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優しさが一番正しさはその次     の巻

別界隈の推しについて触れているバックナンバーもあるので、ご存知の方もおられるかも知れないですが私は沢田研二さんのファンでした。

沢田研二さんとかねちーって結構共通点があるんですよね。

どちらも元野球少年だし、高校中退(かねちーは殆ど通ってないみたいだけど)、兄弟の中間子(沢田研二さんは次男で妹が1人)、地元ではヤンチャ(本人か本人の近いところで警察沙汰新聞沙汰の少年Aがいる)だった。
実家が裕福でないのは、時代もあるし兄弟が多いのも沢田研二さんの時代は普通の範囲だから一般的な家庭と比較して過酷だったのは兼近家だったのは間違いないと思う。

もう一つの共通点、本名で芸能活動してること。
沢田研二さんのデビューは17才でザ・タイガースとして当時流行り始めていたグループサウンズと呼ばれるバンドでした。
パートはボーカルで、メジャーデビューの際に他のメンバーは芸名とニックネームを付けられたけど、沢田研二さんは、与えられた芸名を使わず本名(漢字が旧字体なのを常用漢字にしたのみ)で活動した。
ニックネームはジュリー。

ここからは沢田研二さんの呼び名をジュリーに統一させていただきます。

ジュリーは少年野球の頃からプロ野球選手を目指していて(かねちーも含め野球少年みんなの夢はプロ野球選手なのかも知れないけど)、キャプテンとして近くの強豪高校の野球部の練習を参考に練習メニューを作ったり、でも冷静に考えて地元で強いと言っても、このレベルは全国に何人いるのか?と計算して、そこを目指しても到底無理だなと冷静になれるところがある。

細くて弱そうに見える体格なのに、腕っ節が強くてコワイ人に囲まれても勝つのはジュリーだったり(高校で空手も少しやってた)、運動神経がとにかく良かった。

あと女の子の好みが見た目重視じゃないこと。
今の奥さんは女優だから勿論美人だけど、学生の頃付き合ってた女の子は仲間からすると見た目にパッとしてなかったらしくて今で言う「B専」だと思われていたらしい。

ジュリーが30代の頃出演したTV番組で、子供がタレントに色んな質問をしてそれを出演者が答えるというバラエティ番組があったのだけど、今なら絶対NGな下品な質問も紛れてて「初体験は何歳ですか?」なんてのがありました。
ジュリーは「遅かったです」と答えたんだけど、スーパースターでキラキラでカッコ良い人気者のジュリーが初体験が遅かったと言うので、マウントを取りたかった?MCの鶴瓶さん(当時はモジャモジャアフロ系の髪型)が「僕は早かったですよ、18ですから」みたいな事を言って、思わずジュリーが驚いて「遅いですね⁉!︎」と言っちゃったっことがありました。
だったらジュリーは何歳だったんだ?とその場が騒然としましたが、仲間内では遅い方だったんですと明言を避けたけど、他の情報を鑑みると15歳かその一年前くらいと推定。その年代なら多分相手は年上の人だろうし、そういう点も一緒かなと思う。

あと、一番の共通点だと思うのが、自分の美しさに無頓着なところ。
ここは敢えて嫌な言い方するけど、かねちーのイケメンさは本人も言ってるけど、「芸人にしては」という枕詞が必要だと思う。
ジュリーに関しては、今の栄養状態や時代の豊かさとは全く違う時代において、あの美貌は奇跡だったと思う。
松任谷由実がミュージックフェアで共演してるところで既に30歳を過ぎてるジュリーに「この世のモノとは思えない」とその美しさを形容しているし、その20年後キムタクが時代の寵児だったのも知っているけど、恐らくジュリーの最盛期はその比でなかったと思う。

ジュリーはデビューした頃の10代の時はその可愛いらしさで、20代では妖艶な美しさで30代も変わらぬ若々しさ(今は30代ってまだ若い感じだけど、当時は30過ぎはガッツリおじさんのイメージだった)で、スターのオーラでギラギラしてた。

歌手として認められたいのに、人気だけで売れてると評価され続けるのが悔しくて、でも美しさを求められるのも知っているから、敢えてその頃日本で先駆けの男性メークやオールヌードの写真を出したり、突飛な事をしてお茶の間の話題をさらう存在だった。

プレゼントも受け取らないのを公言してたのも有名。
コンサートで地方に行っても熱烈なファンのお馴染みの顔ぶれのメンバーがいつも最前列に陣取るので、地方ではその土地のファンを優先したいんだ!と公言てた。
ジュリーにうつつを抜かしてるからか、結婚もしないで追っかけをしている様なファンにも、応援してくれるのは嬉しいけど、沢田研二を人生の一番にするなとも言ってたし。
プレゼントを買うお金があるなら、コンサートへ足を運んで下さいってその頃から言ってたのも一緒。

時代もあるし、ジュリー本人が心は優しいけど言葉使いが荒々しいところや短気な所もあって、今のお笑いの世界より当時のミュージシャンの世界は男尊女卑が強かったんだろうから、当時の発言を今の感覚で聞くと驕ってると炎上しそうだけどね。

(最近の歌詞も政治的メッセージが強過ぎて賛否両論と言うか、ファンでも聞かなかったことにしょう、、、と思うことがあったりなかったりするけど)

2023.7.14のEXITANNXで、かねちーが公共の場で写真を撮るのを求められて断る時にボケで「ゴミならあげられるんだけどね」と答えたら、ファンが歓喜したというエピソードがありました。
(翌週はそれに伴い放送で読まれたメールの中から抽選でその後ゴミになるはずだったプリントアウトしたメールを投稿者に郵送する紙企画?神企画が誕生)

ジュリーの曲に「世紀の片恋」って曲があるのですが、ファンが推しに思う思いが歌詞になってて、その中に「君の使ったピンクのストローちょうだい」って部分がありました。

その曲の一人称が「オイラ」なので、普通に読むとキモいと感じてしまうのですが、ジュリーのファンがジュリーに対して感じる思いとして読むとまさにその通りだと思いました。

この記事のタイトルの「優しさが一番正しさはその次」もジュリーの曲のなかに含まれているものなのですが、かねちーもその度合いもあるけど、アベプラなどを見る限り優しさを大切に思っているのが感じられます。
正しさが重要なのを人一倍知っていて、実行しているのも彼ですが。


かなり前に途中まで書いたけど、放置していた記事をラジオを聴いて思い出して手直ししたものなので、読みにくい部分もある事をご了承ください。


番外


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