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Me...too.

ウンザリするほど静かなオフィスには、キーボードを叩く音と僕の溜息だけが響き渡る。


時計に目をやると、22時を回るところだった。



__地獄の長時間残業。



この時期はどうも皆体調を崩しがちのようで、今日も2人ほど出てしまった欠勤の穴埋めをさせられているという訳である。


◯◯:...んんーっ...あと少し...


大きく伸びをして、ディスプレイに向き直る。どうせ僕しか居ないからと気晴らしにかけていた音楽ももう何周したのか覚えていない。


...まぁボヤいても帰れないので今は手を動かすだけ。


しかし、流石に眠気が酷くなってきた。コーヒーでも飲もう...今日何杯目だろうか。



立ち上がりフラフラと廊下の自販機へ向かうと、そこには人影が。


◯◯:...あれ?理佐さん?


理佐:...やっぱり残ってた。無理して◯◯君がやんなくてもいいのに。


苦笑いして手に持っていたコーヒーをくれたのは1年先輩の渡邉理佐さん。


◯◯:...出来るなら帰りたいんですけどね...部長命令じゃ仕方ないです。


理佐:...ただのパワハラだよね。だからみんな休んじゃうのにまだ気付かないのかな。


鼻で笑う理佐さんはいつもクールで...それでいてとても優しい。



おまけに美人。


◯◯:ま...まぁあと少しで終わるので...


理佐:...手伝う。もっと早く気付いてあげれば良かったね、ごめん。


◯◯:いっ、いやいや!いいんですよ全然!それより理佐さんこそこんな遅くまで何してたんです?


理佐:...プレゼンの打ち合わせ...と称したただの飲み会。たまたま忘れ物あって戻ってきたの。


苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てる様子を見るに、打ち合わせの惨事が伺える。


◯◯:...それは、お疲れ様でした...なのに僕の仕事手伝うなんて大変じゃ...


理佐:いいの。いるって分かってんのに帰れない。飲んではないから安心して?


僕の方を見ずにオフィスへと戻っていく理佐さんを追いかけながら、高鳴る鼓動を必死に抑える。




理佐さんのこういう所が、本当に好きだ。


いつも周りをよく見ていて、さり気なく助けてくれる。そしてそれを鼻にかける事は決してしない。


僕の憧れの人。密かな想い人と言ったところだ。

席に着き、随分少なくなったデータの山と向き合う。理佐さんは僕の隣に座り、チェックをしてくれた。


理佐:...にしてもさ...今月残業しすぎじゃない?ちょっとは自分の時間取らないと。


◯◯:いや...そうですよね...でも頼まれ事多くて...


理佐:...お人好しも程々にしないと。自分の人生なんだから楽しいこともしたいでしょ?...その様子じゃ女っ気も全然ないみたいだし。


◯◯:...よくご存知で...


理佐:...えっ...本当に?ごめんごめん...冗談のつもりだったんだけど...


珍しく気まずそうな理佐さんがなんだか面白くて笑ってしまう。


◯◯:...いいんです。どちらにしても今は仕事で手一杯ですから...


理佐:...バカ。仕事は人生の終点じゃない。あくまでも手段でしかないんだから。楽しい事もなきゃ仕事頑張れないでしょ?


◯◯:...楽しいこと...かぁ...ない気がします...


理佐:...悲しいこと言わないでよ...もう...


ふと考えると、自分には本当に何もないことに気付く。


これと言って趣味もない。地方から単身で出てきているので近くに友達もいない。



強いて言うなら...


◯◯:...でも強いて言うなら今は楽しいですよ。理佐さんが来てくれましたし。


口に出してしまってから気付く。失言だった。


しかし理佐さんは口の端を少し吊り上げ、笑った。


理佐:...こんなんで楽しいなら幾らでも付き合ってあげるけど...どうせなら仕事じゃなくてご飯とかの方がいいな。


◯◯:えっ...じゃあ今度...その...行きませんか?


千載一遇のチャンス。震える声に今度ははっきりと笑ってくれる理佐さん。


理佐:...もちろん。


心臓が恐ろしい速さで動き出す。


◯◯:あっ...ありがとうございます!お店...探しときます!


理佐:何それ...大袈裟だよ...ふふふ...


急に上がりだした調子と理佐さんのおかげで、程なく仕事は片付いた。


理佐:...お疲れ。23時過ぎてるじゃん、電車あるの?


◯◯:...ギリギリ何とか。


理佐:急ごう。


会社の最寄り駅へ2人小走りで向かう。


ホームに着くと、1本前の電車が発車したところだったが、幸い次の電車が終電だ。


◯◯:良かった...間に合いましたね...


理佐:ふふ...久しぶりにこんな走ったかも。


◯◯:本当にありがとうございました。わざわざ手伝ってもらって...


理佐:...じゃあ今度行く予定のご飯は◯◯君の奢りね。


◯◯:もっ...もちろんです!!喜んで出させて頂きます!!


理佐:冗談だって...あはは...


談笑しながら2人して電車を待つ。理佐さんは僕とは反対方向だが、ホームは同じ。


夏の湿った生暖かい風の吹くホームには僕ら2人だけ。


理佐:...あのさ。


◯◯:はい?


理佐:...その...変なこと聞くんだけど...いい?


急に歯切れの悪い先輩の姿はいつもより少し小さく華奢に見えた。


◯◯:なっ...なんでしょう?


理佐:さっきさ...女っ気ないみたいな事言っちゃったじゃん?だけど...好きな人くらいいるんじゃないの?


予想外の質問に少し仰け反ってしまう。


これが少女漫画であれば、『君が好きだ』とか言ってハッピーエンドなんだろうけど、生憎これは現実だ。


◯◯:いや...まぁ...そうですね。


理佐:...何その微妙な反応。さては私に知られたくない?あっ!わかった!職場の子なんだ!そうでしょ?


今度は急にはしゃぎだす理佐さん。いつもとのギャップに心臓を鷲掴みにされつつも危機感が襲う。


◯◯(...いや...まさか言えないだろ...)


理佐:...わかった。じゃあ当ててあげる。秘書課の松田ちゃんでしょ?可愛いし良い子だし...確か高校の同期じゃなかったっけ?


◯◯:...違います。松田は高校からずっと同じ人と付き合ってますよ。


理佐:...むー...じゃあ...広報課の守屋ちゃん?めちゃくちゃ美人だもんね。


◯◯:...違います。守屋は部長と何か怪しげです。


理佐:えぇっ!?そうなの!?知らなかった...あのエロジジイ...


その後も続く理佐さんの予想は、当然ながら全てハズレ。


理佐:んんー...大方それっぽい子は言ったと思うんだけどなぁ...悔しいけど...ヒントちょうだいよ。


『まもなく...2番線に...列車が到着致します...黄色い線の内側へ...』


◯◯:ほら...理佐さんの電車来ますよ。諦めて帰ってください。


理佐:やだ。ヒントくれなきゃここに野宿するよ?私。


僕の腕を強めに掴むその表情は鬼気迫るものだった。観念して僕は口を開く。


◯◯:...分かりましたよ...理佐さんの予想通り、同じ会社の人です。でも同期じゃなくて、先輩です。その人はクールでかっこよくて頼りになって...周りにも慕われてます。それにすごく美人ですよ。


理佐:...そんな完璧な人間ウチの会社にいる?


心臓の音が徐々に大きくなるのを感じる。そして、もう後戻り出来ない事も。



もういいや、言ってしまえ。




◯◯:...いますよ...今僕の隣に。


大袈裟でなく人生で1番緊張した。残業続きで正常な判断力を失っていなければ言えなかっただろう。

驚いた表情の彼女の顔は...真っ赤になっていた


理佐:っ!?わっ..."________"


ホームに入ってきた電車の音で、理佐さんがなんと言ったのかは聞き取れなかったが、はっきりと分かっていることが1つ。


彼女は、自分が乗るべき電車には乗らなかった。


◯◯:理佐さん!?電車行っちゃいましたよ!?


慌てる僕の胸に軽く拳を当て、俯きながら彼女は呟く。


理佐:...バカ。なんで...なんで私なの。


◯◯:...ごめんなさい。やっぱり迷惑でしたよね...忘れてください。今日もしどこかへ泊まるなら僕がお金出しますから...本当にごめんなさ...うっ!?


今度はさっきより明らかに威力のある拳。


理佐:...泊めて。


◯◯:...へっ?


理佐:...聞こえなかった!?"泊めて"って言ったの!


◯◯:いや聞こえましたけど...今のこの流れで僕の家って...ぐっ!


今度は大分腰の入ったパンチ。


理佐:...逆になんでわかんないの?この流れで。


◯◯:............ほ?


彼女は何を言っている?この流れで?僕の家に...?


それはつまり...


理佐:...私も。


『...1番線に...列車が参ります...』


ホームに再び響く電車の音。僕の顔を両手で挟み、目を見てはっきりと理佐さんは言った。


理佐:...私も◯◯君が好き。これでわかった?


◯◯:あ...あぁ...


理佐:...何?ご不満?


◯◯:...そんな...嬉しすぎて...こんな事...あるんですね...


頬に当たる彼女の手に恐る恐る触れてみると、優しく手を握ってくれた。


嘘じゃないよ、と諭すように笑って。


理佐:...もう楽しい事ないなんて言わせないからね?


◯◯:...当たり前です。理佐さんがいてくれたら...一生楽しいし...幸せに決まってます!


理佐:一生...?もしかしてそれプロポーズ?


◯◯:えっ!?いや...そういう訳じゃ...流石にまだ早いのでは...?


理佐:あははっ!なんて顔してんの。ほら、乗らないと今度こそ野宿になるよ。


いつもなら1人の電車に今日は2人で乗り込む。


◯◯:それにしても...本当に泊まるで良かったんですか?


理佐:...ダメな理由ある?


◯◯:いや...その...まぁ僕も一応男ですし...えぇと...


理佐:...あのさ...今の私たちに"しちゃダメな事"ある?


◯◯:えっと...それはつまり...


理佐:...ふふ...明日は2人で休んじゃう...?


僕を見上げる理佐さんは、僕の知っている彼女の何倍も魅力的で、愛おしい___


_____________end.

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