太平記 現代語訳 15-9 賀茂神社の神主、改補される

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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大いなる天下の大乱がおさまり、政治も一新された。それに伴って、人々の心も悲喜こもごもである。

中でも特筆すべきは、下鴨(しもがも)・上賀茂(かみがも)両社の神主(かんぬし)の職である。これは、神社関係の中でも極めて重要なものであった。任命されるにも順番というものがあり、咎(とが)が無い限りは罷免など、まずありえない。

ところが、足利尊氏(あしかがたかうじ)は、貞久(さだひさ)をこの職から罷免し、基久(もとひさ)を任命した。

ところが、基久の喜びもつかの間、わずか20日足らずで権力構造は逆転し、朝廷からの命令により、貞久が神主職に返り咲いた。

このような神主職の変転は、今回に限った事ではなく、大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統(じみょういんとう)との政権交代のたびに、手のひらを返すように、繰り返されてきたのである。その真相を探っていくと、「ある確執」に、行き着く。

ここに一人の女性がいた。基久の娘である。

深窓(しんそう)に養われている頃より、紫草の若草のように、彼女の美貌は輝いていた。はじめて元結でゆうた髪が寝たために乱れた様を見れば、成人の暁にはいったいどれほど素晴らしい美人になるかと、見る人ことごとくを、心迷わせるほどであった。

やがて、彼女は、16歳に・・・その美貌たるや、夢の中に現われたという中国・巫山(ぶさん)の神女の面影を止めたるか、はたまた、太真院(たいしんいん)訪問時の楊貴妃(ようきひ)の、春のような媚びを残したるか。

容色が素晴らしい上に、芸術の道にも堪能と、きている。小野小町(おののこまち:注1)がたしなんだ和歌の道を学び、源氏物語に登場の宇治八宮(うじはちのみや)が愛されたあの楽器(注2)の演奏にも心を打ち込んでいる。月の前に琵琶を弾じては、西に傾く月を招き、花の下に歌を詠じては、うつろう花の色を悲しむ。

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(訳者注1)平安時代の歌人。

(訳者注2)琵琶。
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このような女人であったので、その心に触れたり、その美貌を目にした人はことごとく、彼女に対する思慕の情に、心を悩ます事となった。

後宇多院(ごうだいん)の二番目の親王として生れた後醍醐天皇は、当初は、師宮(そちのみや:注3)の地位にあり、言うなれば、「目立たない日陰の存在」であった。

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(訳者注3)九州の太宰府(だざいふ)の長官職のことである。皇族が任命されたが現地には赴かず、京都に滞在したままであり、現地の実質的統率は、太宰府次官に委ねられていた。
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一方、現法皇は伏見(ふしみ)上皇の一番目の親王(伏見宮)で、当時、皇太子就任がすでに決まったような状態であったので、こちらの方はまさしく、「今をトキメク存在」であったのである。

この二人の親王、いったいいついかなる時に、玉簾の隙間から彼女の姿をかいま見たのであろうか、「ものすごい上品で、美しい女性やなぁ!」と、共に彼女の事を、みそめた。

しかしながら、双方ともに、「あんまり強引にやってしまっては、あかんやろう。ソフトにいかんとな・・・。」と、思い煩い、萩の葉に吹く風にかこつけ、忘れ草(注4)の末葉(すえば)に結ぶ露に便りを得て、言いようもないほどすばらしい手紙を、彼女のもとに続々と送ってくる。その数は、千通をも超えたであろうか。

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(訳者注4)萱草(かんぞう)の別称。
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二人の親王からの求愛に、彼女の心は揺れ動く。

基久の娘 (内心)関心を持っていただけるのは、嬉しい事やけど・・・吹く方向も一定でない浦風になびいていく煙のような態度を取って行ったら、どないなってしまうことやら・・・やがては、世間に浮き名を流すような事にもなりかねへん。そないな事だけは絶対に、うち、せんとこ!

このように、心堅固な関守(せきもり)を続けて3年目、ついにそれは、彼女の両親の知るところとなった。

基久の妻 えーっ、なんやてぇ! やんごとない親王はんらが、あの子に、ずっと前から、関心持ってくれてはったんかいなぁ!

基久の妻 あの子もなんでまた、今日まで返事も返さんと、ほったらかしにしといたんやぁ・・・。

基久 身分が違いすぎるからやろぉなぁ。なんせ、相手は、天皇家のお子様なんやから・・・。

基久は、さほど高い家柄の出自ではなかった。

基久の妻 そやけどな、うちの実家は藤原の家系なんやから、わが家から天皇家へ娘を嫁入りさせたかて、なぁもおかしぃないのにぃ。

基久の妻 あーあ・・・おしいことをしてもぉて・・・あーあ・・・。

二人の親王と娘との仲立ちを担当している二人の者は、それぞれ、これを聞きつけて、

伏見宮サイドの仲立ち担当者 あらっ、えぇこと聞いたわぁ。

師宮サイドの仲立ち担当者 これで、なんとかなりそうや。

ということで、双方からの猛アタックが始った。

伏見宮サイドの仲立ち担当者 母上のお嘆き、ごもっとなことやと、うち、思いますえぇ。ほんま、もったいないですわぁ、こんなすばらしいご縁を・・・。

基久の娘 ・・・。

かたや、

師宮サイドの仲立ち担当者 はよ、決めとくなはれ、うちの殿下にぃ。お返事、書いてくださいなぁ。

基久の娘 ・・・。

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基久の妻 あんた、いったい、どないすんのん?

基久の娘 どないする、言われてもぉ・・・。

基久の妻 どっちかの殿に、はよ、返事差し上げんと、あかんやんかぁ。

娘 そないな事、言われても・・・いったいどないして、殿を選んだらえぇん、うち、分からぁん・・・。

基久の妻 ・・・。

娘 ・・・うん、こないしましょか、次に送ってきはったお二人の手紙を見比べて、こっちの方がえぇなぁと思った和歌を書いてきはった親王はんのとこへ、うち、行きます。(微笑)

基久の妻 よっしゃ、よっしゃ! ほなら、仲立ちの人らに、うちからそないに言うとくわ。

二人の仲立ち役は、これを聞いて大喜び、さっそく、各々の親王のもとへ赴いて、事の次第を告げた。

すぐに、伏見宮の方から、持つ手からさえ芳香がただようほど、香をたきしめた紅葉重ねの薄紙の手紙が来た。ここぞとばかりに、これまでのものよりも更に纏綿(てんめん)たる文章が書き連ねてある。そして、問題の和歌は、

 わが思い 言わんとすれども 泣きぬれて 涙の他には 言葉も出ぇへん

 (原文)思いかね 云(い)わんとすれば かきくれて 泪(なみだ)の外(ほか)は 言(こと)の葉もなし

これ以上に深みのある和歌を誰が詠めようか、と思っていた所に、今度は師宮からの手紙が。

こちらの方は、露草の花でうっすらと染めた淡色の紙である。文章は一行も無く、ただ和歌だけが一首、

 夕時雨(ゆうしぐれ) つれない松は 知らん顔 降る甲斐も無き しがない我が身

 (原文)数ならぬ みののお山の 夕時雨(ゆうしぐれ) 強面(つれなき)松は 降るかいもなし(注5)

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(訳者注5)自分を夕時雨に、娘を松にたとえている。
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この和歌に、娘はいたく心を動かされたようである。手紙を手に持ち、涙ぐみながら、その和歌を口ずさんでいる。

師宮サイドの仲立ち担当者 (心中)おめでとうございます、師宮さま、これで、決まりどすぅ!

師宮サイドの仲立ち担当者は、ほくそ笑(え)みながら、帰って行った。

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その日の夜更けを過ぎた頃、師宮のもとから、美しく装われた迎えの牛車がやってきた。牛車と共に来た宮中護衛の者が中門の側に立ち、きぜわしく、言う。

宮中護衛の者 ほれほれ、もう夜も更けとりますがな。もうすぐ、午前2時や。早ぉしとくんなはれ、早ぉ!

基久の妻 はいはい、もう、わかってますがな。

娘が、牛車の簾を上げさせ、人の手を借りて車に乗り込もうとしていたその時、基久が帰宅してきた。

基久 おっ、どこ行くんや?

基久の妻 師宮様のお屋敷へ。

基久 えぇ? いったい何しに?

基久の妻 何しに、て・・・この子がおこし入れ、するんやんかぁ、師宮様んとこにぃ。

基久 ちょっと待てぇ、ちょっと、ちょっと!(妻の手を引き、少し離れた場所へ、妻と共に移動)。

基久 (小声で)いったい何、考えとるんや!

基久の妻 (小声で)えぇ?

基久 (小声で)よぉ考えてみい、伏見宮様はなぁ、そのうち皇太子になられるっちゅう噂もあるようなお方やねんぞぉ。そちらの方に嫁いでこそやな、深山の奥に隠れたる老木にまでも花がさくような春に、わが家も逢えるっちゅうもんやないかい。この先いったい、どないなっていくのかさっぱり分からんような、頼りない師宮様のとこへ行ったんでは、親にも娘にも、春は永遠に巡っては来んよぉ。

基久の妻 (小声で)なるほどぉ、それもそうやなぁ。

このような事になっているとも知らず、宮中護衛の者は、牛車の御簾の前に跪いて言う。

宮中護衛の者 もう、月、大分傾いてしまいましたやん、早ぉ乗って下さいよぉ!

基久の妻は、彼に対して、

基久の妻 まことに申し訳ない事やけどなぁ、娘が急に気分が悪い、言い出しましてなぁ。日を改めて、別の日の夕方に、ということで、お願いできしまへんやろか。

このようにして、牛車を返してしまった。

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師宮は、このような事とは思いも及ばず、昨日までのつらい思いも今日限り、と、それからもたびたび、使いを基久のもとへ送った。

ところが、

使者 大変ですぅ! 基久の娘、伏見の宮んとこへ、輿入れしてしまいよりましたでぇ!

師宮 なにぃ!

使者 やられましたわぁー。

師宮 (内心)さては、親の差し金やな!

師宮 (内心)あぁ、親の邪魔さえ、入らへんかったら、こないに堪えて慕い続けへんでも、よかったろうになぁ。

師宮 (内心)ウウウ、にっくき、基久め!

この時、師宮は恨み骨髄に徹したのであった。過去にこういう事があったので、師宮が即位して後醍醐天皇となった時、基久はさしたる咎も無かったのに、天皇の怒りによって神主職を罷免され、貞久がそれに代わったのである。

その後、天下は大いに乱れ、2人の君主が3度も、入れ替わり立ち替わり天皇位に就任する間に、基久と貞久の方も、わずか3、4年の間に3回も、下鴨・上賀茂両社の神主職の罷免・改補を繰り返した。

夢幻のような変転極まりない人生、今に始まった事でなし、とはいいながらも、ことさら自身の身の上に思い知られたこの世の哀れに、「もうこうなったら、これしかない!」と思い切り、ついに基久は、出家遁世の身となってしまった。その時に彼が残した歌一首、

 うたた寝の 夢よりもなお 空しきは 昨今の世の 現実の日々

 (原文)うたたねの 夢よりも尚(なお) 化(あだ)なるは 此比(このころ)見つる 現(うつつ)なりけり

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