ここに、范増(はんぞう)という老臣が、項羽の下にいた。范増いわく、

范増 殿、あの沛公という男、よくよく、気をつけておいた方がよろしいですぞ。

項羽 ・・・。

范増 あの男が、秦王朝の役人として沛郡にいた時、その日常の振舞いはといえば、財を貪り美女を愛する心尋常ならざるものがありました。しかしながら、どうでしょう、今、咸陽に入りて後は、財をも貪らず、美女をも愛せず。

范増 いったいなぜか? それは、天下を我がモノにせんとの野心を、抱いておるからに他なりませぬ。ようは、まずは世論を我が味方に付けんとの、方略でござりまする。

項羽 ・・・。

范増 わたくし、密かに人をやって、沛公の陣中の様子を探らせました。その者は、彼の陣中で驚くべきものを発見しましたぞ! いったい、何だと思われまするか?

項羽 何があったのじゃ?

范増 「龍に虎」の紋ですわい! 龍虎、それも軍旗の紋印にね。あの男、もはや、中国全土の主になった気分でおるようですなぁ。

項羽 フーン・・・龍に虎のぉ・・・。

范増 殿! 今、速やかに沛公を討たずんば、必ずや、天下をあやつに、のっとられてしまいまするぞ!

項羽 フーン・・・。

項羽 (内心)やれやれ、あいかわらず、范増は、心配性じゃのぉ・・・。わが旗下のこの大軍を見よ! 沛公めが何を画策しようと、あやつに何ほどの事ができようか。

このように、項羽が相手を侮っている所に、沛公の臣下・曹無傷(そうぶしょう)という者が、密使を送ってきた。

密使 わが主よりの手紙でござりまする、ハイ!(手紙をささげ持つ)

項羽 ナニナニ・・・(手紙を開く)

手紙 パサパサ・・・(開かれる音)。

項羽 (内心)フフーン、「沛公、天下に王たらんとしておりまする」か・・・。フーン・・・范増のヨミは当たっておったようじゃな・・・。よし、こうなったら疑いは無い。

項羽 ものども! 明朝、全軍をもって出陣じゃ! 敵は咸陽・覇上にあり!

范増 殿! 決意なされましたな!

項羽 うん、やるぞ! 沛公の陣へ寄せ、一人残らず討ち取ってしまうのじゃ、よいか!

項羽臣下一同 オオーウ!

項伯(こうはく) (内心)ウーン・・・ついに、来る所まで来てしまったかぁ。

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項伯(こうはく)は、複雑な立場にあった。彼は、項羽(こうう)にとっては叔父に当たる。しかも、彼は沛公(はいこう)の下に仕えている張良(ちょうりょう)と、以前から親しかったのである。

項伯 (内心)明日の総攻撃の事、なんとかして、張良に知らせてやらねばの・・・うまく逃げおおせてくれれば、よいのじゃが。

項伯は急いで沛公の陣へ赴き、張良を呼び出していわく、

項伯 明朝、項羽はこの陣へ総攻撃をかけるぞ。もはや一刻の猶予もならぬ。今夜の中に急いでこの陣中から逃げてな、命だけは全うしてくれ・・・頼む。

張良 ・・・。

張良は、もとより義を重んじ、節に臨む時には、わが命を塵芥(じんかい)よりも軽くする人である。

張良 (内心)殿の身に一大危機が迫っているこの時、殿をおいて逃げて行けようか。とにかくこの事を、お知らせせねば!

張良 項伯殿、よぉ知らせてくださいましたのぉ・・・あのぉ、えぇと・・・ちょっと中座させてくださいまし・・・。まずは、急ぎの所用を済ませてきての、それからじっくりと、相談に乗って下さらんか。

項伯 よかろう・・・けど、急ぐのじゃぞ、事は急を告げておるのじゃからな。

張良 はいはい、すぐに戻ってまいりますから。

沛公に目通りした張良は、

張良 (ヒソヒソ声で)殿、タイヘンな事になりましたぞ。たった今、項伯よりこっそり知らせてくれましたるによれば、明朝、項羽は大軍をもって、わが方に襲いかかってくる由(よし)!

沛公 (ヒソヒソ声で)エェッ!・・・。

張良 ・・・。

沛公 (ヒソヒソ声で)わが現有の兵力をもってして項羽と戦ぉたならば、勝敗はいかに? 思いきって運を天に任せ、戦うべきであろうかのぉ?

張良 (ヒソヒソ声で)はい・・・(しばし黙考)・・・わが方の兵力は10万、項羽の方は40万。平原にて戦わば、わが方の勝利、到底期待し難いでしょうな。

沛公 (ヒソヒソ声で)やはりな・・・。そうか・・・戦が無理となれば、外交しか手はない。項伯はまだ陣中におるのか?

張良 (ヒソヒソ声で)はい。私の幕舎に、待たせておりまする。

沛公 (ヒソヒソ声で)今から項伯をここに呼んでな、彼と義兄弟の交わりをなし、互いに親戚となる約を交わそうと思うが・・・どうじゃな?

張良 (ヒソヒソ声で)うーん、なるほど。

沛公 (ヒソヒソ声で)彼に、間に立ってもらってな、項羽とわしとの間を、穏便に収めてもらうのじゃ。どうじゃな、この策?

張良 (ヒソヒソ声で)それぞまさしく、ベスト・ストラテジー(best strategy)に、ござりまする。

沛公は、項伯を帷幕(いばく)の内へ呼び入れた。

まず酒を奉じ、自ら寿(ことぶき)を宣した後、

沛公 ところで項伯殿、たっての願いがあるのですが。

項伯 いったい、なんですかな?

沛公 いやね・・・かつて、わしと項羽殿とは、ある約束を交わしたのですよ・・・「先に咸陽に入った者を中国全土の王としよう」という・・・。

項伯 はい、その約束については、それがしも、聞き及んでおりまする。

沛公 わしは項羽殿より70余日も先に、咸陽に入ったのですぞ。しかしじゃな、その約をタテに取って天下に王たらんなどと、わしは微塵(みじん)も、思ってはおらんかった。秦(しん)国の中心部に入ってからも、手をつけたものは何一つ無い。住民の戸籍を記録し国庫を封印して、項羽殿の到着を一日千秋の思いで、待ち続けておったのです。これは世間の周知の事実でありますぞ。

項伯 しかし、兵を送って函谷関(かんこくかん)を封鎖(ふうさ)されましたな・・・あれはまずかった。あれで、項羽は激怒してしまいましたのじゃ。

沛公 あ、いやいや、それは項羽殿の完全な誤解じゃ・・・誤解じゃよ・・・。項羽殿をどうのこうのしようと思って、函谷関を塞いだのではありませぬ。ただただ、咸陽への盗人の出入りを阻止せんがためじゃ・・・秦が滅亡した今この時、そこいら中に火事場ドロボウが跋扈(ばっこ)しておりまするでな・・・ドロボウだけではない、いかなる非常事態が出来(しゅったい)するやもしれぬではないか、そういった事にも備えておかねばのぉ・・・そう思ったゆえに、関を塞いだのです。

項伯 ふーん・・・なるほど、そういう事だったのですか。

沛公 とにかく項伯殿、願わくば、速やかに帰陣され、我がこの思い、項羽殿に取り次いではいただけませんでしょうかのぉ。わしの側には、徳に背く行いも思いも一切無き事、項伯殿からなにとぞ、お口ぞえいただきたい。そして、明日の戦を、止めていただきたいのじゃ。さすれば、明日にでも、わしは項羽殿の陣に赴き、これまでの誤解を与えるような言動を項羽殿におわびし、我が身の潔白を申し開く所存。

項伯 ・・・わかりもうした。とにかく言ってみましょう。

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項伯は、すぐに馬に鞭打って帰り、項羽の陣に入った。

項伯 ・・・とまぁ、こういうわけじゃよ。沛公はのぉ、「項羽殿にはまことに申しわけない事をした、早急に詫びを入れたい」と、しきりに恐縮がっておったぞ。

項羽 ・・・。

項伯 そもそもじゃな、あのように、沛公が我々よりも先に、秦の中心部を抑えてくれてなかったならばじゃな、いったいどうであったかのぉ? 項羽殿は今のように、咸陽宮に入り、枕を高くし、安心して食事をする事が可能であったかどうか・・・。

項羽 ・・・。

項伯 さすれば、沛公はまさに、「天下の大功績ある人」ではないか。しかるにじゃ、つまらぬ人間の讒言(ざんげん)を信じて沛公を討つならば、それは功績ある人を討つ事、大いなる不義の行為を犯す事になりはしまいか?

項羽 ・・・。

項伯 のぉ、項羽殿! ここはのぉ、沛公と交わりを深ぉして、その功績を賞して、天下を鎮める、これが一番じゃと、わしは思うがのぉ・・・どうじゃ?!

項羽 うん、そうですな・・・

理を尽くしての項伯の説得に、項羽も深く納得し、顔色快くなった。

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やがて、沛公が100余騎を従えて、項羽のもとにやってきた。

沛公は、礼を正し、項羽に対していわく、

沛公 項羽殿、ありし日の光景、今も、我がまぶたの内に浮かんできまするぞ・・・運を天に任せて旗上げをしてはみたものの、秦の勢力は強大にして、当時の我々の勢力は微々たるものでござった。しかし、あなたとわしは力を合わせ、最初の一歩を進めたのでした、打倒秦帝国のイバラの道へと。

項羽 ウーン・・・。

沛公 我ら二人を待っていたのは、戦いに継ぐ戦いであった・・・。項羽殿は、河北(かほく)地方一帯を転戦、そしてわしは、河南(かなん)地方を駆け巡った。

項羽 ・・・。

沛公 お互い、何度も何度も危機に落ちては、かろうじて、秦帝国軍の虎口(ここう)から逃れ・・・そしてついに今日この時、この鴻門の地に、互いに、生きて再びあいまみえる事ができたのじゃ・・・あぁ、感慨無量じゃのぉ・・・。

項羽 ・・・。

沛公 しかるに今や、心ねじけた輩(やから)の讒言(ざんげん)によって、わしと項羽殿との間には、深い深い心の溝ができてしもぉた・・・あぁ、なんと悲しい事であろう!

頭を地に着けて切々と訴える沛公の言葉に、項羽はすっかり心解けたようである。

項羽 いやいや、沛公殿。実はの、おぬしを讒言してきたのは、他ならぬおぬしの臣下、左司馬(さしば)の曹無傷(そうぶしょう)なのじゃぞ。わしの身内からならまだしも、他ならぬおぬしの臣下から、「沛公殿は、項羽殿に敵意をもっておりまする」などと言われてみぃ、もうどうしようもなく、おぬしを疑りたくなるではないか。

沛公 ・・・。

項羽 まったく、人騒がせなヤツじゃのぉ、曹無傷という男は! あやつが下らぬ事を言ってさえこなければ、絶対に、おぬしを疑ったりせんかったのに!

沛公 ・・・。

項羽 いやいや、これは真実じゃぞ、ウソではないぞ! なんなら証人を立てようか? 曹無傷の言葉をきいておったのは、わし一人だけではないでのぉ・・・。おい、おまえ、わしの証人になれい。おまえもあの時、わしの横で聞いておったであろうが?

項羽臣下E はい、たしかに!

沛公 あ、いやいや・・・。

項羽 あぁ、もうよい、もうよい! 疑いが解けたならば、もう、それでよいではないか!

まことに項羽、思慮の浅い男である。

項羽 それにしても、久しぶりの再会じゃのぉ、沛公殿。さ、飲もう! 大いに飲もう!

沛公 はぁ、いやぁ・・・今日わしは、ここに詫びを入れに参ったのですからなぁ・・・なのに、酒など・・・いくら項羽殿のご好意とはいえ、それではあまりに、甘えすぎというものじゃ・・・。

項羽 ナァニを言っておる! いやいや、このままではゼッタイに帰さんぞ! 酒じゃ、酒の仕度をせぇい!

沛公 ・・・では、お言葉に甘えて、少しだけ・・・少しだけですぞ。

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酒宴が始まった。項羽と項伯は東向きに、范増(はんぞう)は南向きに、沛公は北向きに、張良は西向きに座した。

范増 (内心)沛公・・・あのシタタカモノめ、弁舌を弄して、我が身に迫る危機を、うまうまと切り抜けおったわ。

范増 (内心)きゃつは、恐るべきヤツじゃ、何としてでも、シマツしてしまわねばならぬ、さもなくば将来、わが殿に重大な禍根(かこん)をもたらす事になってしまう。

范増 (内心)いつかはやらねば・・・ずっと、そのように思ってきた・・・そしてその日がついにやってきた・・・。飛んで火に入る夏の虫・・・沛公は今、わが目の前におる、アヤツを守る兵の数も少ない・・・絶好のチャンスじゃ、かようなチャンス、二度と廻(めぐ)っては来ぬ・・・よし!

范増は、自らの腰に佩(は)いた太刀の束(つか)をぎゅっと握り締め、項羽に目配(めくば)せを送った。

范増 (内心)殿! さぁ、ご命令下さい、「沛公を殺(や)ってしまえ」と。さすれば拙者、沛公と刺し違えまする! さ、殿!

項羽 (チラッと范増の方を見やる)・・・。

范増 (内心)えぇい、分からぬかのぉ、殿は、このわしの心を! 殿!

范増は再度、太刀の束を握り締め、項羽に目配せを送った。

范増 (内心)殿、早く! 「沛公をやってしまえ」と、ご命令を!

項羽 (ボンヤリと范増の方を見やる)・・・。

范増 ・・・ハァ・・・(溜息)。

范増 (内心)あああ・・・なんというドンカン(鈍感)・・・まったくもう! イライラしてくる!

范増はまたまた、太刀の束を握り締め、項羽に目配せを送った。

范増 (内心)殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿! 殿!

項羽 (ポカァンと范増の方を見やる)・・・。

范増 (内心)えぇい、もう!

范増は、席を立って幕の外に行き、

范増 項荘(こうそう)殿! 項荘殿!

項荘 ・・・范増殿、いったいなんですかな? 顔を真っ赤にされて・・・。

范増 まったくもって、わが殿には困ったものよのぉ! 殿の為に、沛公を殺害してしまおうと思うのに、殿は、我が意を全く察知してくださらぬ! そこでじゃ、あなたを見込んで頼みますがのぉ!

項荘 ・・・。

范増 項荘殿、あの席に入り、沛公の前で、寿(ことぶき)を言上(ごんじょう)してくだされい。沛公がその盃を傾けた時、あなたとわしとで、舞踏を始める。剣の舞いをやるのです。スキを見て、その剣でもって、沛公を座中にて殺す。

項荘 おぉ、まさしく「死の舞踏」ですなぁ。

范増 あのな、これだけは言うておきますぞ・・・わしらがこれからやる事はの、あなたの将来にとって、極めて重要な事なのじゃ。考えてもみなされぃ、わしらが沛公を今この場で殺してしまわねば、そのうち、あなたもあなたの一族も残らず、沛公に殺される事に、なってしまうのじゃから。

項荘 フーン・・・。

范増 このまま放っておけば・・・わが殿が沛公に天下を奪われるに、1年もかからぬわ・・・。(涙)

項荘 わかりました、やりまする!

二人は席に戻った。

項荘 (とっくりを手に持ち、沛公の前に立つ)沛公殿、お願いでござりまする。それがしの寿を、受けてはいただけませんでしょうか?

沛公 あぁ、いやいや、これは恐縮でござりまするなぁ。喜んで、お受けいたしまする。

沛公が、盃を傾け始めるや否や、

項荘 我らが殿は今、沛公殿と飲酒しておられる。なのに、ナリモノ一切無しというのでは、まことにさびしいではないか! 思えばここ数年、戦いに明け暮れて、陣中長らく、楽を奏する事もなかったよのぉ・・・。よぉし、今から、わしが剣を抜いて、太平の曲を舞ってみしょうぞ!

項荘は、剣を抜き放って立った。

范増 一人で舞うのは、いかにも淋しい、わしも共に!

范増もまた、剣をさしかざして沛公の前に立った。

項伯 (内心)ムムッ これはいかん! やつら、沛公を殺(や)る気じゃ!

項伯 これこれ、そこの二人、わしも仲間に入れんか!

項伯も、剣を抜いて立上った。

項荘が南を向けば、項伯は北を向いて彼に相対する。范増が沛公に接近したら、項伯はその間に割って入り、わが身をもって沛公をかばう。

三人の「死の舞踏」は延々と続き、楽の終わりに差し掛かってきた。項伯にじゃまをされて、項荘と范増はどうしても、沛公に襲いかかる事ができない。

スキを見て、張良は門前に走り出た。

張良 (内心)あのままでは、殿が危ない! 誰か、誰かいないか!(周囲を見回す)

これを見た樊噲(はんかい)が、ツット走り寄ってきた。

樊噲 おい、どうした? 何かあったのか?! 殿は大丈夫か?!

張良 大ピンチじゃ! 一刻の猶予も無い!

樊噲 ナニッ!

張良 あの中でな、今も、項荘が剣を抜いて舞っておるわ、じっと殿をツケ狙いながらの。

樊噲 いかん、殿の喉に死が迫っておる! 直ちにあの中に突入! 殿といっしょに死ぬ!

樊噲は、兜の緒を締め、鋼鉄の盾を持ち、軍門の中に突入しようとした。

門の左右に矛を十文字に構えた門衛500余人が、矛を横たえ太刀を抜いて、樊噲を阻止せんとした。

門衛リーダー こら! おまえはナニモノじゃ!

樊噲 (激怒)エェーイ! じゃまするなぁ!

樊噲は、盾を身に横たえ、門に体当たりした。

門 ヴァキャーーーーン!

門の閂 ベシベシベシベシベシベシベシベシ!

閂(かんぬき)7、8本が、いっぺんにヘシ折れた。

樊噲の身体は、門扉を押し倒し、あっと言う間に軍門を走り抜けた。

樊噲 エェェーイ!

樊噲の盾 バシバシバシバシバシバシ・・・。

門衛たち ワアアア・・・。

倒れてくる門扉に打ち倒されたり、樊噲の鉄の盾につき倒されて、矛を交えていた門衛500人は、その場に倒れ伏して起き上がれない。

樊噲 ここじゃな!(幕を上げて、中に入る)

樊噲 御免(ごめん)!

幕中一同 !(ビックリ)

沛公 (内心)おぁ、樊噲! 樊噲!

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幕中に入ってきた樊噲は、目をいからし、項羽をハッタと睨みつけながら仁王立ち。

怒りのあまり逆立ったその頭髪は、兜の鉢を覆いつくしてライオンの怒り毛のごとく渦を巻き、まるで百千万もの銀河系がそこに出現したかのよう、その眦(まなじり)は逆さまに裂け、百練の鏡の上に鮮血を注いだがごとくである。

樊噲は、9尺7寸もの長身、鬼のごとき髭は左右に分かれ、勇みたつその勢いに、鎧がガタガタと音を立てて振動している。いかなる悪鬼羅刹(あっきらせつ)であろうとも、これほどには恐ろしくないだろう。

彼を見て、項羽は思わず剣を抜き、腰を屈めて身構えた。

項羽 ナニモノじゃ!

張良 あ、いえいえ・・・これなるは、沛公様の兵にして、その名を、はんかい(樊噲)と申す者にてござりまする。

項羽 フーン・・・。

項羽は身構えを解き、背を伸ばしていわく、

項羽 いやぁ・・・まさに、天下の勇士じゃな。よし、あの者に酒を取らせい!

項羽は、1斗もの酒をついだ盃をその場に持ってこさせ、それを樊噲の前に置かせた。さらに、七頭分の豚の肩肉を、酒の肴に添えさせた。(注4)

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(訳者注4)この部分の元ネタとなっている司馬遷著の「史記・項羽本紀」には、「一片の豚の肩肉が与えられた」とあるのだが、太平記原文には、「七尾ばかりなるイノコの肩を肴にとって出されたり」とある。ここは太平記作者のオーヴァー演出かも。
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樊噲は、盾を地に伏せ、剣を抜いて、その豚肉を切り割いた。あっという間に肉を残らず平らげるやいなや、ナミナミと酒をたたえた巨大な盃に、手を伸ばした。

樊噲 ウィッウィッウィッ・・・ハァーーー。

項羽 (内心)おぉ、見事なノミっぷりじゃのぉ。

項羽 よし、もう一杯!

盃 ナミナミナミナミ。

樊噲 ウィッウィッウィッ・・・ウグゥーーー。

項羽 おおお、よしよし、もうイッチョウ!

盃 ナミナミナミナミ。

樊噲 ウィッウィッウィッ・・・ゲフーーー。

あっという間に、酒3杯を飲み干した樊噲は、盃を置いて、

樊噲 今にして思えば、秦(しん)王朝の君主は、虎狼(ころう)のごとき心の持ち主でありました。しょっちゅう、人を殺し、民を害しておりました。それゆえ、天下はことごとく、秦帝国に背いたのでありまする。

項羽 うん。

樊噲 ここに、わが主君・沛公様と項羽殿は、時同じくして義兵を挙げ、無道の秦帝国を亡ぼして天下を救わんがため、かの義帝(ぎてい)の御前において、血をすすりて約を交わされましてござりまする、「先に秦を破り、咸陽に入った者を、天下の主としよう」と。

項羽 ・・・。

樊噲 沛公様は、項羽殿に先立って咸陽宮に歩を入れる事数か月、しかるに、ビタ一文たりとも、私したモノはござりませぬわい。帝宮のありとあらゆる室を封印し、項羽殿のご到着をば、ひたすら待ち続けておられたのじゃ。これまさに、沛公様の仁義の姿としか、言いようがないではござりませぬか!

項羽 ・・・。

樊噲 兵を遣わして函谷関(かんこくかん)を塞がしめたのも、盗賊の出入りを防がんがため、なおかつ、非常事態に備えんがため。

項羽 ・・・。

樊噲 まさに、沛公様の功(いさしお)の高きこと、かくのごとしでござりまする。しかるに未だに、沛公様に対しては、いずこの地の領主に封ずるとの褒賞の儀もないではござらぬか! いや、それどころか、あなたは、沛公様を誅殺しようとしているではないか! 項羽殿のかくなるしうち、まさに亡びし秦の悪を継いで、自ら天の罰を招くものでありましょうぞ!

いささかも憚る事なく、睨みつけながら言い放つ樊噲の前に、項羽は返す言葉もなく、ただただ頭を垂れて赤面している。

思う存分言いまくった後、樊噲は張良の次席に着席した。

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しばらくしてから、沛公は、厠(かわや)に立つふりをして、席を離れた。彼は、樊噲を手招きした。

幕の外に出た沛公は、樊噲にいわく、

沛公 いやぁ、ジッツにイイ所に来てくれたのぉ。項荘(こうそう)め、わしのすぐ目の前で、剣の舞いをやらかしよっての・・・あやつめ、スキを見て、わしを討たんと図ったに違いない。

樊噲 ハァー・・・まったく、アブナイ所でござりましたなぁ。

沛公 このまま、あそこに長居しておったのでは、わが身が危のぉて仕方がない。今から、我が陣へ戻ろうと思うのじゃがの、黙って帰るのも非礼というもの、いかが、すべきであろうかのぉ?

樊噲 殿、ナニを言っておられますか! この危急の場に及んで、礼儀作法だのなんだの、そんな事に構っとれますかって! 大事を行おうという時には、細かい事など放っておくもんですぞ。大いなる礼儀とは、へりくだってオジギばかりしている事ではありませぬ! このままここに居たのでは、あちら側は、刀とまな板、こちらは魚肉。今すぐ、帰りましょう!

沛公 ・・・。

樊噲 後は、張良におまかせあって、殿、早く帰りましょう! さ、さ、殿!

沛公 よし!

沛公は、白い玉璧(ぎょくへき)1個と玉の盃1個を張良に渡し、

沛公 後は頼むぞ。

張良 おまかせあれ。さ、早く!

沛公 おう!

沛公は鴻門の地を離れ、驪山の麓を間道伝いに俊馬を走らせた。靳強(きんきょう)、紀信(きしん)、樊噲、夏侯嬰(かこうえい)の4人が、盾を脇挟み、矛を手に持って、彼の前後を護衛する。

彼らは、20余里の道程、険阻な山道をも、渡しのない川をも一気に駆け抜け、1時間足らずで、覇上の自陣に帰りついた。

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沛公につき従ってやってきた百余人の兵らは、なおも項羽の陣の前に並び居る。張良もまた鴻門に留まっているので、沛公がそこを去った事に誰も気がつかなかった。

しばらくしてから、張良は座に戻っていわく、

張良 項羽殿・・・そのぉ・・・まことに、もうしわけござりませぬ・・・わが主君・沛公は、酒にチト深酔いしてしまいましてな・・・もはや盃を汲むに耐ええず・・・止むを得ず失礼させていただきました。それがし、沛公より、「わしの代理として、項羽殿につつしんで、これを献上せよ」と、ことづかりましてござりまする。

張良は、白い玉璧の包みを開き、再拝しながらそれを項羽の前に置いた。

項羽 おぉ、これはこれは! まさに天下の重宝じゃなぁ!

項羽は大喜び、その玉を座上に置き、うっとりと見入っている。

范増(はんぞう) (内心)あぁぁ・・・ナンタルことかぁ・・・沛公をとり逃がしてしもぉたわ・・・もう少しの所であったにのぉ・・・(ガックリ)。

張良 沛公は、こうも・・・、「この玉斗(ぎょくと:注5)を、范増(はんぞう)殿に進呈せよ」と。

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(訳者注5)玉で作った酒を盛るひしゃく。
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目の前に置かれた沛公からのプレゼントを見て、范増は、ついにキレてしまった。

范増 (激怒)エェイ!

范増は、玉斗を地上に投げつけ、剣を抜いてそれを突き砕いた。そして、項羽をハタと睨み付けながら、

范増 あぁ、かような青二歳といっしょでは(注6)、天下など、とても取れはせぬ! 項羽様はそのうち必ずや、沛公に天下を奪わるるであろうて。

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(訳者注6)原文では、「豎子」。項羽の事をののしっているのである。
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范増 あぁ、あぁ・・・そのうち、みんな残らず、沛公の捕虜になってしまうのであろうなぁ・・・あぁ、あぁ、いかんせん・・・。

范増 白璧は、たしかに重宝じゃ。じゃがのぉ、天下と白璧と、いったいどっちが上なのじゃ! 手中に収めたこの天下を、みすみす、一個の白璧と交換してしまうとは・・・あぁ、なんとした事・・・ああ、なげかわしい・・・なさけない!

項羽 フウフウ・・・グニャグニャ・・・ハンゾウ・・・ハンゾウ? いったい何を、怒っておるのじゃぁ? フワフワ・・・ムニュムニュ・・・。

怒る眼に涙を流しながら、范増は1時間ほど、その場に立ち尽くした。しかし、項羽はなおも、范増のこの憂慮の心を悟らず、完全に酔いつぶれてしまい、帳の中に入ってしまった。

張良 (内心)ハァー、ヤレヤレ・・・なんとか無事に終わった。まったく、あの時は、どうなることかとハラハラしたぞぉ・・・。さぁて、わしも帰るとするかの。

張良は、百余騎を従えて覇上の自陣に帰った。

沛公は、自陣に帰着するやいなや、自分を裏切って項羽に密告した曹無傷(そうむしょう)を斬り、その首を軍門に曝した。

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この後数年間、沛公と項羽は、互いに合い見(まみ)える事が無かった。

天下の成敗は、項羽の司る所となったが、賞罰共に理不尽な点が多く、諸侯万民皆共に、沛公の功が隠れてしまって、彼が天下の主ではない事を嘆き悲しんだ。

その後、項羽と沛公が、再び天下を争そう形勢となり、中国全土の兵は、項羽の楚(そ)と沛公の漢(かん:注7)の両陣営に分かれ、争乱止む事なき状態となった。

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(訳者注7)項羽が全権を掌握の後、沛公は「漢中」の地の領主に封ぜられた。
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沛公は、自らが新しい王朝を開くとの決意を示さんが為、「漢の高祖(かんのこうそ)」と名乗った。その陣営に属するメンバーは以下の通りである。

韓信(かんしん)、彭越(ほうえつ)、蕭何(しょうが)、曹参(そうさん)、陳平(ちんぺい)、張良、樊噲、周勃(しゅうぼつ)、黥布(げいふ)、盧綰(ろかん)、張耳(ちょうじ)、王陵(おうりょう)、劉賈(りゅうか)、酈商(れきしょう)、潅嬰(かんえい)、夏侯嬰(かこうえい)、傅寛(ふかん)、劉敬(さいけい)、靳強、呉芮(ごぜい)、酈食其(れきいき)、董公(とうこう)、紀信(きしん)、轅生(えんせい)、周苛(しゅうか)、侯公(こうこう)、随何(ずいか)、陸賈(りくか)、魏無知(ぎのぶち)、齊孫通(しゅくそんつう)、呂須(りょしゅ)、呂巨(りょこ)、呂青(りょせい)、呂安(りょあん)、呂禄(りょろく)以下の呂氏300余人、合計30万騎である。

一方、項羽の陣営はといえば:

彼の家は代々将軍を出してきた家柄であったので、譜代の兵が8,000人いた。その他、新たに馳せ参じてきた者はといえば、櫟陽長史欣(やくようのちょうしきん)、都尉董翳(といとうえい)、塞王司馬欣(さいおうしばきん)、魏王豹(ぎおうひょう)、瑕丘申陽(かきゅうのしんよう)、韓王成(かんおうせい)、趙司馬卬(ちょうのしばごう)、趙王歇(ちょうのおうけつ)、常山王張耳(じょうざんおうちょうじ)、義帝柱国共敖(ぎていちゅうこくきょうごう)、遼東韓廣(りょうとうのかんこう)、燕将臧荼(えんのしょうぞうと)、田市(でんし)、田都(でんと)、田安(でんあん)、田栄(でんえい)、成安君陳餘(せいあんくんちんよ)、番君将梅鋗(ばんくんしょうばいけん)、雍王章邯(ようおうしょうかん)(この人は元、秦帝国軍の将軍であったが、河北の戦いで敗れて後、30万騎を率いて項羽に投降)。

というわけで、項羽側は項氏一族17人、諸侯53人、合計386万騎である。

漢建国2年、項羽は城陽(せいよう)に至り、高祖陣営の田栄と戦った。田栄の軍は敗れ、投降。項羽はその地で老人、病弱者、婦女も含めて20万人を、土の穴に生き埋めにして殺した。

漢・高祖は、56万人を率いて彭城(ほうせい)に入った。項羽は自ら精兵3万を率い、胡陵(こりょう)で高祖と戦った。高祖は戦いに敗れ、項羽軍は高祖軍10余万を生け捕りにし、それをスイ水の淵に沈めた。その為、川の流れが止まってしまった。

連敗した高祖は、霊壁(れいへき)の東方に逃れた。その軍勢わずか300余。項羽軍は300万をもって、高祖を三重に囲んだ。もはや高祖は絶対絶命。ところが、にわかに激しい風雨がまきおこり、白日にして夜よりもなお暗しという状態に。これ幸いと、高祖は数10騎と共に、この囲みを逃れ、故郷の沛郡(はいぐん)へ逃がれた。

これを追って、項羽は沛郡へ押し寄せた。高祖側の兵は、ここに支えかしこに防ぎ、討死にする者20余人。この戦にも高祖は敗れ、彼の父は項羽軍に囚われの身となってしまい、項羽の前に引き出された。

漢・高祖は、周呂侯(しゅうりょこう)と蕭何(しょうか)の兵を旗下に収めて、その兵力を20万にまで回復し、栄陽(えいよう)に至った。

項羽は勝ちに乗じ、80万を率いて、彭城から栄陽に押し寄せた。この戦においては、高祖の側にわずかに利があったが、項羽はものともしない。

二人は、互いに勢いを振るいつつも、戦いを重ねずに廣武(こうぶ)に陣を張り、川を挟んでの、にらみ合いの状態となった。

項羽は、自陣に高い舞台を築き、その上に高祖の父を置き、高祖に告げた。

項羽 見よ、おまえの父は、あの舞台の上におるぞ。今もし、おまえが首を延べて降参してくるならば、おまえも父も、命だけは助けてやろう。しかし、どうしても降参しないというのであれば、ただちに、おまえの父を、あの舞台の上で煮殺してしまうからな!

これを聞いた高祖は、大いに嘲笑(あざわら)い、

高祖 ハァッハッハッ・・・項羽よ、よぉくよく、思い出すがよいぞ、わしとおまえが北面して、秦帝国打倒の命を懐王より受けし時の事。二人は、義兄弟となることを誓ったではないか。さすればなぁ、わが父はそく、お前の父でもあるという事になるではないかぁ! 自分の父を煮殺すというのかぁ? この親不孝モノめが! このバァチアタリめが!

項羽 ヌヌヌ・・・。

高祖 どうしても煮殺したくば、とっとと、やるがよいわ。煮あがりのスープ、わしにも一杯、分けてくれよのぉ!

項羽 (激怒)えぇい! よぉし! 薪に火をつけい!

高祖の父 ・・・。

項伯(こうはく) 待った! 待て! 待て!

項羽 止めてくださるな、叔父上!

項伯 まぁ、待て、待てと申すに! 無益な殺人は止めよ!

項羽 ・・・。

高祖の父 ・・・。

項伯 止めよ!

項羽 ・・・おまえの命、しばらく預けおく。

高祖の父 ・・・。

というわけで、項羽はようやく、煮殺しを思いとどまった。

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両者の闘争は、膠着状態(こうちゃくじょうたい)に入ってしまった。両軍に従軍している者は、青年・壮年は軍旅(ぐんりょ)に苦しみ、老弱は転漕(てんそう)に疲れる。

ある時、項羽は、自ら甲冑を着し、矛を取り、一日千里を走る騅(すい)という名の馬にうちのり、ただ一騎、川べりに出て、対岸に向かって叫んだ。

項羽 漢王! よく聞け! 天下の士卒が戦いに苦しむ事、すでに8か年。何もかも、もとはといえば、わしとおまえ、両人の争いのためじゃ。いたずらに国中の人民を悩ますよりは、今この場で、おまえとわしと、一騎打ちで、勝負を決してしまおうではないか! どうじゃ!

高祖の陣営を睨みつける項羽の前に、幕から出てきた漢・高祖が姿を現した。

高祖 はぁ? なにぃ? 天下の士卒が戦いに苦しむのは、わしとおまえ、両人の争いのためじゃとぉ? 笑わせるでないぞ! 国中の人民の悩みのよってきたる原因、それはひとえに、おまえ一人に責任がある事じゃ! 罪はおまえだけにある。おまえこそが、諸悪の根源なのじゃ!

項羽 なんじゃと!

高祖 そもそもじゃな、おまえの辞書には、「義」という文字が無いのであろう。ゆえに、あのような天罰を招くような罪の数々を犯しても、おまえは平然としておれるのじゃ。

項羽 ・・・。

高祖 よっく聞くがよい、今からな、積もり積もったおまえの罪業の数々、順に明らかにしてみしょうぞぉ。大罪人・項羽の罪その第一ぃ、それはじゃのぉ・・・。

高祖 わしは、おまえと共に、懐王(かいおう)より、打倒秦帝国の命を受けた。その時、「関中(かんちゅう)エリアを平定した者を、王としよう」との約を交わしたはず。しかるに、おまえは、たちまちそれを反故(ほご)にして、わしを、巴蜀(はしょく)の地に封じ込めてしもぉた。これが、お前の罪その第一じゃ。

高祖 懐王の命を受け、宋義(そうぎ)が、打倒秦帝国全軍のトップリーダーとなった。なのに、おまえは、みだりに彼の帷幕(いばく)中に乱入し、彼を殺害した。そして、「懐王は、我をして宋義を誅せしめたり」との偽りの軍令を、軍中に発した。これが、お前の罪その第二。

高祖 趙(ちょう)救援の戦いにおいて、おまえは勝利を収めた。しかし、おまえは懐王に対して、何の報告もせず、その勝利に乗じ、趙の兵を掃討して、かの国に侵入した。これが、お前の罪その第三。

高祖 懐王は、厳重なる命令を下していた、「秦の領域に入った時は、民を害するなかれ、財をむさぼるなかれ」と。しかるに、おまえは、わしに数ヶ月おくれて秦に入るやいなや、王宮を焼き払い、驪山の始皇帝(しこうてい)陵墓(りょうぼ)を掘り暴(あば)き、そこに埋められていた宝玉を残らず、私してしもぉた。これが、お前の罪その第四。

高祖 さらには、投降してきた秦の帝・子嬰(しえい)を殺し、天下を我がものにした。これが、おまえの罪その第五。

高祖 「命を助けてやるぞ」と偽り、20万人もの秦の子弟を、新安城(しんあんじょう)の穴に生き埋めにして殺した。これが、おまえの罪その第六。

高祖 自分だけ、良い所の領主におさまり、旧六国の君主の子孫らことごとくを、その領国から引き離して別の場所に封じた。このようなムチャクチャな戦後処理への不満ゆえに、みな、おまえに対して反旗を翻すようになったのじゃ。これが、お前の罪その第七。

高祖 懐王を彭城に移し、韓(かん)王の地を奪い、自らは梁楚(りょうそ)に王として収まり、中国全土に独裁権力を振るうようになった。これが、おまえの罪その第八。

高祖 さらには、刺客を送り込んで、懐王を江南(こうなん)にて暗殺。これが、おまえの罪その第九。数々の罪悪中でも、この罪こそが最悪じゃな。中国全土の人々が、おまえのこの行為を指弾しておるぞ、おまえがこわくて口に出せずとも、道路で行き会うたび毎に、目と目をあわせて、おまえを非難しておるわい。まったくもって、大逆無道の甚だしきこと、そのうちきっと、天はお前を誡めて、厳罰を与える事であろうて。

高祖 かような極悪人のおまえを相手に、いったいなんで、このわしが、わざわざ自らの手を汚して、一騎打ちの相手などしてやらねばならぬのじゃ? ふざけるなよ、この、身の程知らずめが!

高祖 たとえ、おまえが山を抜くほどの力を持っていようとも、それがいったい何になる! 天の心にかなうわしの義の前には、おまえの力なんぞ、とてもかなうまいて。

高祖 おまえと一騎打ちさせるにふさわしき者はといえば・・・そうじゃなぁ、前科者くらいが適当かのぉ・・・そうじゃ、それがよいのぉ。きゃつらに鎧も着させず、刀も矛も持たせずに、ただ、杖と鞭のみ持たせようぞ、罪人を打つ杖と鞭をのぉ。その、杖と鞭に打たれて死ぬる、それが、おまえにふさわしき最期というものじゃ、ワッハッハァ・・・。

高祖軍百万の兵一同 トントントントン・・・(一斉にエビラをたたきながら)ワッハッハァ・・・。

項羽 (激怒)えぇい、言わしておけばぁ!

項羽は、強弓を引いて高祖を射た。その矢は、川の上4町の距離を飛び越えて高祖陣に到達し、高祖の前に控えていた兵の鎧の草ずり部分に命中、兵の体を貫通し、高祖の鎧の胸板に、鏃の元まで突き刺さった。

これを見て、高祖軍中から、樓煩(ろうはん)という者が、弓に矢をつがえて前線に歩み出た。彼は、強弓連射、馬上騎射の達人で、3町4町先にある針にさえ矢を命中させるほどの腕前。

樓煩 項羽め、よくも高祖様に矢を・・・返し矢を射てやる!

樓煩は、矢の射程距離まで前進した。それに対して、項羽は自ら矛を持って立ち向かい、目をいからし、大音声をもっていわく、

項羽 おまえはいったい、どこのウマノホネじゃ! このわしに向かって弓を引くとは、ふとどきせんばん!

樓煩 ・・・。

怒りに身を震わせながら、グッと睨む項羽の前に、さしもの樓煩も、思わずひるんでしまった。

樓煩の馬 ・・・ガタガタガタガタ・・・。

樓煩 ・・・ブルブルブルブル・・・。

人馬ともに、ふるえわななき、項羽に目を合わせる事もできず、ましてや、弓を引けるはずもなく、樓煩は自陣へ逃げ戻った。

-----

この矢に負傷した高祖の傷の回復を待つ間、高祖軍は士気振るわず、項羽側は連戦連勝。

張良 いかんのぉ・・・負けが、たてこんでおるわ。

陳平(ちんぺい) このままズルズルといってしまうと、非常にまずいぞ。

張良 思うにの・・・あの項羽の強さ、あれはヤツ自身の力ではない。ヤツに仕えておる、ある男の力なのじゃ。

陳平 その男の名は、范増(はんぞう)?。

張良 ズボシ(図星)。

陳平 ・・・。

張良 あの范増めと項羽との間を離反させることができたら・・・何かよい手は無いか?

陳平 こういうテはどうかの・・・ヒソヒソ(張良の耳元でささやく)。

張良 (ニヤニヤ)・・・。

陳平 (ニヤニヤ)・・・。(注8)

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(訳者注8)「史記・項羽本紀」では、高祖が陳平の計略を用いて項羽と范増の離反を図ったとあり、張良はこの件には関与していないようだ。しかし、太平記には、「陳平・張良等、如何にもして此范増を討(うた)んとぞ計りける」とある。
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ある日、項羽よりの使者が、高祖のもとへやってきた。陳平がこれに対面した。

陳平 やや、これは、どうもどうも! まずは、ごゆるりとお酒でも。

使者の前には、牛肉、羊肉、豚肉の三種盛合わせグルメ(注9)をはじめ、山海の珍味を尽くし、酒を泉のごとくたたえ、砂金4万斤、珠玉、綾羅(りょうら)、錦綉(きんしゅう)以下の重宝が、引き出物として、山のごとく積み上げられた。

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(訳者注9)原文では、「大窂」。
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陳平 いやぁ、范増殿は、ご機嫌いかがにしておられますでしょうかなぁ?

使者 ・・・(?)

陳平 連戦につぐ連戦、転戦につぐ転戦、范増殿も、さぞやお疲れでは・・・。なにとぞ、よしなに、お申し伝え下さいませぇ。

使者 ・・・(?)

陳平 この珠玉はとりわけ、范増殿のお気に召すかと思い・・・せっしゃ自ら、考えに考え抜いた末にとりそろえましたる逸物でございましてなぁ・・・。

使者 あのぉ・・・。

陳平 で、(急にヒソヒソ声になり)先日、范増殿よりの例の件でござりまするが、わが主君に内密でお伝えしましたところ、わが主君、ことの他、お喜びでござりましてな・・・。

使者 ・・・(?)

陳平 わが主君から、「范増殿に、ぜひともそのセンでお願いしたい、と伝えよ」と・・・

使者 拙者(せっしゃ)は、范増殿の使者として参ったのではござらぬ!

陳平 えぇっ! ではいったい、誰の使者で?

使者 言わずと知れたこと、項羽様よりの使いじゃわい!

陳平 しまったぁ! てっきりあなたは、范増殿からのご使者かと思うて・・・まぁ、しゃべるべきでないことをベラベラとしゃべってしもうたものじゃ・・・。あーあ、今頃になって、そなたが項羽よりの使者であったと知ってもなぁ・・・後悔、先に立たずじゃよ。

使者 ・・・。

陳平 あいつが悪いのじゃよ、あいつがぁ! 「范増殿よりのご使者が来られました」、さきほど、あいつ、たしかにこう申しよったぞぉ。ハァー、あのような者を部下に持つのは、実につらいものじゃのぉ・・・あ、いやいや、失礼失礼、こっちの話じゃよ。

使者 ・・・。

陳平 おぉい、この酒、肉、みんな下げてしまえ! 財宝も!

接待係 はいはい。して、ご使者さまには、いかなる馳走をご用意させていただきましょうか?

陳平 そうじゃのぉ・・・メニューはどうなっておるぅ?

接待係 かような場合のメニューといたしましては、「松」、「竹」、「梅」の三種類がござりまするが。

陳平 「苔(こけ)」じゃ、「苔」にせぃ!

使者 !!!

接待係 ははっ。

接待係 (内心)「苔」・・・「苔」・・・ご使者殿接待のメニュー、「苔」にせよとな・・・「苔」と言わば、最悪レベルの食材と最低レベルの調味料を用いて作る、チョウ最悪の料理じゃぞぉ、飢えている者でさえも、箸をつけるのをためらうようなシロモノじゃよ。外交の局面において、かようなモノを出して、本当によいのかのぉ? それこそ「コケ益」、もとい、「国益(こくえき)」を損なうような結果に、なりかねないのでは?・・・アァ、よいわ、よいわ、参謀閣下からのご命令じゃ、わしの知ったことかぁ。

自陣に帰った使者は、項羽に洗いざらいブチまけた。

使者 最初のうちは、范増殿よりの使者と、かんちがいされましてな、牛肉、羊肉、豚肉、山海の珍味、酒の海、珠玉、砂金、いやぁ、そりゃもう、すごいもんです。ところが、拙者が項羽様よりの使者と判明するやいなや、扱いが一転・・・何もかもひっこめてしまいよりましてな・・・で、出された料理は、「苔」!

項羽 ・・・。

使者 コケにされてしもぉた!

項羽側近一同 ?!・・・。

使者 敵側の陳平、なにやら、范増殿よりのメッセージを、心待ちにしていた風にてござりましたぞ。

項羽 もうよい、下がれ!

使者 ははっ。

項羽 (内心)・・・范増よりの使者とかんちがいして、大いなるもてなし・・・范増よりのメッセージを心待ち・・・もしや・・・范増・・・もしや、わしを裏切り、あやつと手を握っているのでは?・・・まさか!

項羽 (内心)・・・いやいや、やっぱり、どうも怪しいぞ・・・。

項羽 (内心)・・・このさい、范増から全権を取り上げ、誅を加えて、後の禍根を断つのがよいのかも・・・。

やがて、項羽の心中は、後戻りできない所まで来てしまった。

自らに対して項羽が疑惑を抱いている事を聞いた范増は、

范増 殿は、私をお疑いとか・・・。

項羽 ・・・。

范増 ハァー・・・(溜息)。

項羽 ・・・。

范増 天下の大勢、あらかた先が見えてしもぉた。これから先は、あなた一人でやっていかれるのが、よろしいでしょう。

項羽 ・・・。

范増 わしも既に、齢(よわい)80を超えた。この先なまじい生き長らえて、あなたの滅亡をこの目で見る事になるのも、悲しい事ですわい。

項羽 なにぃ!

范増 願わくば、わがこの首を刎ねて市にさらされるか、あるいは、鴆毒(ちんどく)を賜り、さっさと死んでしまいとうござりまする。

項羽 えぇい、望み通りにしてくれるわい!

范増は、鴆毒を飲んで3日後、血を吐いて死んだ。

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項羽と高祖の戦いが始まってからすでに8年が経過、双方、自ら戦場に臨むこと70余度に及んでいた。

天下の人心がすでに項羽を見限っていたにもかかわらず、項羽が勝利をおさめ続けてこれた原因、それはただ単に、項羽軍の兵の勇猛のみにあったわけではない。范増が絶えず戦略を練り、民を育み、士を勇め、敵状を察知し、疲れた兵を助け、徳を広範に施して、項羽陣営の団結心を保ち続けていたからである。

ゆえに、范増の死後、諸侯はことごとく項羽から離反し、多くの者が、高祖の下に寝返ってしまった。

それ以降、形勢は逆転。

高祖と項羽が、栄陽(えいよう)の東方で長いにらみ合いを続けた時、高祖の側は、兵力多く、食料多く、項羽の側は、兵は疲れ、食も絶えてしまった。

高祖は、陸賈(りくか)を項羽のもとに遣わした。

陸賈 わが主君よりの、和平の提案をお伝えしに参りました。「今日より後は、天下を二分し、鴻溝(こうこう)より西方をわが方の領土、それより東方を項羽殿の領土と、するはいかが?」との、提案にてござりまする。

項羽は喜んで、

項羽 よかろう! その提案、受けたぞ!

陸賈 ではこの際、わが主君のおん父上を、お返しいただきたく!

項羽 よし、連れて帰れ!

かつての敗軍の日々の中、いけどりの身となり、項羽の手によってあやうく煮殺されかけた人が、ついに無事帰還を遂げたとあって、高祖陣営は大喜び、全軍感きわまって万歳三唱。

高祖陣営一同 バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!(パチパチパチパチ・・・)

かくして、講和が成立、項羽は東に、高祖は西に、馬首を向けて分かれたその時、

陳平 殿、なんとまぁ、もったいない事をされますなぁ。

張良 うん、本当に、もったいない。

高祖 えぇっ?

陳平 殿、考えてもごらんあそばせ。今、天下の勢力の大半は、いったいどちらに、靡(なび)いておりまするか? 殿に? それとも項羽の方に?

高祖 そりゃぁ、わしの方じゃろぉ。

張良 今や、中国全土の実力者のほとんどが、殿に従うようになっておりまする。

陳平 それにひきかえ、項羽の方はどうでしょう?

張良 兵は疲れ果て、食料も底を尽き。

陳平 まさに今、天が項羽を滅ぼす時が来たのです。

張良 陳平の言う通りですぞ。この機会に項羽を討たずして、なんといたしまする! 今、何もしないのは、虎を養うようなもの、自ら、後の患いの種をまく事になりましょうぞ。

高祖 よし、わかった!

高祖は、二人の諌(いさ)めを聞き入れ、実力者たちと同盟を結んで300万の軍勢を編成し、項羽を追った。

項羽は、わずか10万の軍勢をもって、固陵(こりょう)に返し合わせて高祖と戦った。高祖軍は、40万人を討たれて退却した。

これを聞き、韓信(かんしん)は、斉(せい)国の軍勢30万騎を率いて、壽春(じゅしゅん)経由の迂回進路を取り、項羽を攻めた。さらに、彭越は、彭城の兵20万騎を率いて、城父(せいほ)を経て項羽陣に接近し、項羽軍の進路を遮って陣を張った。大司馬(だいしば)・周殷(しゅういん)も、九江(きゅうこう)の兵10万騎を率いて項羽陣に迫り、川を隔てて対峙(たいじ)した。

このように、東西南北全方向から百重千重に包囲され、活路の全てを失った項羽は、垓下(がいか)の城にたてこもった。

高祖側勢力は、垓下をヒシヒシと包囲した。

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項羽 (内心)あぁ、なんとかしてここを脱出し、わが祖国・楚(そ)へ落ちのびたいものじゃ。楚へたどり着ければ、勢力挽回もできようて。

項羽 (内心)それにしても、このわしを囲むために、よくもまぁ、あのような大軍をかき集めよったものじゃのぉ・・・。広い中国の方々からやってきておるようじゃ・・・てんでばらばら、思い思いに歌っておるわい・・・それぞれの出身の地域の歌を歌っておるのじゃな・・・。

項羽 (内心)ムムッ・・・あの歌は!

包囲網中から聞こえてくる合唱
 水ぬるむ 洞庭湖(とうていこ)の岸辺
 そぞろ歩く 乙女らの足下
 散りぬる花弁は 絨毯(じゅうたん)のごとく
 水面(みなも)をこごごとく 覆い尽す
 誰(たれ)思わざらんや 晩春の一刻
 永遠(とわ)に 不変(かわら)ざれよと
 ああ麗しの わがふるさと(故郷)
 ああ麗しの わがそのくに(楚国)

項羽 (内心)楚の国の歌じゃ・・・さては・・・あの包囲網には、わが故郷、楚の国の者らまで、加わっておるのじゃな・・・。

項羽 わが四面(しめん)、皆、楚歌(そか)す・・・あぁ、わが祖国、わが楚国よ、そなたまでもが、我を見捨てしか。(涙)

虞美人(ぐびじん) 殿・・・。(涙)

項羽 ・・・わしの人生も、今宵限りじゃ。(涙)

虞美人 殿ぉ、ううう・・・。(涙)

項羽 あぁ、どうにもならぬこの人生! 人間とはなんという、か弱き存在なのか! 運命のなすがままになっていくより他に、しかたがないのかぁ!

 わが力は山を抜き わが気概は広大な世界をも覆いつくす
 されども 時 我に利せず わが乗馬・騅も 前進するのを止めてしまった
 騅よ 騅よ なぜ前へ進んではくれぬのか このわしにいったい どうせよというのじゃ
 虞よ 虞よ おまえを どうすればよいのじゃ このわしは

 (原文)力 山を抜き 気は世を蓋(おお)う
 時 利あらず 騅逝(ゆ)かず
 騅逝かざるを 奈何(いかん)すべき
 虞や虞や 若(なんじ)を奈何せん(注10)

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(訳者注10)この詩は、太平記中にはない。「史記・項羽本紀」より訳者が載録した。
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虞美人は、悲しみに耐え得ず、

虞美人 殿、殿の剣を、頂きとうござりまする!(涙)

項羽 うん・・・(剣を虞美人に手渡す)

虞美人 殿のお側におれて、わらわは幸せでござりました・・・。殿、これにて永遠(なが)の別離(わかれ)でござりまする・・・。エェイ!・・・。(倒れる)

項羽 あぁ・・・虞よ、虞よ!(涙)

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項羽 よぉし、もはや思い残す事など、何もない! とことん闘って、死んでやるわ!

翌朝、項羽は、生き残った兵28騎を伴って城を出て、四方を包囲する高祖側勢力100万の軍を懸け破り、烏江(うこう)という川の岸辺にたどりついた。

涙を抑えて、項羽は28人の兵に語った。

項羽 打倒・秦(しん)帝国の旗揚げをしてよりこの方8年間、自ら戦場に立つ事70余戦、当たる所は必ず破り、撃つ所は皆わしに服した。かつて一度たりとも敗北を喫する事なく、わしはついに覇者となり、天下を手に入れた。

項羽 しかれど、今やわが勢いは尽き、力は衰え、わしはまさに、あの男の為に亡ぼされようとしておる。これは全く、わしの戦がつたない為ではない、ただ、天がわしを亡ぼさんとしておるだけのことじゃ。

項羽 今日これからの戦において、その証拠を、おまえたちに見せてやる! これからわしは、敵と三度戦いを交え、三度勝利をおさめてみせるぞ。そして、敵の大将の首を取り、その旗をヘシ折ってくれるわ。さすれば、わしの言葉に、うそ偽りがない事、おまえたちも、しかとわかってくれようて。

彼は、28人を四手に分け、四方から襲いかかる高祖軍100万騎を相手に戦った。

真っ先に仕掛けてきたのは、韓信率いる30万騎であった。項羽は、28人の先頭切って韓信軍に突撃を敢行、自ら300余騎を切って落し、大将クラスのメンバーの首を取り、切っ先にそれを貫いて元の陣へ帰った。

項羽 (内心)8人討たれて、20人になった・・・。

彼は、その20人を三個所に分散して配備し、高祖軍の接近を待った。

孔熙(こうき)が10万騎、陳賀(ちんが)が50万騎を率いて、東西から襲いかかってきた。項羽は大いにおめいて山を懸け下り、両軍を四方八方へ蹴散らし、逃げる相手500余人を切って落し、大将クラスのメンバーの首をまた一つ取って左手に引っ提げ、陣へ孵った。

項羽の兵は、わずか7人だけになっていた。

項羽は、相手方の大将クラスメンバー3人の首を、刀の切っ先に貫いて指し上げ、兵らにいわく、

項羽 どうじゃ、わしの言うた通りになったであろうが!

兵らは、驚きおそれつつ、感きわまったように、

兵7人 まことに、項王さまの、お言葉通りでしたわい!

項羽 分かればそれで、よぉし!

項羽は、すでに50余箇所もの傷を負っていた。

項羽 もはやこれまでじゃ、自害するとしよう。

項羽は、烏江の岸辺に座った。

これを見た烏江の亭長が、舟を一隻漕ぎ寄せてきて、いわく、

亭長 項王さま、この川の向うは、項王様のおん手に属して、方々の合戦にて討死にした兵らの故郷でござりまする。土地はさほど広くはござりませぬが、それでも、兵を集めれば10万くらいにはなりましょう。この川には、浅瀬も無ければ橋もござりませぬ。この舟をもってしか、川を渡るすべは無し。敵兵がこの川に至るといえども、もはや、川を渡る事はかないませぬわい。

亭長 さ、項王さま、この舟にお乗りくださいませ! この川を渡って、お命をつなぎあそばされて、かの地へお逃れなされませ。そして再び大軍を動かし、今一度、天下を覆されませ!

項羽 ハハハハ・・・なにを申すか。

亭長 項王さま・・・。

項羽 天が、わしを滅ぼそうとしておるのじゃぞ。川を渡ったとて、なんになる!

亭長 ・・・。

項羽 ・・・わしはなぁ・・・かの地の若者8,000人を率いて、この川を渡ってきた、あの秦帝国を倒さんとして。

項羽 わが望ついに成り、わしは、天下に覇を唱える事ができた。しかし、わしについてきてくれた者たちに恩賞を取らせるひまもなく、あの男との闘争が始まった。

項羽 以来8年間・・・わしについて、この川を渡った者らの中、ただの一人とて、再び生きて、この川を渡って帰る者はおらぬわい・・・なのに、なのに・・・わし一人だけが、おめおめと、この川を渡って帰れようか。

項羽 彼らの父兄は、わしを憐れんで、王として迎えてくれるやもしれぬ。しかし、いったいどのツラ下げて、わしは・・・わしは、彼らの前に出たらよいのじゃ! 彼らの息子をみな、死なせてしもぉたのじゃぞ・・・このわしはなぁ・・・(涙)

項羽 いや、彼らは決して、わしを責めはしまいて。彼らは黙って、許してくれよう・・・しかし、わし自身が、わしをどうにも許せぬわ!

項羽はついに舟には乗らなかったが、亭長のその志に感じ入り、それまで乗っていた、一日に千里を駆けるという乗馬の騅を亭長に贈った。

項羽はなおも、徒歩で高祖軍相手に戦いを続行しようとした。今や、たった3人となってしまった項羽軍は、怒りに震えながら立っている。

そこへ、2万騎を率いた楊喜(ようき)がやってきた。楊喜は、項羽をいけどりにしようと、接近していった。

項羽は、目をいからせて一喝した。

項羽 おまえはどこの何者じゃ! わしを討たんとして、ここにやってきおったか!

さしもの楊喜もひるんでしまい、心無き馬までもが震えわななき、小膝を折って伏せてしまった。

高祖軍の中に呂馬動(りょばどう)がいるのを遥かに見て、項羽は、

項羽 おぁ、そこにおるのは呂ではないか、ひさしぶりじゃのぉ!

呂馬動 項羽殿・・・。

項羽 (呂馬動を手招きしながら)これは、よい所へきよったわい。おまえとは、昔からの知り合いじゃでのぉ、わしの最後のはなむけを進呈しようかの。

項羽 聞く所によれば、わしの首には、千金の賞金、万戸の領主の褒賞が、かかっておるとか。同じ首を取られるのであれば、おまえに取られて、長年の交友の恩義に報いたものよのぉ。

呂馬動 ・・・。(涙)

項羽 さ、討て、早く! 何をしておる、早く、この首を取らんか!

呂馬動 ・・・。(涙)

項羽 ・・・そうか、では、自ら首かっ切って、おまえにやるとしよう。

項羽は、左手で自分の頭髪をつかみ、右手に剣を持ち、

項羽 エェーーイ!

左手に自らの首を持って立ったまま、項羽は絶命した。
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(以上、北畠親房が語った、沛公と項羽の話)

北畠親房 このようにして、項羽はついに亡び、高祖が天下を取りました。高祖が建てた漢王朝は、その後700年もの(注11)間、長期政権を維持しましたわ。

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(訳者注11)太平記原文には、「漢七百の祚を保し事は」とあるが、史実においては、「約400年」である。
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北畠親房 高祖がついに天下を手中に収めれたんは、外交と戦争の双方を、柔軟に駆使できたからですわ。陳平と張良の進言に従って、いったんは、項羽と偽りの和睦を結んだ、これが大いに功を奏したんですわなぁ。

北畠親房 まさに、今この時、我々は、この陳平と張良の謀(はかりごと)、その智謀を、大いなる教訓とすべきではないやろか。

北畠親房 すなわち、ここはひとまず、足利直義の言う通りに、彼との連合を組んでおく。そないなったら、我らの態勢は一気に挽回、そのうち、めでたく京都にて、わが君の正式の帝位継承の儀を、取り行う事もできるようになるやろて。

北畠親房 そこまで行ったら、もう、こっちのもんや、日本国中の政治は、わが君の一意専決、聖徳あまねく施し、士卒ことごとく朝廷に帰服したてまつり、ということになるやろう。陛下の威はたちまちにして振るい、逆臣らことごとく滅亡の淵に・・・火を見るより明らかなる、ストーリー展開となっていきますわなぁ。

このように、深い学識を駆使し、言葉たくみに論ずる北畠親房の主張に、諸卿も納得、直ちに、以下のごとく、「足利直義赦免」の宣言が発行された。

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陛下よりのお言葉、以下のごとく伝えるものなり

故(ふるき)を温(たずね)、新(あたらしき)を知る者は、明哲をよくする所なり。乱を収め、正しきに復する者は、良将の先んずる所なり。かの元弘(げんこう)年間の旧功を忘れず、帝(みかど)の大命に、今また従う事を決意するとは、まことにあっぱれな事、ほめてつかわす。

かくなる上は、すみやかに義兵を挙げ、天下に静謐(せいひつ)をもたらすための策を、運(めぐら)すべし。

陛下よりのお言葉、以上の通り。ここにたしかに、申し伝えるものなり。

正平(しょうへい:注12)5年12月13日 左京権太夫(さきょうごんのだいぶ)・正雄(まさお) 奉ず

足利左兵衛督入道(あしかがさひょうえのかみにゅうどう)殿
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(訳者注12)吉野朝側の年号である。
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まさにこの時をもって、その後長く続く、君主と臣下との離反、兄弟背反しての骨肉の争いが始ってしまったのであった。いやはや、まことにあさましい世の中になったものである。

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太平記 現代語訳 インデックス 14 へ


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