太平記 現代語訳 4-3 尊良親王と宗良親王、配所へ

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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3月8日、後醍醐先帝の第1親王・尊良親王(たかよししんのう)が、土佐国(とさこく:高知県)の幡多(はた)郡に流されるその日が、ついにやってきた。

親王の護送を担当するのは、佐々木時信(ささきときのぶ)である。

警護の武士A おいおい、聞いたかぁ、先帝への処置の事。

警護の武士B うん、聞いたでぇ。隠岐島に流されはる事に、なったんやてなぁ。

これを聞いた親王は、

尊良親王 (内心)どのような厳刑に処されようとも、ゆく末、墓の苔の下に、身を埋めることになろうとも、せめて、京都の近所に配流になればと、天を仰ぎ、地に伏して、祈念こめてきたんやったが・・・。

尊良親王 (内心)陛下でさえも隠岐、という事は、この自分も、どっか遠い所へ・・・祈ったかいも無かったか・・・。(ガックリ)

やがて、護送担当の武士たちが大勢やってきて、配所へ親王を運んでいく輿を中門につけた。

親王は、あふれる涙を押さえかね、

 せき留(と)むる 柵(しがらみ)ぞな(無)き 泪河(なみだがわ) いかに流るる 浮身(うきみ)なるらん

(原文のまま)

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同日、第2親王・宗良親王(むねよししんのう)を、長井高廣(ながいたかひろ)の警護にて、讃岐国(さぬきこく:香川県)へ配流。

宗良親王 (内心)昨日、陛下が隠岐へとの話を聞いたばかりというのに、今日は兄上が、配流先へ・・・あぁ・・・。

悲哀の四国への路を、兄弟同じくして、しかも、流刑地は別々とは・・・思えばやるせない、そのご心中。

はじめのうちは、二人離れての旅であったが、11日の暮れに、兄弟ともに、兵庫港(ひょうごこう:神戸市)に到着。

宗良親王 (内心)ここから兄上は、土佐の幡多へ、海路を行かれるという。いよいよ、永遠の別れがやってきたか。

宗良親王は、兄・尊良親王に手紙を送った。

 今までは 同じ宿りを 尋(たず)ね来て 跡(あと)無き波と 聞くぞ悲しき

 (原文のまま)

それに対する尊良親王よりの返歌、

 明日よりは 迹(あと)無き波に 迷うとも 通ふ心よ しるべともなれ

 (原文のまま)迹迹

尊良親王 (内心)兄弟ともに、流刑先は四国と聞いて、それやったら、せめて、同じ国にしてくれたらえぇのになぁ、風の便りにでも何かしら、お互いの事を伝え聞く事もできて、憂いも少しはなぐさまるのになぁ、と願ぉてきたけど・・・弟は讃岐へ、私は土佐へか。

尊良親王は、漂う波の上を行く舟に自らの運命を託し、やがて、土佐の幡多へ到着。有井三郎(ありいさぶろう)の館の傍らに一室が設けられ、そこに禁固の身となった。

その周辺はといえば、南には高い山が迫っており、北は海辺まで斜面になっている。松の下露が扉にかかり、涙いやます気分である。磯に打つ波の音が枕の下に聞こえ、故郷へ通じる唯一の路である夢路さえも、それによって妨げられる。

一方、宗良親王は、兵庫港で兄と別れ、備前国(びぜんこく:岡山県東部)まで陸路を進んだ後、児島(こじま:岡山県玉野市)の吹上(ふきあげ:岡山県・倉敷市)という所から舟に乗り、讃岐の詫間(たくま:香川県・三豊市)に到着した。

配所は海浜に近く、毒気を含んだ湿気が身を犯し、熱病をもたらす海の気候はすさまじい。夕べに響く漁夫の歌、牛飼いの笛、秋の峯にかかる雲、海にあがる月、耳にするもの目にするもの全てが悲哀を催し、涙の元となる。

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「承久の乱の際の、戦後処置の前例にならい、先帝を、隠岐国(おきとう:島根県)に流したてまつるべし」と、幕府サイドでは決したものの、臣下の身分でありながら、君主をないがしろにするのはおそれ多しと、さすがの幕府も考えたのであろう、後伏見上皇の第1親王(注1)が天皇位に即位した後に、「先帝を、隠岐へ配流せよ」との勅命を、新天皇から出す、という運びで行こう、という事になった。

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(訳者注1)光厳天皇(こうごんてんのう)(持明院統)。
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先帝が再び天皇位に復帰、などということは、現在の情勢から見てありえないので、隠岐に行かれる前に、出家して頂くことにしよう、というわけで、褐色の法衣を、幕府から先帝に進呈したが、

後醍醐先帝 今のところは、出家するつもりはないなぁ。

先帝は、天皇の衣服を、お脱ぎになろうとされない。朝には必ず、水ごりを取られ、自分の今おられる所を「仮皇居」と見立てて浄められた後、清涼殿の石灰壇にみたてた場所に赴き、伊勢大神宮の方角に向かって、朝の礼拝をされる。(注2)

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(訳者注2)これらは全て、天皇の毎朝の行事である。
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幕府高官A 天に太陽は二つとは無いというのに、わが国土の上には、二人の君主ありかぁ。

幕府高官B やれやれ・・・。

幕府高官C 困ったもんだなぁ。

先帝がこのように振る舞われたのも、心中密かに、捲土重来(けんどじゅうらい)を期するところがおありになったからに他ならない。その詳細は、次の章で述べる。

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