第167回芥川賞勝手に選考

候補者名  候補作名 掲載誌  月号

  1. 小砂川チト こさがわ ちと  家庭用安心坑夫 群像6月号

  2. 鈴木涼美 すずき すずみ  ギフテッド 文學界6月号

  3. 高瀬隼子 たかせ じゅんこ  おいしいごはんが食べられますように 群像1月号

  4. 年森瑛 としもり あきら  N/A エヌエー  文學界5月号

  5. 山下紘加 やました ひろか  あくてえ 文藝 夏季号

1)小砂川チト「家庭用安心坑夫」(2点)
小波は東京のデパートで岩手の実家にあった、自分のけろけろけろっぴのシールを発見し、放置していた実家と父の人形のことが気にかかり、夫の反対を押して、家出するように実家に戻る。父の人形は尾去沢ツトムという、坑夫の人形だった。実家でドッペルゲンガーをみて気絶してしまう。実家近くの尾去沢鉱山に入り、ツトムと再会すると、ツトムの前に花が、親娘連れも自分の肉親のように思っていることを知り、ツトムを鉱山から連れ出し、実家まで運ぶが、そこで違和感に襲われて、ツトムを実家に置き去りに、東京に帰る。自分のうちに帰るがそこにはもう居場所がないのだった。並行してツトムの生きていた頃に起こった落盤事故でツトムが死ぬところも再現される。
小説としておもしろいがテーマはなんだろうと思うと、どうもぼやけてしまう気がした。
ツトムを置き去りにしたので、夫からも置き去りにされるとは?
実家にあった介護用品やオムツはなんだったんだろう?

2)鈴木涼美「ギフテッド」(1点)
27歳の私は一人暮らしで、17の時に母と住んでいた実家を出た。飲み屋のホステスをやっていたが、母の命の危機で、仕事を辞める。母に焼かれた火傷の跡を消すために二の腕から肩に刺青を入れている。母のもう命の長くない入院での闘病記である。入院中に母のボーイフレンドから800万円を贈られる。私の住むマンションは3階まで防火扉と思われるものを押し開けて階段で上がる。不自然だがなんの言及もない。母の最後に書きつけたノートには、ドアというタイトルで閉まるとき解説はいりませんとあるが、これは死へのドアであろうが、なにか含みがあるような。母がなぜ私に火をつけたのか?大きな伏線になっているが答えになるようなものはわからない。ギフテッドとは母から贈られたものだろう、私そのものであり、火傷の跡も大きい。

3)高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(5点)
30前の男性、二谷と同じ職場の同僚女性の押尾の視点が交互に描かれる。芦川さんをいじめませんか?と押尾に言われ、同意する二谷だが、結婚を意識して芦川さんと付き合い始める。芦川さんは女子力アピールに二谷のうちで家庭料理を作るが、二谷はそれでは食べた気がしなく、夜中にカップ麺を一人で食べる。二谷と押尾は飲み友達のような関係を続けながら芦川さんの女子力アピールに辟易としていて、押尾には本音を話せるが、芦川さんには窮屈な思いをしているのに、結婚はするのだろうかと考える。芦川さんの持ってくる手づくりケーキを毎夜ゴミ箱に捨て、それを拾って芦川さんの机に置く、押尾。押尾は退職、二谷は転勤となって話が終わる。
女性は女子力みたいのが大事と考える芦川さんとそうではない押尾のタイプに分かれるのだろうか。ジェンダーの抑圧を感じさせる作品。女子力で、女性だけでなく二谷のような男性も苦しくなる。このシステムの問題を炙り出す。
押尾、芦川、二谷のキャラクター設定が絶妙で、わたしのようなコミュ障的、人間には想像もつかない、かつアセクシャルを疑う自分には、結婚、子育て、という人生のルールがまるでわかっていなかったと思い知らされた。

4)年森瑛「N/A」(3点)
松井まどかは13歳の時から生理が来ないようにと食事を制限するようになった。まどかは女子高生で周りからは王子様扱いで「松井様」と呼ばれる風貌だった。友だちにはオジロと翼沙がいた。付き合っている人は教育実習生として知りあった、うみちゃん(海野)だった。うみちゃんにはLGBTのLだという自覚があり恋人として付き合っているつもりだったが、まどかは「かけがえのない他人」を求めていたのであって、恋人でもなかった。自分はLGBTではなく、拒食症でもない、どこにもカテゴライズされない「N/A」なのである。
祖母との食事のシーンが入るが、あれは家父長制の象徴であり、叔母はフェミニストの象徴である、どちらにも距離を置いていることが示される。どこにも所属したくないという表れ。
自分はどこにも該当なしの個人であるというところが良かったのであろう。個人はそう簡単にカテゴライズされないはず、だが、LGBT当事者としてみれば、よくある話のように思えてしまう、生理の拒否は、性別違和であり、(とくにノンバイナリー系の)トランスジェンダーの目覚めと読めばよくわかる。それがどこまで自覚されて書いたのか? LGBTをディスる場面もあり、問題ありのようにも読めた。文学作品としては文句がない美しい文章で女子校の生活を活写しているしよくできている。しかし、もし仮にこれが芥川賞受賞となれば、LGBT運動への批判のようにも読まれかねず、危険なものを感じる。

5)山下紘加「あくてえ」(4点)
時系列で書いていくと次のようになるだろうか。
ゆめ「あたし」19ー20歳、と母の沙織「きいちゃん」と前夫の母で「あたし」の祖母「ばばあ」90歳の3人で話が進む。白内障手術、結膜下出血
元夫裕一、不倫して新しい家庭。補聴器。文学賞、投稿。離婚、慰謝料取らない。
祖母倒れる。渉、クリスマスイブ、ホテル。急性胆管炎、入院、転院。裕一の息子、航輝、サッカー。話し言葉、あくてえ、小説で思考や感情。手術、ステント。退院。
3年前、裕一再婚で祖母と同居、祖母逃げ出し、沙織の元に。
イブのデート。遅刻。ツインルーム、ラウンジ、懐石料理、パソコン、共同出版。
派遣元、上司、瀬下。
祖母、二度目、倒れる。その日はデイサービス、帰宅後、嘔吐、救急、入院、菌の逆流。松島、ベッドから転落。 入院中、父がくる、フルーツ、きいちゃんの悪口。
二次選考通過。 退院。
ケアマネジャー、樋口。 ひと月、父行方不明。生活費未入金。きいちゃん顔に吹出物。
父のFBに行方、きいちゃん行かない、一人暮らしできない。父と会うが、金がない。家計を支えるため、ゆめがバイト。渉とホテル、避妊失敗、アフターピル、ケーキ、叩きつけ。
白内障手術、吹出物治ってくる、きいちゃん倒れる。入れ歯抜け、点眼。現実は終わりがない。
あまりにもエピソードが細切れなのがわかると思う。

白内障手術、吹出物解消と物事が解決するように見せて、続いていく現実的な演出。
細かいできごとをつないで、つないで、続けていくので、あとで思い返すとなにがあったか覚えきれないほど。現実は一つのエピソードが長く続くわけでなく、断続的に起こるから、リアルな手法。前夫の母を養い介護するのも必然性はないだけにリアリティがある。小説家を目指している設定もいかにも私小説的だが仕組まれたものか?うまい擬似現実テクニック。
(つまり、エピソードを細かく分断し、違うエピソードと混ぜて断続的にすることで擬似現実、擬似私小説を作り出そうとしている。その企みはきいちゃんがばばあを介護する不自然さもひとつだし、もちろん小説家を目指すというのも私小説に見せようとするテクニック、最後に小説には終わりがあるが現実にはないというのは、重要なヒントである。推測でしかないが、ここまで重なると意識的に企まれたとみれるのではないだろうか。すごいテクニック!)
小説的まとまりはないが最後になって、あくてえをつくゆめの温かさにほろりとさせられる。
ばばあの人間性もリアリティあり、きいちゃんはちょっとお人よしすぎるが、良くできている。テクニックお見事です。

予想
「おいしいごはん」「あくてえ」「N/A」の3作はどれが芥川賞でもおかしくない。3作は受賞ないだろうから、このうち2作の同時受賞もあり得るかと思う。

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