太平記 現代語訳 17-5 新田義貞、足利尊氏に対して一騎打ちを挑む

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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八幡方面から京都に寄せていった四条軍の敗北を知らないまま、約束の時刻となったので、新田義貞(にったよしさだ)・脇屋義助(わきやよしすけ)兄弟は、2万余騎を率いて、今路(いまみち)、修学院(しゅがくいん:京都市・左京区)から南下、3手に別れて、京都中心部に押し寄せていった。

第1軍を率いるは、新田義貞、脇屋義助、江田(えだ)、大館(おおだち)、千葉(ちば)、宇都宮(うつのみや)、その兵力1万余騎。大中黒(おおなかぐろ:注1)、月ニ星(つきにほし:注1)、左巴(ひだりともえ:注1)、丹(たん)と児玉のウチワ(注1)などの旗30本を連ね、糺森(ただすのもり:京都市・左京区)を西へ通過し、大宮大路を南下、足利軍がこもる東寺へ、ひたひたと寄せていく。

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(訳者注1)大中黒は、新田家の紋、月ニ星は、千葉家の紋、左巴は、宇都宮家の紋、ウチワは、児玉党武士団の紋。
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第2軍を構成するは、名和長年(なわながとし)、仁科(にしな)、高梨(たかなし)、土居(どい)、得能(とくのう)、春日部(かすかべ)、他、諸国の武士らからなる混成軍、その兵力5,000余騎。大将・新田義貞の旗を守りながら、鶴翼魚鱗(かくよくぎょりん)の陣をなし、猪熊(いのくま)通りをまっしぐらに南進。

第3軍は、二条師基(にじょうもろもと)、洞院実世(とういんさねよ)を大将とする5,000余騎。牡丹の旗、扇の旗ただ2本だけを掲げ、足利軍に背後に回り込まれぬようにと、四条通りを東へ進み、わざと先へは進まない。

先日から東山・阿弥陀峰(あみだみね)に陣取っていた、阿波(あわ)、淡路(あわじ)勢1,000余騎は、未だ京都中心部へ入ってはおらず、泉湧寺(せんゆうじ:京都市・東山区)の前の今熊野(いまくまの:東山区)まで降りてきて、合図の烽火を上げた。

これを見た長坂(ながさか)に陣取る額田(ぬかだ)勢800余は、嵯峨(さが:右京区)、仁和寺(にんなじ:右京区)のあたりに散開し、方々に火を放った。

足利サイドは、大兵力ではあるが、人も馬も疲れきっており、今朝の戦で矢も使い果たしてしまっている。これを攻める側は、小勢ではあるものの、それを指揮するは名将・新田義貞。

新田義貞 (内心)これまで、わが方は連戦連敗だった。今日こそは、何としてでも、その恥をそそがずにおくもんかい、新田家の面目にかけてな! 今日こそは、やるぞぉ!(ギシギシギシ・・・歯ぎしり)

街の声A 大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統(じみょういんとう)の、天皇家内部の政権争いも、

街の声B 新田、足利両家の、長年にわたる確執(かくしつ)も、

街の声C 何もかも、今日のこの一戦で、ピリオドを打つことになるんやろぉなぁ。

街の声D いったい、どないなるんやろぉか、うーん!

街の声E いったい、どちらが勝つんやろうか、うーん!

街の声F 緊張いや増す、今日この時!

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六条大宮(ろくじょうおおみや)で、戦いが始まった。足利軍20万騎と新田軍2万騎の乱戦が展開されていく。

飛び交う矢の音は、軒を過ぎ行く夕立のごとくけたたましく、撃ち合う太刀の鍔音(つばおと)は、空に答える山彦(やまびこ)の鳴り止むひまもなし。足利軍は、小路(こうじ)小路を塞ぎ、新田軍を東西から包囲せんとする。相手が進めば先を遮り、左右へ分かれればその中に割って入らんと、変化、機に応じて戦う。

対する新田軍は、兵力をいささかも分散する事無く、中央を相手に破らせず、今退いたかと思えば、すぐに反撃に転ずる。立ち向かってくる足利側の各軍を次々と撃破しながら、大宮通りをグイグイ南進。

足利側の仁木(にっき)、細川(ほそかわ)、今川(いまがわ)、荒川(あらかわ)、土岐(とき)、佐々木(ささき)、逸見(へんみ)、武田(たけだ)、小早川(こばやかわ)各軍は、こちらに打ち散らされ、あちらに追い立てられ、チリジリバラバラになってしまった。

かくして、新田軍2万余騎はついに、東寺の小門前に到達、一斉にトキの声を上げた。

新田義貞 坂本を出る時になぁ、おれは、天皇の御座所におうかがいして、陛下にお誓い申し上げたんだぁ、

 「これから天下がどうなるかは、陛下の御聖運次第、自分があれこれ、心わずらうべき事ではありません。とにかく今日の戦、尊氏がこもってる東寺の中へ、矢の一本も射る事もなしに、退却しちまう、そのような事だけは、絶対にいたしません!」

ってなぁ! その約束を違えず、ついに、敵の本拠地までたどりついたぞぉ!(大喜)

義貞は、旗の下に馬をすえ、東寺の方角を睨みつけ、弓を杖につきながら大声で叫んだ。

新田義貞 おぉーい、そこの足利のぉー、よぉく聞けぇー!

新田軍メンバー一同 ・・・。

足利軍メンバー一同 ・・・。

新田義貞 この数年間ってもーん、日本国中、混乱休まるところを知らずぅー、罪もない人民は、身を安んずる事もできずにぃー、ずっーーときてしまったよなぁーー。

新田義貞 その原因、一つにはなぁー、天皇家の両統の政権争いにありとぉ、言えるんだろぉぜぇー。

新田義貞 けんどよぉー! それはあくまでも、表面上の事よぉー。何もかもがぁ、足利尊氏(あしかがたかうじ)ぃー、おまえとおれとの争いー! これこそが、この日本の動乱の、真の原因だぁー!

メンバー一同 ・・・。

新田義貞 おれはなぁ、尊氏ぃー、思ったんだよぉ、おれかおまえか、どっちかの顔を立てるために、大勢の人間を争いに巻き込んで、苦しめるぅー、そんな事やってねぇで、おれたち二人だけでもって勝負決めりゃいいじゃんってなぁー。その方が、よっぽど良かぁねぇかい、えぇーー!?

メンバー一同 ・・・。

新田義貞 オォーイ、尊氏! おまえ、おれの言ってるの、ちゃんと聞いてんのかよぉー! おれはなぁ、これから自分一人だけで、そっちの軍門めがけて行くからなぁー! 尊氏ぃー、おまえも男だったらなぁー、とぉっとと外に出てきて、潔(いさぎよ)く、おれと、一騎打ちの勝負しやがれーぃ!

メンバー一同 ・・・。

新田義貞 サァテ、まずはイッポン(一本)、ごあいさつといくぜーぃ! この矢に込めたおれのこの覚悟、てめぇ、思い知りやがれってんだぁーー!

義貞は、2人張りの弓に13束2伏の矢をつがえ、思い切り引き絞って、ツル音高く放った。

弓 ビューン!

矢 ヒューーーーーーーー、ヴィシコーン!

矢は、二階建ての櫓の上を超えて、尊氏が座す本堂の中まで飛び込み、東北角の柱に突き刺さった。鏃は柱の中に深々と埋まり、一瞬、柱が揺らいだ。

足利尊氏 ・・・ウウウ・・・ウウウ・・・。

尊氏の側にいる足利軍メンバー一同 ・・・。(ソワソワソワ)

足利尊氏 ・・・ウググ・・・義貞ァ!・・・。

尊氏の側にいる足利軍メンバー一同 ・・・。(ゾクゾク)

足利尊氏 いいか! 私はなにもなぁ、天皇陛下を倒そうと思って、この戦をはじめたんじゃぁなぁい!

尊氏の側にいる足利軍メンバー一同 ・・・(ワナワナ)。

足利尊氏 鎌倉を・・・鎌倉を出発したあの時以来、心中に念じ続けてきたことは、たった一つ・・・たった一つだけ! 義貞に出会い、この憤りを晴らさん、ただそれだけ、ただそれだけだぁー!

尊氏の側にいる足利軍メンバー一同 ・・・(ブルブル)。

足利尊氏 一騎打ちぃ? ヨォシ、もとよりこちらも願う所だ、受けて立つぞ! 馬引けぇ、馬引けぇ!

足利軍メンバーG ウワッ、こりゃ大変だよぉ!

足利軍メンバーH 殿、殿!

足利軍メンバーI ちょっと待ってくださいよ、殿ぉ!

足利尊氏 エェイ、さっさと門を開けろ! うって出るぞォ! 一騎打ちだぁ!

上杉重能(うえすぎしげよし) 殿、殿、これはいったい・・・いったいナンテェ事を・・・なんてムチャな事を・・・。

重能は、尊氏の鎧の袖に取り付いて、必死に尊氏をなだめる。

上杉重能 あのォォ・・・古代中国においてですネェェ、楚(そ)の項羽(こうう)が漢(かん)の高祖(こうそ)に対して一騎打ちを挑んだ時、高祖は項羽をアザ笑って、一体何て言いやしたぁ? 「なんでおれが、おまえみたいなヤツと、一騎うちなんかしなきゃぁなんねんだよぉ、おまえなんざぁ、そこらの罪人にでも討たせるわさ」ってねぇ。

足利尊氏 ・・・(怒気さめやらず)。

上杉重能 義貞はね、ロクに作戦も立てねぇまんま、こちらの陣へ深入りしちまったばっかしに、もうどこにも退却しようが無くなっちまった。だから、フテクサレてやがんですよ。

足利尊氏 ・・・(冷静さを取り戻しつつ)。

上杉重能 義貞のコンタンはですねぇ、なんとかして、戦いがいのある相手を、寺の外に引っ張り出し、それと戦って、死んで一花咲かせようって事ですわさ。なのに、そんな挑発に乗って、外に出てくだなんて・・・やめてくださいよぉ、一騎打ちなんて、とんでもねぇです、一騎打ちなんて!

このように、道理を尽くして説得する重能の言葉に、尊氏も仕方なく怒りを押さえ、再び席に戻った。

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土岐頼遠(ときよりとう)は、300余騎を率いて上賀茂(かみがも:北区)に布陣していた。

五条大宮(ごじょうおおみや)にいる相手勢力を見て、

土岐頼遠 オッ、あの軍、立てとる旗を見りゃ、みぃんな、お公家さん方の家の旗ばっかしだがね。ということは、あの軍のリーダーに、武士はおらん・・・こりゃぁ、いいカモだが。よぉし、あれに攻めかかれ!

土岐軍は、トキの声を上げ、おめき叫んで、第3軍に襲いかかった。

背後から攻めかかってきた土岐軍を見て、第3軍は、パニックに陥った。

天皇軍・公家J 敵が、背後に回り込んできよった!

天皇軍・公家K このままではあかん、鴨(かも)河原まで退(しりぞ)いて、そこの広みで戦うんや、退(ひ)け、退け、はよ退かんかぁ!

その軍勢は一戦もせずに、たちまち五条川原へ追い出され、そのまま足が止まらず、一目散に修学院へ。

土岐頼遠 なぁんじゃぁ、あの腰抜けどもはぁ、ワッハッハッハァー。よぉし、勝ちどきじゃぁ!

土岐頼遠 エェイ!エェイ!

土岐軍メンバー一同 オーウ!

その声を聞いて、そこかしこから足利サイド軍勢が集合してきて、数千騎の勢力に膨張、大宮通りを南下して、新田軍の背後から襲いかかった。

さらに、神社総庁前(注2)にひかえていた、仁木、細川、吉良(きら)、石塔(いしどう)ら2万余騎は、朱雀大路(すざくおうじ)を斜めに突っ切って西八条(にしはちいじょう)へ押し寄せてきた。

東からは、小弐(しょうに)、大友(おおとも)、厚東(こうとう)、大内(おおうち)、四国・中国の勢力3万余騎が、七条河原を南下し、針小路(はりこうじ:南区)、唐橋(からはし:南区)へ回り込んできた。

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(訳者注2)原文では、「神祇官」。
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このようにして、足利サイドは、水も漏らさぬ包囲網を敷いた。

新田軍は、三方かくのごとく百重千重に取り囲まれ、天を翔け地を潜るしか、包囲網の外に遁(のが)れることができない。前方には、城砦(じょうさい)と化した東寺の守りかたく、数万の兵が鏃をそろえて、散々に矢を射てくる。

新田義貞 もともと、今日限りのわが命と、覚悟定めてきたんだ、さぁ、行くゼィ!

義貞は、2万余騎を一手にまとめ、八条から九条一帯に展開する足利軍10万余騎を四角八方へ駆け散らし、三条河原へサァット退いた。千葉、宇都宮も、思い思いに血路を切り開いて、戦場を去っていった。

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名和長年が率いている軍は、いつのまにか、孤立状態になってしまった。

仁科、高梨、春日部、丹、児玉ら3,000余騎は、一団となって一条大路を東へ退き、途中300余騎が討たれながらも、鷺森(さぎのもり:左京区)へ駆け抜けた。

長年の軍は、200余騎にて大宮で反撃に転じ、長年以下、一人残らず討死。

その後、各方面での戦闘に勝利した足利軍30万騎は、再び、新田軍を包囲。

新田義貞は思い切った様子、もはや一歩も退こうとしない。全員、馬の頭を西に向け、最後の突撃を敢行しようとする。

その時、後醍醐天皇から頂いた衣を切り割いた布を笠標(かさじるし)につけた武士2,000余騎が、方々から集まってきた。

彼らは、戦い疲れた足利軍を相手に、激しい白兵戦を展開、雲霞(うんか)のごとき大兵力の足利サイドは、馬の足も立ちかねる状態となり、京都中心部へツゥット退いていった。

かくして、新田義貞、脇屋義助、江田、大館らは、万死を出でて一生に逢い、坂本へ退却していった。

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(訳者注3)[京都市歴史資料館 情報提供システム フィールド・ミュージアム京都]-[いしぶみデータベース] の中に、

此附近名和長年戦死之地

という石標に関する記述があり、それによれば、

それがある場所は、

 上京区大宮通中立売上る東側

「この石標は長年戦死の伝承地を示すものである。」

なのだそうだ。

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