まるで堰を切ったように
__硬い甲羅で身を守る者ほど、中身は存外柔なものだ。
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〇〇:ただいまー。
仕事から帰り、自宅の扉を開けると今日も待っていてくれる彼女。
夏鈴:...おかえり。
少し微笑んで出迎えてくれた彼女は恋人の夏鈴。
付き合って1年経ってもこうして毎日出迎えてくれる。
夏鈴:お風呂...湧いてるで。先ご飯にする?
〇〇:お風呂入ってこようかな。夏鈴も一緒に入る?
夏鈴:...アホ。
〇〇:だよね。じゃあお帰りのハグは?
夏鈴:...したことあらへんやろ。
両手を広げて待ってみるが、彼女は来てはくれない。いつもの事だ。
〇〇:...はーい。
僕はしょんぼりしたフリをして風呂場へと向かった。
__夏鈴は"触れ合うこと"を極度に嫌う。
ハグだけではない。手を繋ぐのも、頭を撫でるのもダメ。何であろうと彼女の身体に触れることはNG。もちろん彼女の方から触れてくることもない。
彼女と初めて会ったのは中学生の時。
校内のマドンナ的存在として引く手数多の彼女であったが、そのガードの固さから"鉄壁"の異名で呼ばれていた。
お互い社会人になり、街で偶然鉢合わせしたことがきっかけで連絡を取るようになって、何度か一緒に出掛けた末、密かに彼女に憧れていた僕の猛アタックに彼女が折れ、晴れて恋人同士になることが出来た。
今こうして恋人として隣にいてくれるのはとても幸せなのだが、彼女のこの"習性"には少し困っている。
こちらが意識していなくても、不意に身体が触れたりしてしまうことですら気になるらしく、俯いて黙ってしまう。
夏鈴が嫌がることは極力したくはないが、やはり少し寂しい気持ちと、この先これで大丈夫なのかと不安に駆られることもある。
〇〇:...
湯船に浸かり、ボーッと考える。まぁこれもいつもの事だ。
嫌われているわけではないと思う。一緒にいて楽しそうにはしてくれるし、こうして毎日尽くしてくれてもいる。
ただ、やはり気になる。夏鈴の表情を見ていると、"触れられるのが嫌"と言うより、"自分から禁止している"ように感じるからだ。なぜ?もちろんその答えを僕は持っていない。
〇〇:あいつに相談してみるか...
_______________
次の休みの日。僕は中学の頃からの友人を呼び出していた。相談があるから、と。
△△:おー!久しぶり!元気だった?
〇〇:うん、そっちも元気そうだね...ってやっぱりひかるもいたか...
ひかる:えへへ...着いてきちゃった。
中学時代1番仲の良かった△△と、その背後から顔を出した恋人のひかる。
この2人は僕らとは対象的で、どこに行くにも常に離れないし、人目もはばからずベタベタしている。
今もひかるは△△の腕に抱きついて離れないのだが、△△はと言うと、そんなひかるにヘラヘラしながら頭なんか撫でちゃって。
...典型的なバカップルと言うやつだ。
△△:しかし〇〇が相談なんて珍しいな...何かあったの?
近くのカフェで談笑していると、△△が切り出した。
〇〇:うん...実はさ...
僕は2人に事の次第を話した。
夏鈴が触れ合うのを嫌がること、僕がそれに寂しい思いをしてしまっていること。この先これで大丈夫なのかという不安を。
△△:...そんな感じなんだ藤吉さん..."鉄壁"の異名は健在なんだね...
ひかる:...茶化しちゃいかんよ?夏鈴はね...昔からそうなんよ。女の子同士でも、嫌がることあるくらい...
〇〇:...ひかるでも?
ひかる:うん...これはね...夏鈴と面と向かってちゃんと話した方がいいと思うけん、私は黙っとくね?夏鈴の事本当に好きなら、受け止めてあげて?
ひかるは何故か少し嬉しそうに言った。
△△:...しかし、本当に僕らとは正反対なんだね...
ひかる:...ふふっ...そうやね、でもそれだけが愛じゃないんよ?私は離れたくないタイプやけんね!
△△:...へへ...僕もだよ?
隙あらば目の前でイチャつく2人に呆れつつも、素直に羨ましいと思ってしまう。...なんとかしなければ。
その日の夜。夕食の後、僕は勇気を出して切り出した。
〇〇:あのさ...ちょっと話があるんだけど...
夏鈴:ん...何?
心做しか緊張した表情の彼女。僕も緊張してしまう。
〇〇:その...いつも触られるの嫌がるじゃない?
それって何か理由...あるのかなって...。
夏鈴:...
彼女は俯いたまま黙っている。でもここで引き下がったらダメだ。
〇〇:...僕が寂しいっていうのももちろんあるんだけど...それより夏鈴が心配で...理由があるなら話して欲しい...
声が震える。
正直な気持ちを言うのは思ったより勇気がいるものだ。
__でも変に取り繕っても仕方ない。
夏鈴:.........から。
ようやく話し始めてくれた夏鈴の声はとても小さくて、聞き取れない。
〇〇:...ごめん、もう1回言ってくれる?
夏:...気持ち抑えられなくなっちゃうから!
普段ならありえない音量の叫び声にも似た彼女の返答は意外なものだった。
〇〇:...え?
呆ける僕に構わず彼女は続ける。
夏鈴:...本当は...本当は1秒も離れたくないねんで?ずっと〇〇とくっついてたい。でも...そんなんしたら〇〇の事好きな気持ち抑えられへんくなりそうで...そうなったらきっとウザいし…重い女やと思われるかも知れへん...だからずっと抑えて我慢してきてん。こんな風に考えてるのも重いやろ?ウチはそれが嫌で...っ!?
〇〇:...夏鈴。
僕は半ばパニックになっている彼女を優しく抱きしめた。
夏鈴:...いやっ...あかん...ダメやって...
腕の中で抵抗する彼女の頭を優しく撫でて、制止する。
〇〇:...何もダメなことないよ?僕は夏鈴が好きなんだから。夏鈴は?
抵抗する力が徐々に弱くなる。
夏鈴:...好き...やけど...
〇〇:...それなら大丈夫。夏鈴の不安は僕が全部受け止めるから。重くたって構わない。それだけ好きってことでしょ?
夏鈴:〇〇...
夏鈴は完全に抵抗するのをやめ、腕の中で縮こまっている。
夏:もう...我慢...せんで...ええの?
〇〇:もちろん。我慢するような事じゃないよそもそも。
夏鈴の腕がおずおずと僕の背中に回ってくる。
夏鈴:...心臓の音...聴こえる...早い...。
〇〇:...夏鈴もね。
僕らは初めてお互いを抱きしめ合い、その感触にしばらく浸った___
__夜中。
〇〇:(...やっぱりちゃんと向き合って話すのって大事なんだなぁ...)
ベッドの上でしみじみ思う。彼女を初めて抱きしめた感触がまだ腕に残っており、少し胸が高鳴った。
ふと寝室のドアが開く。
夏鈴:...
〇〇:...ん?どうした?
普段は別々の部屋で寝ている夏鈴が僕の部屋に来るなんて珍しい...
彼女は何か言いたげにもじもじしている。
夏鈴:あの...その...一緒に...寝てもええ?
〇〇:ふふ...いいよ、おいで?
モゾモゾと布団に入り、僕に抱きついてくる夏鈴が愛おしい。
夏鈴:〇〇の匂い...落ち着く。
夏鈴はそれだけ言い残し、静かに寝息を立て始めた。
〇〇:...寝るの早...まぁいいか。
僕はしばらく彼女の寝顔を眺め、眠りについた。
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___その日から、僕の生活は一変した。
〇〇:それじゃ、行ってきます。
夏鈴:...もう行ってしまうん?
出がけの僕の袖を掴む彼女。
〇〇:ふふ...今日も早く帰るから、ね?
夏鈴:...ん。
目を瞑ってこちらを向く彼女に僕は口付けし、優しく抱き締める。
夏鈴:...今日も愛してる?
〇〇:もちろん、世界一愛してるよ?
夏鈴:へへ...行ってらっしゃい...
真っ赤になって俯く彼女が愛おしくて、一瞬仕事を休みたくなったが、鋼の意思で耐える。
夏鈴はもう以前のように、触れ合うことを嫌がらなくなった。
それどころか、2人でいる時はずっと僕にくっついている。
__食事の時も…
〇〇:夏鈴...?これじゃ食べにくいよ...
彼女は自分の分そっちのけで僕の腕に抱きついている。
夏鈴:...じゃあ、ウチが食べさしてあげるな?はい、あーん...
〇〇:ふふ...美味しいよ。
その言葉に満足したのか、彼女も食べ始める。
正直言って、変わりすぎじゃない?なにこれ...
もちろん不満はない。むしろ嬉しい。
〇〇:(...この様子だと今までよっぽど我慢してきたんだろうな...)
食事中の彼女を眺めながら思う。
彼女も僕の視線に気付き、微笑んでくれる。
夏:なぁーに?ウチの顔に何かついてる?
〇〇:ううん、夏鈴が素直になれて良かったなって思ってた。
僕の正直な感想に彼女は恥ずかしそうに俯き、言った。
夏鈴:...ありがと。
〇〇:えっ?
夏鈴:...ホンマにずっと悩んでてん。ひかるみたいに素直になれたらなぁって。〇〇もきっとそういう子が好きなんやろなぁって...。でもウチはあんなに可愛くないし、愛想もないし。
〇〇:...そうかもね。
俯く彼女の肩を強く抱き締める。
〇〇:...でも、僕はそんな素直じゃない夏鈴も可愛いなぁと思ってたよ?もちろん今の夏鈴も好きだけど。
僕を見上げる彼女は、泣いていた。
__見た事のない笑顔で。
夏鈴:...あかん。ホンマに抑えきかんくなりそう...
〇〇:...まだこの先があるの?
夏鈴:...こんなの...まだまだ序の口やで?
〇〇:...具体的には?
夏鈴:...そうやなぁ..."今夜は寝かせへんで?"とか?
急に耳元で艶めかしく囁かれ、鼓動が早まる。
〇〇:...あの...それは一体どういう...んんっ...
僕の問いをキスで遮り、
夏鈴:...1年溜めた分...しっかり受け止めてもらうで?覚悟しぃや?
妖艶な笑みを浮かべる彼女に僕の鼓動は急加速していった__
___後日。
△△:...なんか...聞いてた話と違わない?
今日は△△達とダブルデートする約束の日。
僕の腰に腕を回し、肩に頭を乗せながら歩く夏鈴を見て、△△は思った通りの反応を見せる。
〇〇:...僕も驚いてるよ...。
ひかる:えへへ...良かったね、夏鈴?
夏鈴:...うん。
△△:...えっと...つまり〇〇の悩みは解消されたんだね?
〇〇:...そうだね。2人のおかげだよ、ありがとう。
ひかる:...じゃあ今日はお祝いやね?夏鈴が素直になれた記念!
夏鈴:...ちょっとひかる...声大きいって...
ひかる:あははっ!恥ずかしがり屋は治っとらんのね?
夏鈴:...
俯いて真っ赤になる彼女。最早見慣れた光景だ。
そんな彼女の頭を撫でてみる。恥ずかしそうにこちらを見てはにかむ彼女に、僕まで恥ずかしくなりそうだ。
ひかる:あーっ!イチャイチャしとるー!
△△:...まぁまぁ、いいじゃない。仲良さそうで微笑ましいよ?
口を尖らせるひかるの頭を今度は△△が優しく撫でる。
ひかる:えへへ...好きぃ...♡
満足そうに笑うひかるとは対照的にまだ恥ずかしそうな夏鈴。
しかし僕は知ってしまった。
破られた"鉄壁"から溢れ出した彼女の思いが、想像していたより遥かに強く大きかったことを...
それはまるで堰を切ったように____
_________________end.
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