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「隣の救世主」第2話


本鈴が鳴ったのとほぼ同時、前につんのめるようにして教室に滑り込んだ。
続いて呆れ顔の葉山先生が前から教室に入ってくる。
「栗田、もうちょっと時間に余裕持てよ」
「すいません」
まだ騒がしい教室内で、ぜえぜえと息を荒げる俺。山添は涼しい顔でいつの間にか窓の縁に腰掛けている。
それは山添の身体能力が高いからなのか、それとも生身の人間とは違う特殊な力が働いているからなのか。
どちらにせよ、何かズルいなぁと思った。
「間に合いましたね」
「うん」
「2年の教室って、1年よりちょっと大きくないですか?」
「それは一緒だろ」
「なんか黒板との距離が遠い気がする」
「絶対気のせいだから」
「……ねえ、栗田くん」
「え?」
「さっきからなんか言ってるけどさ、私に言ってるんじゃないよね?」
隣の席に座る八谷さんが小声で話しかけてくる。
完全に油断して、普通に山添と話してしまった。
「ごめん、ぶつぶつうるさくて」
「別にいいけど、誰かと話してんの?」
「あー……その、もう1人の自分というか」
「栗田くんってそういうタイプだっけ」
「あはは」
首を傾げた八谷さんが、苦笑いの一本勝負で乗り切ろうとする俺を見る。居た堪れなすぎて今にも逃げ出したかったが、理性が俺の体を椅子に縛り付けていた。
すると、ふらっとやってきた山添が八谷さんの後ろに回り込む。
「残念ですけど……脈なしです」
「は?!」
教室内に響き渡る自分の声にハッとした。突然隣から大声を出された八谷さんは驚いて固まっているし、一気にクラス中の視線を集めている。
「栗田、今日どうした?」
「……何でもありません」
消え入りそうな声で答えるのがやっとだった。
そして八谷さんは俺を一瞥した後に小さな声で「キモ」と呟いたように見えて絶望した。

「先輩」
「……」
「栗田先輩」
「あのさ、気軽に話しかけないでもらえる? 話してて変だと思われるの俺なんだから」
「何か怒ってます?」
「別に」
「絶対怒ってますよね」
あの後の授業の記憶がない。気付いたら午前の授業が終わっていた。
昼休みになって、今はほとんど使われていない陰気な第二理科実験室までやってきた。
埃臭くて空調もオンボロ扇風機が一台しかなく、居心地は最悪だが、ここなら確実に一人になれる。
「もしかして、脈なしのやつですか?」
「違います」
「それくらいしかないでしょ」
「言っとくけど、俺八谷さんのこと狙ってないから」
「彼氏いるみたいですもんね」
「え、マジ? どんなヤツ?」
「やっぱり気になってる」
「これは別に、八谷さんが好きだからとかじゃなくて、単純に興味があるだけ」
「さすがに相手まではわかんないっす」
「……何だよ」
「俺、ただの幽霊ですから」
山添の口から直接自分が幽霊であると聞いた時、なんだか複雑な気持ちになった。
俺は会話もできているし、山添がそこにいると分かる。
しかし、山添は死んでいてこの世にはいないのだ。
「……ていうか、これ返しにいくのいつがいいんだろ」
「ばあちゃんに渡すなら、老人ホームですね」
「家じゃなくて?」
「はい。先月から老人ホームにいるんです」
「その……お前が死んでるっていうのは知ってんの?」
「まだ知らせてないかもしれないですね。死んだの昨日の今日なんで」
山添は、遠い目をしながらまるで他人事のようにあっさりと言い放った。
「じゃあ、今日行くわ」
「え、本当に行ってくれるんですか?」
「何も予定ないし」
「ありがとうございます」
ばあちゃん喜びますよ、なんて言って笑顔になった。不思議なヤツだ。
ふと山添越しに、壁にかかっている時計が止まっていることに気付いた。
「今何時?」
「あと10分です」
「うわ、昼飯食い損ねたじゃん……」
くうくうと切なく鳴く腹を押さえて第二理科室を飛び出し、教室への階段を登る。
その途中で下から複数人の足音がして、何の気無しに下を覗き込んだ。
「この度はご愁傷様でした」
聞き間違えでなければ教頭の声だった。
そして、この言葉でピンと来た俺は山添を見る。
「もしかして、両親来てる?」
「……何しに来たんだろう」
「なぁ、どうする?」
「どうするって?」
「両親に言いたいこととか、伝えたいことないのかよ」
「急に言われても……」
山添が考え込む間、山添の両親が立ち去ってしまわないかと気が気でなかった。
そして、微かに聞こえてくる話し声に耳をそばだてながら山添の顔を見て、早く言えと目に見えない圧を送った。
「あ、部屋の引き出し2段目は開けないでほしい」
「……え?」
「両親に言いたいことです」
「それだけ?」
「まぁ、はい」
「じゃあ俺、言ってくるから」
「え、ちょっと……!」

戸惑う山添を押し除けて階段を駆け下りる。職員室を出たところで深々と頭を下げる山添の両親の後ろ姿があった。
山添に目配せをしようとするが、姿が見えない。
どこいったんだよ、あいつ。
「あの!」
二人が俺の方を振り返る。
「山添くんの、ご両親ですか」
「……あなたは?」
「山添くんの……友達で、栗田といいます」
「虎太郎とはどういう繋がり?」
「昨日、電車の中でたまたま話して仲良くなったんです」
「昨日?」
そう言った途端、視界が突然白くなった。
山添の背中が、俺と山添の両親の間に割り込んでいたのだ。
「うわ」
驚いて後ろに後ずさると、ビュンという音が目の前を走った。
「え、えっ!?」
「先輩、下がって」
顔を真っ赤にした山添の母親が、俺に向かって手を振りかざす。
「虎太郎を返して!」
パン!と強く皮膚がぶつかる音がして、ぎゅっと目を瞑る。
しかし、俺に衝撃が走ることはなかった。
恐る恐る目を開けると、振りかぶった山添の母親の手を父親が捉えていた。
「やめなさい」
父親は母親の手を掴んだまま下ろし、俺の方を向き直る。
「ごめんね。まだかなり動揺してるんだ」
「それは……そうですよね……」
「昨日のこと少し聞かせてくほしい」
「断っていいですよ」
山添と山添の父親の板挟みになりながら、静かに頷いた。

「じゃあ、この部屋でお願いします」
今まで一度も入ったことのない応接室に案内される。高級感のあるふかふかしたソファーに座ると、学校という場所とのギャップを感じた。
あまりにも体が沈み込むので何度か座り直していると、山添の父親がゆっくりと口を開いた。
「昨日、虎太郎が死んだのは聞いてるかな」
「……今朝聞いて、すごく驚きました」
「どうやって死んだのかは知ってる?」
「それは……」
さりげなく俺の横に座る山添を見るが、不機嫌そうな顔で腕を組んでいるだけだった。
「わからないです」
「虎太郎は、駅のホームから線路に飛び降りて死んだのよ」
「……」
「ねえ、昨日虎太郎と何を話したの?」
「えっと……」
俺に詰め寄ろうとする母親を忌々しげに見上げる山添。嫌な構図だ。
「言わなくていいです」
「いや、でもさぁ」
「さっきみたいに適当に濁しといてください」
「適当にってそんな……」
「……」
「今更、聞く耳持とうとするなんて遅すぎるって言ってやってください」
「いやいや、そんなの死んだ側から言われたら重すぎるから」
「あの、栗田くん」
「はい?」
「さっきから誰と話してるの」
あっ、と思わず口元を手で覆った。またやってしまった。
「信じてもらえるか、分からないんですけど……山添くん、そこにいて」
「私たちのことバカにしてるの?」
「遼子、やめなさい」
「昨日の電車の中では、お互いの趣味とか入ってる部活とかそういう話をしました」
「……虎太郎は何て言ってたのかな」
「柔道部みたいな見た目のくせに手芸部入りたかったって言ってて、おばあさんにプロみたいなケーキ作るのにハマってるって」
山添の母親が眉間に皺を寄せ、感情を押し殺すようにため息をついた。
「……あなた、帰りましょう」
「遼子」
「そんな話聞きたくない」
そう言って席を立ち、応接室を出ていってしまった。

→第3話

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