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得手不得手をこう考える

 こんにちは、ウェルビーイング池上です。

 長距離走・マラソントレーニングには3つのアンチノミーがあり、その3つの中で調和を図っていくことが最適なトレーニングプログラムを立てるコツ(骨)になります。その3つのアンチノミーとは負荷と適応、質と量、一般性と特異性です。練習の負荷は高ければ高い方が良いです。但し、体がトレーニング刺激に適応するならばです。そして、練習の負荷が高ければ高いほど、体がトレーニング刺激に対して適応するチャンスは低くなります。

 このようにあちらが立てばこちらが立たずという関係になっているのが、アンチノミーです。練習の質と量も同じです。練習では「質より量が大切」とか「量より質が大切」と言い切ってしまう人がいるのですが、一体全体何を根拠に言っているのかなと思います。こういう分かりやすくキャッチーなコピーは「〇〇を飲めば3ヶ月で激やせ!」とか「〇〇を飲めば腹筋が割れる」などというサプリメントの誇大広告と変わりません。

 長距離走・マラソントレーニングはそんな単純なものではありません。複合的な観点を複合的に考える必要があります。質と量に対しても、ある人にとっては「質より量」だろうしある人にとっては「量より質」になるでしょう。

 イタリア人コーチのレナト・カノーヴァがこんなことを言っていました。

「私はクレイジーなコーチだ。二人の選手に60分をキロ3でいくように指示をする。でもどちらの選手もその練習をこなすだけの力はない。このケースでは、典型的なケニア人はとりあえずキロ3でいけるところまで行ってエネルギーが切れたところでストップする。なぜなら彼らにとっては質が大切だからだ。
一方で、典型的なヨーロッパの選手は1キロ3分20秒ペースで18キロを走る。なぜなら、彼らにとっては60分間走ることの方が重要だからだ」

 上記のようなケースでは、前者にはペースをもう少し落として長く走るトレーニングも取り入れることで調和が図れるでしょうし、後者はもっと距離を短くしてペースを上げる練習を取り入れることで調和が図れるでしょう。最終的にやろうとしていることは同じなのにアプローチの仕方は正反対になります。

 さて、もう一度書いておきますが、負荷と適応、質と量、一般性と特異性、この3つの中でアンチノミーを図ることが、長距離走・マラソンにおいては重要です。

 そして、ここにもし4つ目のアンチノミーを加えるとすれば、私は得手不得手の問題を持ってきます。はたして、ある選手を指導するときに得意を伸ばしてあげるべきなのか、苦手を克服するように手を差し伸べてあげるべきなのか、一体どちらが正しいアプローチなのでしょうか?あなたはどう考えますか?ちょっと心の中で考えてみてください。

 今回はあくまでも私の考えなのですが(とはいえ、多くの選手を見たり、いろいろな指導者にもお話を伺った上での結論ですが)、苦手に重点を置くのが正しいアプローチだと思います。この理由は単純です。得意なものは勝手に伸びていくからです。勝手に伸びていかないのであれば、実はそこまで得意ではないのではないかとも思います。

 そもそも得意不得意というのはバランスの問題でしかありません。長距離走・マラソンにおける得意不得意で最も多いのはスピード型か持久型かというものです。5000mを14分10秒で走るけれど、10000mを29分40秒でしか走れないのであれば、スピードがあるとも言えるし、持久力がないとも言えます。これは表裏一体なんです。

 この選手にどのようにアプローチしていくかは、第一に本人がどうしたいかということが優先だと思います。例えば、本人が今年も将来も5000mで日本選手権優勝を目指すということであれば、無理に持久力をつける必要はないでしょう。一方で、箱根駅伝を走りたいということであれば、徐々に持久力をつけていく必要があります。

 問題はこの選手を箱根駅伝で活躍できるように、持久力をつけていくパターンです。5000mで活躍することを考えても、やっぱり持久力をもう少しつけた方が活躍できる可能性は高まるでしょう。でも、このケースでは本人も指導者も「もうちょっと持久力がつけば良いよね」くらいにしか思っていないので、そこまで大きくいじることはないと思います。

 ただ、箱根駅伝で走るということを考えれば、指導者も本人も持久力が何よりも優先課題になると思っています。この時に往往にして問題になるのが、完全に練習のパターンを変えて、この選手のスピードを消してしまうようなトレーニングに変えてしまうことです。私は得意なことに重点的にアプローチすべきだとは思っていません。ただ、今までやってきたことを変えてしまっても上手くいくことは少ないです。

 私は完全に持久型です。周りはもっと練習量を減らしたり、持久系のトレーニングの質を落とせば、もっと質を高めることができてバランスが補正されると考えるのですが、そうでもないんです。今まで続けてきたことは続けてその上で質を高めていかないと、得意なことも消えてしまう上に、苦手はもともと苦手な訳ですから、そう簡単に克服できません。段階的に克服していくことが必要です。

 もっと言えば、この得手不得手の問題というのは一生消えないと思っています。誰しも生まれつき持っている自分の特徴というのがあります。右利きの人もいれば左利きの人もいます。それと同じで一生消えないから得手不得手なのではないでしょうか?得手不得手といえば、良い悪いというイメージがつきますが、私自身は右利きか左利きかというようなニュートラルな特徴だと思います。

 ここからが問題なのですが、得意ってそもそも何なのかと考えたら、先天的にある刺激に対して適応しやすいということだと思います。例えば、私の場合は先天的に持久力がつきやすいということです。これは他人との比較ではなくて、自分の中での問題として質を上げる方が難しいのか、量を増やす方が難しいのかどちらなんだという問題です。私の場合は量を増やすのは比較的簡単なのであれば、やはり質を上げることに重点を置くべきです。これは量を減らすということではありません。そうではなくて、量は勝手に増えていくから、質を上げることに重点を置いていこうということです。

 かなり微妙な問題なのですが、得意なものは勝手に伸びていくから不得意なものに重点を置いていこうということであって、得意なものはもうこれ以上やらなくて良いということではありません。

 ここまではスピード型か持久型かということを書き連ねてきましたが、他にも練習で走れるタイプとレースで走れるタイプがいます。これもあくまでも比較の問題です。誰しもレースで良い結果が出したいと思っています。でもそれにしたって、練習からいつでもレースに近い(同じではありません)走りができる選手と、レースでは練習からは考えられないタイムを出す選手がいます。これもやっぱり、比較的練習が強い選手はそれ以上練習マニアにならないように、レースで結果を出すことを考えるべきですし、比較的レースが強い選手はもうちょっと練習ができるように重点を置いていくべきだと思います。

 もっとマニアックなものになると、サーキットトレーニングは得意な選手、ドリルが得意な選手などもいます。指導者からすると、走るのが遅いのに基礎練習ばっかり頑張っている選手がいると、否定したくもなるものです。走れないから他の練習に逃げていると感じるのでしょう。気持ちは分からなくもないのですが、別に得意なことは得意なことでどんどんやれば良いと思います。本人もやっていて前向きに取り組んでいるのであれば、その量を減らす必要はありません。でも、それが走りにつながるということに重点を置いて取り組んでいく必要はあります。このケースもやってきたことは継続する、でも苦手に重点を置くという原則で良いと思います。

 今回は得手不得手の問題に触れてみました。簡単に要約すると、苦手に重点を置きながらも今まで続けてきたことは続けていくべきだし、得意を否定することはそれはそれでおかしいということです。今までやってきたことを継続していくと、どこかで力がついてきたなと感じられ、一段上の練習をやってみようと思うようになります。そのタイミングで、自分が苦手だったものに重点を置いて少しプラスアルファでやってみるということが大切だと思います。

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