太平記 現代語訳 6-3 楠正成、四天王寺にて、『大予言・日本の未来はこうなる』を読む

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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元弘(げんこう)2年(1332)8月3日、楠正成(くすのきまさしげ)は、住吉大社(すみよしたいしゃ:大阪市・住吉区)に参拝し、馬3頭を献じた。

その翌日には、四天王寺(してんのうじ:大阪市・天王寺区)へ参拝し、大般若経(だいはんにゃきょう)転読(てんどく)(注1)を依頼し、それへの謝礼の布施として、銀張りの鞍を置いた馬1頭に、銀細工を施した太刀1本と鎧1両を添えて献じた。

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(訳者注1)『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』)は、600巻から成る膨大なものなので、法要の中で、その全てを通常の方法で読経することは不可能。ゆえに、[転読]という方法が用いられる。すなわち、複数の僧侶が自分の担当部分の経典を手に持ち、それを右または左に傾けながら、経が書かれている紙をパラパラと、一方へ落としながら、速読していく。
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転読が完了し、寺の老僧が、読経完遂証明レポート(注2)を持って、正成の前にやってきた。

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(訳者注2)原文では、「巻数(かんじゅ)」。
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楠正成 この正成、不肖のわが身をも顧みずに、倒幕の一大事を思い立ちましたこと、まさに、身の程知らずもえぇとこ、てな事になるんかもしれませんがなぁ、陛下から頂きました勅命の重さっちゅうもんを、よぉよぉ熟慮した結果、えぇい、もう自分の命なんか、どうでもえぇわい、てなことに、なりましてなぁ。

老僧 なるほどぉ。

楠正成 このたびは、あの鎌倉幕府相手に、たて続けに2連勝できてしまいよりましたわいな。おかげさんで、世間の注目もガゼン、こっちサイドに集まるようになってきよりましてなぁ、ハハハ。こっちが招きもせんのに、日本中から武士どもが、次から次へとわが陣営に加わってきとります。これはまさに、天がわしに時を与え、神仏も擁護のまなざしをそそいでくれてはるんやろうと、思ぉとりますぅ。

老僧 うーん。

楠正成 ところでですねぇ、お坊様、これはうわさで聞いたんやけどなぁ、ここのお寺には、ドエライもんがあるらしいですやん。

老僧 うん? いったいなんのこっちゃ?

楠正成 ここのお寺を建てはった、あの聖徳太子(しょうとくたいし)様がやねぇ、未来の百代の帝王の治世の様を透視しゃはってやねぇ、『大予言・日本の未来はこうなる』っちゅう題名の本を書かはった、それがここのお寺に残ったるんや、て、わし、聞きましたんやぁ。それ、ホンマでっかぁ?

老僧 ・・・。

楠正成 もしも、さしつかえないようやったら、その本の一部、そう、現代や、現代の世の中について書いたる部分だけでもえぇからやね、ちょっとだけ、そうや、ほんのちょっとだけ、わしに見さしてもらえしませんやろかなぁ?

老僧 うーん・・・たしかにぃ・・・・。聖徳太子様は、逆臣・物部守屋(もののべのもりや)を討たれた後、ここのお寺を創建されて、仏法をわが国に広めはったんや。その後、神代(かみよ)からはじまって持統天皇(じとうてんのう)の御代に至るまでの日本の歴史を、ここのお寺の中で書かはった。それは全部で30巻あってな、『前代旧事本記』いうてなぁ(注3)、卜部宿祢(うらべのすくね)が、これを代々伝える役目を、朝廷からおぉせつこぉとるんやわな。

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(訳者注3)[日本古典文学大系34 太平記一 後藤丹治 釜田喜三郎 校注 岩波書店]、[新編 日本古典文学全集54 太平記1 長谷川端 校注・訳 小学館]の注において、『先代旧事本記』の事を言っているのだろう、と記述されている。更に、『先代旧事本記』は平安時代に書かれたものであり、その著者は、聖徳太子ではない、と記述されている。
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老僧 (ヒソヒソ声で)ところがや、ジツはなぁ! その30巻の他にもう1巻、『秘密の巻』があるんやがな!

楠正成 (ヒソヒソ声で)ほうほう。

老僧 (ヒソヒソ声で)この一巻はな、ほんまに極秘の書物だっせ。いったいそこに何が書かれたるんかというとやな、持統女帝以降、末世に至るまでの代々の天皇の業績と天下の争乱の予言集なんやがな、これが!

楠正成 うわぁっ、すごいやんけ!

老僧 (ヒソヒソ声で)これっ! 声が大きい!

楠正成 (ヒソヒソ声で)すごいやんけぇー。

老僧 (ヒソヒソ声で)こないなタイソウなもん、そうそう簡単に人に見せるわけにはいかんのや。そやけどな、あんたにだけは特別に、こっそり見せたげましょかいな。

老僧はすぐに銀製のキーを持ってきて書庫を開け、そこから金色軸の巻き物1巻を出してきた。

正成は、胸を躍らせながら、それを読んで行った。

楠正成 あれぇ、ここになんや、ミョーな事書いたるぞぉ。

 「人王(にんおう) 95代に当たって 天下一たび乱れて 主(しゅ)安からず」
 「此の時 東魚(とうぎょ)来たって 四海(しかい)を呑む」
 「日 西天(せいてん)に没すること 370余日」
 「西鳥(せいちょう) 来たって 東魚を食らう」
 「その後 海内(かいだい)一(いつ)に帰すること 3年」
 「獼猴(みこう:注4)の如(ごと)くなる者 天下を掠(かす)むること 30余年」
 「大凶(だいきょう) 変じて一元(いちげん)に帰す うんぬん」

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(訳者注4)「猿」の別称。
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楠正成 (内心)うーん・・・こらぁ、おもろいなぁ(じっと考え込む)。

楠正成 (内心)まず、「人王 95代に当たって」のくだりやけど、先帝陛下はまさしく、神武帝(じんむてい)から数えて95代目や。

楠正成 (内心)「天下一たび乱れて 主安からず」は、まさに今の日本の現状そのものやなぁ。

楠正成 (内心)「此の時 東魚来たって 四海を呑む」、これは逆臣・北条高時(ほうじょうたかとき)とその一族の事や。となると、「西鳥 来たって 東魚を食らう」とあるから、鎌倉幕府を滅ぼす人物がそのうち現れる、ということか・・・。

楠正成 (内心)うーん・・・「日 西天に没すること」は、先帝陛下が隠岐島へ流されはった事とぴったし合(お)うとるわい。「370余日」とあるから、来年の春頃には、陛下が隠岐から京都へお帰りにならはって、再び天皇位につかれるっちゅう事やなぁ。

楠正成 (内心)なるほど、この予言書に込められた意味をよぉよぉ考えて見るにやなぁ、そのうち天下の形勢がひっくり返る事、間違いなしっちゅうこっちゃぁ。よーし、わしゃ、やるでェィ!

正成は、お礼に、金作りの太刀一振りを老僧に献じ、予言書を、もとの秘庫に収めさせた。

後になってから思い合わせてみるに、楠正成のその「予言書解釈」はことごとく当を得ていたのである。仏・菩薩にもたぐうべき大聖者・聖徳太子様が、この世の行く末を深く鑑みて書き残されたこの書物、その内容に寸分違わず、その後の情勢は推移していったのであった。まことに不可思議な予言の書、としか言う他は無い。

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(訳者注5)[第5巻 第4章] 中の、藤原仲範による考察のくだりが、この章の内容と対応している。(そのように、太平記作者は構想して書いたのであろう。)
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