太平記 現代語訳 3-1 楠正成、参上!

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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元弘元年(1331)8月27日、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は笠置寺(かさぎでら:京都府・相楽郡・笠置町)へ入り、寺の本堂を皇居と定められた。

それから2日間ほどは幕府側の勢威を恐れ、天皇の下に馳せ参じて来る者は一人も無かったが、比叡山・坂本の合戦での六波羅庁側・敗北のニュースが伝わるやいなや、この寺の衆徒をはじめ、近在の武士たちが、あちらこちらから集まってきた。

しかし、その中には、百騎ないし二百騎の兵力を保持するような、有名な武士リーダーは、一人もいない。

後醍醐天皇 (内心)こないな連中ばっかしで、大丈夫やろか・・・ここを守りきれるんやろぉか・・・。

苦慮の渦中に沈む陛下を、やがて、しばしのまどろみが、包みこんだ。

後醍醐天皇 うん?・・・ここはいったいどこやねん? 御所の紫宸殿(ししんでん)の庭先やろか・・・。あこに、大きな常緑樹が一本生えとるなぁ。

後醍醐天皇 葉が青々と茂ってるわ。とりわけ、あの南の方に伸びている枝の、葉の茂り方がすごいなぁ。

後醍醐天皇 樹の下に、大臣や公卿らが、位の順に列になって着席してる・・・南方を向いた上座には、畳が高ぉ敷かれたる・・・そやけど、その上には誰も座ってへんなぁ。あれはいったい、誰のためにしつらえた席なんやろ?

後醍醐天皇 ちょっと、あこへ行ってみたろ。(立つ)

するとそこに、左右みずら結のヘアスタイルの少年が二人、忽然と姿を現した。

二人は天皇の前にひざまずき、目に涙をいっぱいたたえながら、

少年X この広い日本の国土の中に、陛下におかれましては、ほんの一瞬も、おん身を隠せる所もありませんね。

少年Y でもね、ほら、あそこをご覧下さい! あの木の樹陰に南に向かってしつらえた座席、あれこそは、陛下の為に設けた玉座であります。しばらくは、あそこにお休み下さいませ。

言い終わるやいなや、少年たちは、はるか天のかなたへと去っていく。

後醍醐天皇 お、おい、ちょっと待て、ちょっと・・・(ガバッ)。

後醍醐天皇 あぁ、夢やったんかいなぁ・・・。

後醍醐天皇 (内心)それにしても、不思議な夢やったなぁ・・・天からわしに、何かお告げになられんとの、夢やったんやろぉか。

後醍醐天皇 (内心)いったい何やろ、いったい何をおっしゃりたいんやろか、天はわしに。

後醍醐天皇 (内心)うーん・・・。

後醍醐天皇 (内心)そうか、文字か! 文字が、この夢のキーワードやな!

後醍醐天皇 (内心)木の陰に、南向きにしつらえたる席・・・「木」に「南」をあわせると、「楠」の字になるな・・・。

後醍醐天皇 (内心)あの木の下の席に座れと、少年は言うてた・・・南に向いた席に・・・ということはやで、わしに再び、「天子南面して徳を治め、天下の士をもって仕えさせしめよ」という事かいな?

後醍醐天皇 (内心)あの二人の少年、一人は日光菩薩(にっこうぼさつ)、もう片方は月光菩薩(がっこうぼさつ)の化身か・・・(注1)。

後醍醐天皇 (内心)うーん、こないして夢判断していくと、何やら希望が湧き上がってくるやないかい!

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(訳者注1)薬師如来の左右に安置される菩薩。左側が日光菩薩、右側が月光菩薩。(仏教辞典:大文館書店刊より)
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夜が明けるやいなや、天皇は、笠置寺の衆徒・成就房律師(じょうじゅうぼうりっし)を呼び寄せて問われた。

後醍醐天皇 あんなぁ、もしかしてこのへんに、「くすのき」っちゅう名字の武士、おらんかなぁ?

成就房律師 「くすのき」? 「くすのき」でっか? はぁー・・・そないな名字のもんはぁ、聞いたことが・・・いや、待てよ!

後醍醐天皇 なんか、心当たりあるんか!

成就房律師 はい、こっから(ここから)は大分遠いんですけどな、河内国(かわちこく:大阪府東部)の金剛山(こんごうさん)の西山麓に、楠多聞兵衛正成(くすのきたもんひょうえまさしげ:注2)いうて、戦の方面では相当有名なんがおりますよ。

後醍醐天皇 !!!

成就房律師 この人は、敏達(びだつ)天皇の四代目子孫の橘諸兄(たちばなのもろえ)公の、そのまた子孫や、いう事らしいですけどなぁ、臣籍に下ってから、もうだいぶになるんやそうですわ。

後醍醐天皇 うーん、やっぱしおったんや!

成就房律師 彼の母は若い時、信貴山寺(しぎさんじ)の毘沙門天(びしゃもんてん:注3)に、百日詣でしましてな、そいで夢見て、彼を産んだとか。それで、幼名を、「多聞」いうんやそうで。

後醍醐天皇 よぉーし、まちがいない、ゆうべ(昨夜)の夢は、この男の事やったんや!

後醍醐天皇 藤房ぁっ、この楠っちゅう男、ここに呼びよせぇ! 今すぐやぞ!

万里小路藤房 ははっ!

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(訳者注2)日本中世史関連の書物の中に、「楠木正成」と表記しているものがあるが、これ以降、太平記・原文通りに、「楠正成」の表記で行くこととする。

(訳者注3)四天王の一。別名、多聞天。
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万里小路藤房(までのこうじふじふさ)は、ただちに勅使を楠の居館へ急行させ、事の子細を伝えさせた。

それを聞くやいなや、楠正成は、

 「陛下からの直々のお召、弓矢取る身にとってはこの上ない面目」

と、天皇側陣営につくことを即断即決、ただちに人目を忍んで笠置山へ駆けつけてきた。

天皇は藤房を介して正成に言わく、

万里小路藤房 正成、陛下は以下のようにおおせや、

 「鎌倉幕府の連中らを討伐する件につき、わけあって正成を頼りにしたいと思い、勅使を送ったところ、すぐに馳せ参じてきた事、うれしく思う。」

 「さてさて、幕府からの政権奪回、いかなる戦略をめぐらして短期間に成就し、天下に平穏をもたらすか、思うところを、残らず述べてみよ。」

楠正成 (かしこまって威儀を正した後)・・・。

後醍醐天皇 ・・・。

天皇側近一同 ・・・。

楠正成 最近の、幕府の連中らの、陛下に対するしうち・・・

後醍醐天皇 ・・・。

天皇側近一同 ・・・。

楠正成 あれ、ナンデスか! ムチャクチャやんけ!

後醍醐天皇 !!!

天皇側近一同 !!!

楠正成 あんな事してたらな、きっとそのうち天罰、そうや、天罰が下ること、間違いなしですわいな!

後醍醐天皇 うん!

天皇側近一同 (うなずく)。

楠正成 天のさだめによって、この先必ず、幕府は弱っていきますわ。

楠正成 あいつらが弱ってきたとこにつけこんでったら、天誅下すんなんか、楽勝でっせ。

楠正成 ただし、ただし、ですわ!

楠正成 天下平定しよ思ぉたら、武力と謀略、両方必要です。

楠正成 謀略、そぉや、謀略、これですがな!

楠正成 真っ正面から幕府軍にぶつかっていったんでは、たとえ日本全国60余か国の軍勢あわせてみても、幕府側本拠地の武蔵(むさし:埼玉県+東京都+神奈川県北東部)と相模(さがみ:神奈川県)たった2国の武力に、到底かないませんわな。ここはやっぱし謀略、謀略です。

後醍醐天皇 うーん!

楠正成 関東の連中らの強みいうのはですな、ただただ合戦に強い、これだけのことですわいな。そやから、こっちサイドが謀略を駆使して立ち向おうて行ったら、あいつらをダマクラカスんなんか、チョロイもんでっせ。なぁも怖い事ないわいな。

後醍醐天皇 (深くうなづく)

楠正成 陛下、合戦ちゅうもんには、勝ち負けはつきもんですわ。一つ一つの勝敗、いちいち気にしとったらあきまへんで! とにかく、「正成、まだ、しぶとぉ生きとるらしいで」いう情報、聞かはったらな、「そうか、あいつ、まだ生きとるんけ、っちゅうことはやな、わしの運もそのうち開ける、言う事やんけ!」とな、そないな感じで、心強ぉに持っていって下さいや!

後醍醐天皇 (笑みを浮かべながら)うーん・・・。

このように、たのもしげに言い放った後、楠正成は河内に帰っていった。
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