#06

 過渡期の終わりは近い。

 友人たちの多くは変わらない。幸いにも元気に過ごしている人が多い。付き合いの浅い/深い、会話の内容に微妙な変化があったりはするけど、そんなのは自然なことだし。

 常に付きまとっていた焦燥感や、衝動的な負の感情の隆起は消えた。5歳から続く記憶上、はじめてだと思う、たぶん。
 楽しさを感じることへの罪悪感がなくなると、少し時間をおいて成人してから自覚した悪癖ーー現状で対処しきれないとわかっている苦境にわざと自分を追い込むことでしか、自分自身を肯定できない、周囲の不安をあおってでも強行する、それを繰り返す。ある種の精神的自傷行為のようなものーーーも呪いが解かれたか、憑き物が落ちたかのようにストンと消えた。

 段階をおいて家族との信頼関係は再構築が試みられている。(私が主導しているわけではない。そんなのはもうこりごりなのでやらないと決めて態度で示し続けていたら、問題の方から解決にむけて動きだしたのだから驚いた。なんにせよ結果オーライ。)

 恋人は1年前から変わらない。交際はこれまでの中で群を抜いて穏やかで、順調だと思う。向こうは大変だったかもしれないけど笑。

 ゲームをするのは下手だが、RPGは大好きなので最近ゲーム実況をよく見るようになった。YouTubeには非常にお世話になっている。
 大学生になるまでインターネットとは縁のない生活だったが、もはや生活インフラが喪失していたと言っていいくらいだ。せめてネット環境が許されていれば、もっとはやく「世の中の楽しさ」に気が付くことができたと思う。

 あと、よく歌を歌うようになった。そしてギターを弾いている。そんなに上手くはないと思うけれど、誰のためでもない、誰に見せるためでもない、自分が歌いたいから弾いている。

 一方で、メロディを奏でたいとは思わなくなってしまった。もはやトラウマなのかもしれない。楽しさで夢中になることはなくなった。
 弾いているとき、かつてかけられた様々な言葉が脳裏をよぎって、楽器を構えることすら快適じゃないと感じるようになった。楽器そのものは好きだが、かつて誰かに求められた音出し、誰かに支持されるために何度も必死で変えた奏法、弾き出すとき、あの人はこう思うだろうな、こう言われるのだろうな、と一瞬よぎる邪念。しばらく前からそうだったが、もう二度と自分からすすんで人前で弾きたいとは思わないだろう。お小遣いや付き合いのためならやるかもしれないが。とにかくもう余計なことを考えなくなるまで、真剣に夢中になることはなさそうだ。

 そういえば最近、自分の声に違和感が増してきた。どうしてこんなに発声が曖昧なんだろうかと思っている。もっとはっきり喋りたいのに、口の動かし方がわからない。歩き方がわからないようなものだと思う。とりあえず口輪筋を鍛える体操を習慣づけることにした。声のトーンもなぜ、わざと低く抑えるような話し方をしていたのだろう、と思う。日常よく歌うようになってわかったのだが、自分でいままで思っていたのより、わりと音域が高くて明るい音色が似合うみたいだ。
 話し声と歌声は基本的には別物だが、もっと自然な発声が他にあるのではないかと思って探っている。変な感じだ。呼吸の仕方を変えようとしているようなものだ。

 一つが気になるとまた一つ、という感じで、姿勢も不自然だと感じるようになった。
 いままでいかに背筋を伸ばして歩く、ということを知らなかったのかここ一週間で思い知らされた。文字通り歩き方を改善している。自分が思っていたより、自然体の姿はかなりこれまでの自分像と差があるのかもしれない。

 こういったことが、本来あるべき姿に戻る過程であるのなら、世情により人と会わなくて済むのはありがたい。
 ひとまず大学の春学期がおわるまでに、自分の自然体を探り当ててみたい。いままで思っていたのとはまったく違う人間がそこで待ってるような気がする。私が追いつくのを。

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