太平記 現代語訳 11-3 後醍醐先帝、書写山円教寺に参拝

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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5月27日、御醍醐先帝は、播磨国(はりまこく:兵庫県西部)の書写山(しょしゃざん:注1)へ行幸された。この寺への参拝は、かねてからのご宿願であった。

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(訳者注1)書寫山圓教寺(兵庫県・姫路市)。
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寺内の諸堂を順礼された後、この寺の開山・性空上人(しょうくうしょうにん)の御影堂(みえいどう)の扉が開かれた。

長年秘してしまいこまれていたと思われる重宝が、そこにはたくさんあった。陛下は、一人の寺の宿老を召していわく、

後醍醐先帝 ここらのこれはいったい、どないな、いわれのあるもんなんや?

宿老 はい、では、おそれながら、順にご説明させていただきます。

宿老 まず、こちらにありますこれ、杉原紙1枚(注2)を折り、そこに法華経全8巻および法華経前説と結び、それらが全部、書き込まれたる、というものでございます。ものすごい細い字で書いてますやろ?

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(訳者注2)[兵庫県 多可郡 多可町]に、[杉原紙の里]というエリアがあるようだ。そのサイトの記述には、「杉原紙のルーツはこの地なり」と、ある。藤原忠実の日記『殿暦』に、[椙原庄紙]の記載が、あるのだそうだ。
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後醍醐先帝 うわー、すごいなぁ!

宿老 これはですな、性空上人が静かな部屋の中で法華経を読経してはった時に、冥府庁第8局長が一人の人間の姿をして現われ、あっという間に、書いて残していったというもんですねん。

後醍醐先帝 ふーん!

宿老 次に行ってよろしですか?

後醍醐先帝 うん・・・。(杉原紙を凝視しながら、移動)。

宿老 この杉の下駄、ご覧ください、足のとこ、ちびてもて(すりへってしまって)殆ど無くなってしもてるでしょ?

後醍醐先帝 そうやなぁ。

宿老 これはですね、上人が毎日、ここから比叡山へ通われた際に、35里の道のりをたった2時間で歩いて行かはった時に、お履きになられてた下駄ですねん。

後醍醐先帝 えーっ! 2時間でぇ!

宿老 こちらのこの、オレンジ色に染まった袈裟(けさ)、これはもぉ・・・そらぁもぉ、すごいもんでしてなぁ・・・驚きの逸話がありますねん。

後醍醐先帝 どないな話や?

宿老 はい、では、申し上げましょう。

後醍醐先帝 ・・・。

宿老 上人は、この袈裟をいつもいつも長い間、体にかけたはりましたのでね、仏前のお香の煙で、すすけてしもぉたんですな。

宿老 性空上人が、「この袈裟、そろそろ洗濯せんとあかんなぁ」て、言わはりました。すると、常に上人のお側に侍ってご用を務めている仏法守護の鬼神・乙が、「私が洗ってきます」と。鬼神は、この袈裟を持って、西方の天はるかかなた目指して、飛んで行きました。

宿老 しばらくしてから、上人が空を見あげられると、なんと、その袈裟が虚空に懸けられて干されておるではないか! 夕映の中に輝く一片の雲のごとく。

宿老 上人は、鬼神を呼んで聞かはりました。「あの袈裟、いったいどないな水で、洗うてくれたん?」。鬼神、答えていわく、「日本国内には適当な清涼水が無いので、インドのヒマラヤ山脈北側の無熱池(むねつち)まで行って、そこの水で、洗濯してきました。」・・・この袈裟は、そういう袈裟なんですよぉ!

後醍醐先帝 すごいなぁー!

宿老 こちらにございますは、生木を刻んで作られた観音様のみ像です。天人が地上に降りてきて、以下なる賛美文を呈して出来上がったという像でありますよ、

 我 生木の如意輪観世音菩薩様(にょいりんかんぜおんぼさつさま)を 礼拝したてまつる
 観世音菩薩様は 能(よ)く 生類一切の福寿の願いを かなえられ
 また 極楽往生の願いをも かなえらえるのだ
 百千無量の衆生よ ことごとく 観世音菩薩様を 念じたてまつるべし

(原文)稽首(けいしゅ)生木如意輪 能満有情福寿願 亦(また)満往生極楽願 百千倶テイ悉所念(しつしょねん)

宿老 こちらが、帝釈天(たいしゃくてん)に仕える製造神・毘首羯磨(びしゅかつま)が作ったという、五大尊明王(ごだいそんみょうおう:注3)の群像です。上人が法華経を読経される時には、不動明王と多聞天(たもんてん:注4)が、二人の童子に姿を変じて、上人を助けられたんですよ。

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(訳者注3)不動明王(ふどうみょうおう)、降三世明王(こうさんぜみょうおう)、軍茶利明王(ぐんだりみょうおう)、大威徳明王(だいいとくみょうおう)、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)

(訳者注4)四天王の中の一。毘沙門天(びしゃもんてん)とも呼ぶ。
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宿老 比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の根本中堂(こんぽんちゅうどう)の法要日には、上人はここの山におられながら、仏を称える賛美文を声長く引いて歌われました。その声は、遠く比叡山の雲に響き、そこの法要に集う人々の耳にまで届きました。

このように、宿老は微に入り細にわたり、性空上人の事跡を、滔々と語った。

先帝はその話にいたく感動され、直ちに、播磨国の安室郷(やすむろごう:兵庫県・姫路市)を寺に寄進され、法華経連続読経・法要の費用をまかなう為の領地とされた。

今日に至るまで、この寺の妙なるその行は、一時も怠る事なく、仏の法と説(教え)に忠実に従って、行われている。滅罪生善(めつざいしょうぜん)の陛下のこの御願、まことに、ありがたい事である。

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28日、先帝は、法華山一乗寺(兵庫県・加西市)に、お参りされた。

ここから進行を早められ、5月末日には兵庫(ひょうご)の福厳寺(ふくごんじ:神戸市・兵庫区)という寺に到着。

兵糧の保管場所を点検する為に、そこにしばらく滞在されていたところに、赤松父子4人が、500余騎を率いてやってきた。

後醍醐先帝 (とてもにこやかに)おぁ、おまえらが、あの赤松父子かいなぁ。

赤松父子 ・・・(平伏)。

後醍醐先帝 こうやって天下平定に向かって進んでいけるようになったんも、ひとえに、おまえらがこのわしを応援して、がんばって戦ぉてくれたからや。

後醍醐先帝 恩賞は、各自の望みのままに取らすからな。ほんまに、よぉやってくれたわい。

先帝は、赤松父子をご座所の警護役に取りたてられた。

福厳寺に1日逗留され、京都帰還の儀式行列の事について、あれこれと準備している中、正午ごろ、

公卿A 陛下、早馬が来ましたで! 3騎、いま、門前に。

後醍醐先帝 なに! どっからのや?

公卿A 徴兵檄文を、首に懸けとるそうですわ。

後醍醐先帝 よし、すぐ、通せ!

使者は庭に座し、檄文を陛下に捧げた。

公卿B ・・・(檄文を受け取り、開く)。

檄文 パサパサ・・・。

公卿一同 ・・・。

公卿B ナ、ナ、ナニィー!

公卿A いったい、なんや、なにが書かれたんねん?!

公卿B 新田義貞というもんからの報告です、「北条高時以下、一族従類ら、あっという間に追討し、関東はすでに平定」!

公卿一同 おおおおーっ

公卿C ほんまかいなぁ!

公卿D 陛下!

後醍醐先帝 うーん! 中国地方や京都の戦いにわが方が勝利、六波羅の両長官を攻め落とすとこまでは、やっとこさ来れたもんの、今度は関東をも攻め落とさんならん、これから先、えらい難儀な事になって行くやろなぁ・・・と、ものすごい、気ぃ揉んどったんやがな。

公卿A これはまた、素晴らしい知らせが、飛び込んできたもんですわなぁ!

公卿B 陛下、もう、あれやこれやと、疑ぉたり心配したりされる必要、ありませんわ。

公卿C やった、やったぁ!

公卿D 万歳、万歳、あぁ、今日は何という、めでたい日なんでしょう!

後醍醐先帝 やったぞぉ、これで天下平定やぁ! よぉし、そこにいる使者の連中に、望むがままの恩賞、取らせぃ!

というわけで、まずはその使者3人が、勲功の恩賞に預かる事となった。

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