太平記 現代語訳 17-7 足利尊氏の調略、功を奏し、天皇側陣営あえなく崩壊

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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進退極まってしまった後醍醐天皇(ごだいごてんのう)のもとへ、足利尊氏(あしかがたかうじ)から、密使が送られてきた。

天皇側近A (小声で)陛下・・・。

後醍醐天皇 う? なんや、いったい、どないしたんや。

天皇側近A (ヒソヒソ声で)足利尊氏のもとから、使者が・・・。

後醍醐天皇 (ヒソヒソ声で)なんやてぇ!

天皇側近A (ヒソヒソ声で)いかがいたしましょう?

後醍醐天皇 ・・・。

天皇側近A ・・・。

後醍醐天皇 ・・・(ヒソヒソ声で)通せ。

天皇側近A (ヒソヒソ声で)ハハッ。

やがて、天皇の前に通された密使は、いわく、

密使 将軍より、以下のようなメッセージを、預かってまいりました。

 昨年の冬、近臣の讒言(ざんげん)によって、私は陛下より、御勘気を頂く身となってしまいました。その時、私は、出家して身の潔白を証し、陛下より無罪とお認め頂いた上で、死なせて頂こうと思っておりました。

 ところが、新田(にった)兄弟は、陛下のお怒りを利用して、日ごろの恨みを晴らさんと、私に兵を向けてまいりました。そこで、私の方も止むを得ず、決起したのです。それ以来、日本国中が、今見るような騒乱状態になってしまったのであります。」

 私が挙兵するに当たっては、陛下にタテつこうという意図など、全くございませんでした。ただただ、新田義貞(にったよしさだ)一味を滅ぼし、他人を誹謗中傷するねじけた心を持つ輩を、陛下の周辺から根絶せん、ただ、それだけを願っての事でありました。

 願わくば、私のこの誠心(まことごころ)、陛下の御眼差しでもって、つぶさにご照覧下さいませ。讒言によって無実の罪に陥れられたこの私めを、どうか、哀れとおぼしめし下さいませ。なにとぞ、なにとぞ、御所へご帰還あそばされ、再び、玉座にお座り下さって、国家の平和を回復せしめてくださいませ。

 陛下のお供をして、そちらに行かれた公卿の方々は言うに及ばず、降参して来られる方々はすべて、その罪の軽重を一切問わないことと、致しましょう。全員、元の官職に復帰していただき、領地回復の手続きも、取らせていただきましょう。国家の運営も、今後は全て、公卿方にお委ね申し上げようと思っております。

 このような事をいきなり申し上げても、なかなか信じては頂けないのかもしれません。よって、「私が申し上げる事に、嘘偽りは決してありません」との趣旨の起請文を別紙にしたため、浄土寺(じょうどじ:京都市・左京区)の忠円僧正(ちゅうえんそうじょう)のもとへ、お届けしておりますので、そちらの方も、ご照覧くださいませ。
 
密使 将軍よりのメッセージ、以上でございます。(平伏)

後醍醐天皇 ・・・。

後醍醐天皇 (内心)う-ん・・・どないしょう?

後醍醐天皇 (内心)どないしたらえぇねん、どないしたら・・・。

後醍醐天皇 (内心)今のままでは、我がサイド、ジリ貧やしなぁ・・・。

後醍醐天皇 (内心)神仏への起請文まで書いてきとるんやし、よもや尊氏、嘘偽りでもって、こんな事言うてきてるんとはちゃうやろ。

後醍醐天皇 (内心)よし、出された船に、乗ってみるかぁ。

天皇は、側近の老臣や智臣に一切相談されずに、

後醍醐天皇 その話、乗った!

密使 ハハーッ。(平伏)

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密使 陛下は、ご承諾なさいました。

足利尊氏 そうか・・・ご苦労であった。

密使 ハハッ(平伏)。

足利尊氏 (内心)帝、叡智浅からずとは言いながらも、意外に簡単にだませたなぁ、フフフ・・・。よぉし、こうなったら、他の連中らも、どんどん誘ってみようじゃないの。

それ以降、尊氏は、ありとあらゆる機会と縁故を利用して、天皇方の有力武士多数に対して、密かに調略を進めていった。

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このようにして、後醍醐天皇の京都帰還の手はずは着々と整えられ、いよいよ、その当日となった。

降伏の意志を固めた天皇軍メンバーは、各自勝手に陣を離れ、今路(いまみち)、修学院(しゅがくいん)あたりに待機して、天皇の到着を待った。

新田一族中の重要メンバー、江田行義(えだゆきよし)と大館氏明(おおだちうじあきら)は、いずれも一軍の指揮を任されるほどの人物で、新田義貞とは運命共同体的関係にあった。しかし、いったい何を考えてか、二人は足利サイドへの降伏を決意してしまった。

9日の明け方、二人は、坂本を抜け出て比叡山上に登っていった。

そんな事とは夢にも知らない新田義貞は、その朝もいつものように周囲の人々と応対していた。そこへ、洞院実世(とういんさねよ)のもとから使者がやってきていわく、

使者 主より、次のように、急ぎ、新田殿に申し伝えるように、と、言いつかってまいりました。

 「天皇陛下がたった今、「これから京都へ帰還する」と言い出されて、供奉する人々を招集しておられる。新田殿はこの事、ご存じかいな?」

新田義貞 エェッ! 陛下が京都へ帰還? ハハハ、そんなバカなぁ。洞院実世様が本当に、そんな事を、あなたに言われたんですかぁ? あんた、洞院様のおっしゃった事を、何か聞き間違えてない?

それを聞いていた堀口貞満(ほりぐちさだみつ)は、

堀口貞満 殿! もしかしたら・・・。

新田義貞 えぇっ?

堀口貞満 いやね・・・どうも・・・どうも、なんかおかしいぃフンイキなんですよねぇ。実はね、今朝早く、江田と大館が、別に何の用も無いのに、「これから、根元中堂にお参りするんだい」とか言って、山の上へ登っていっちまったんですよ。

新田義貞 ・・・。

堀口貞満 とにかく、おれ、今から御座所へ行って、あちらの様子、見てきます!

貞満は、郎等に持たせていた鎧を取って肩に投げかけ、馬上で上帯を締め、両方のアブミを蹴立てて、馬を急がせた。

御座所近くにさしかかったので、馬から下り、兜を脱いで中間(ちゅうげん)に持たせ、貞満は、周囲を鋭い視線で見回した。

堀口貞満 やっぱしそうだったのか、まさに今、陛下御出発ってぇ状態じゃん!

供奉の公卿や殿上人(てんじょうびと)の中には、既に衣冠を帯している者もいる。御座所の縁の前には輿が据えられ、新任の内侍次官が内司所の櫃(ないしどころのひつ:注1)を手に持ち、輿の中に運び入れようとしている。そして、三種の神器中の「クサナギの剣」と「ヤサカノマガタマ」のお守り担当者として、蔵人頭(くろうどのとう)兼右少弁(うしょうべん)・藤原範国(ふじわらののりくに)が、御簾の前にひざまづいている。

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(訳者注1)三種の神器中の「神鏡」を格納している櫃。
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貞満は、左右に軽く会釈しながら輿のすぐ前まで駆け寄り、轅(ながえ)を握りしめて、叫んだ。

堀口貞満 陛下が京都へご帰還とのうわさ、このあたりの子供らの口から、聞いてはいましたがね、でも、新田義貞殿は、「そんな事、全く聞いてないなぁ」と言われる。だから、「ただのデマだろう」って、おれは思ってました。なのに・・・なのに、もうこんなトコまでいっちゃってたんだぁ!

後醍醐天皇 ・・・。

堀口貞満 陛下! いったいなぜ、新田義貞を、お見捨てになるのですか! いったいぜんたい、義貞が、どんな悪い事をしたというのですかぁ!(涙)

後醍醐天皇 ・・・。

堀口貞満 多年に及ぶ、義貞の粉骨砕身(ふんこつさいしん)の陛下への忠節、陛下はお忘れですかぁ! 陛下は、あの大逆無道の尊氏の方に、お心を移してしまわれたのかぁ!

後醍醐天皇 ・・・。

堀口貞満 さる元弘年間のはじめ、不肖・新田義貞は、もったいなくも陛下よりの倒幕勅命を頂いて、関東の大敵・鎌倉幕府を、たった数日の間に滅ぼし、陛下を、隠岐島流刑の境遇からお救い申し上げたんだ。さらにその後3年間も、朝廷に忠節を尽くして陛下の宸襟(しんきん)を安んじ奉ってきた。義貞のこの功績、古代の忠臣といえども、これに匹敵するもんなんか、いやしねぇ! 最近の義士の功績たってぇ、彼のそれに比べれば、ナニホドのもんだってんだぁ!

堀口貞満 足利尊氏が朝廷に反旗を翻すやいなや、朝廷軍の大将として敵に相対、反乱軍と戦ってそれを打ち負かし、敵の大将を捕虜とした、死線をかいくぐっての奮戦に継ぐ奮戦、もうその回数なんか、到底数え切れるもんじゃぁねぇよ! その戦いの中で、義を重んじて命を落としたわが新田一族、その数132人、節に臨んで、屍を戦場にさらした我らの郎従らのその数、8,000余!

堀口貞満 でも、でも、今回の京都での数度の戦い、朝敵の勢いは盛んになり、わが方は、次第に形勢不利・・・でもなぁ、この敗戦の責任、おれらの大将・義貞には全くね(無)ぇ! 敗戦の原因・・・原因は・・・ようは・・・ようは・・・。

後醍醐天皇 ・・・。

堀口貞満 ・・・陛下に、徳がね(無)ぇからですよぉ! だから、味方についてくれるモン(者)が、こんなに少ねぇんだぁ!

後醍醐天皇 ・・・。

堀口貞満 陛下! わが新田一族の長年の忠義を見捨てて、京都へどうしてもお帰りになりたいってんならね、まずは、義貞以下、当家の氏族50余人を御前へ召し出されて、伍子胥(ごししょ)みてぇに、全員の首を刎ねてからになさいませ! 比干(ひかん)みてぇに、全員の胸をお割きになったらどうですか!(涙)

満面に怒気をみなぎらせながら、涙を流し、理を砕いて訴える貞満の言葉は、その場に居合わせた全員の心を、強烈に揺り動かした。

後醍醐天皇 (内心)あぁ・・・わし、なんか、とんでもない思い違いしてたようやなぁ。

供奉の人々も、貞満の言葉にこめられた「理」と「義」の前には、ただただ、面を伏せて座すしかなかった。

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