意識と無意識の話
今日は、みんなが思ってるより意識は単純で、みんなが思ってるより奥深いかもしれないよ、という話をしたい。
私の思う意識を紹介する。
あなたが、今、今日してきたことを思い返したとする。
思い出したことは、少なくとも、あなたが意識したことである。
しかし、その中にあなたが意識してやったことはほとんどない。全くないかもしれない。
意識というのは、いつも「気づき」に過ぎない。
喉が渇いたから水を飲むのではなく、水を飲んだから喉が渇いていたんだな、ということにしておくのだ。
もうちょっとわかりやすい話をする。
巨大なショッピングモールで買い物をする。
「めっちゃかわいい服いっぱいある」
「お腹減った」
「せやな」
「ねえ、今お店に赤いの何があった?」
「、?」
そんなこと今更聞かれてもわからない。しかし、赤いものを探せと言われたらいくらでも見つけることができるのである。
わかりづらかっただろうか。
何が言いたかったかというと、人は無意識に意識することを選別しているということである。
これを別名で運命というのである。
人は、運命は自分で変えられないだの変えられるんだの言っているが
本当は最初から決まっているのだ。
「人生は選択の連続」
というが、何を選択するのかは最初から決まっているのかもしれない。
そうだとしたら、選ばれなかった選択肢はあってもなくても一緒である。
ならば、果たしてそれを選択と呼ぶことはできるのであろうか。
自ら選択して行動しているなんて、本当に純粋に脳の錯覚である。人間に無敵感とかいう厄介な幻想を供給し続けている。
もう書くことが思いつかないのでとりあえず今日はこの辺で。
まあっさらー
ま
👋
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