虎に翼 第5週『朝雨は女の腕まくり?』(24)を観て(ネタバレあり)
虎に翼(24)を観た。毎回のように地獄のヒキ(生前の栗本薫の言葉)で終わる。その後、今週の放映分を見直す。いろいろ発見があったので、ブログに記す。未見の方はご注意を。
穂高先生(小林薫)の弁護役は、余裕ある笑みを浮かべてゆっくり穏やかな調子のセリフで検察官に返す、お見事な演技でした。しかし、決定打となったのは寅子の傍聴席からの一言『監獄法施行規則 第49條』(拘禁革手錠の許可)だったという演出は少しできすぎかもと。
前日放映(23)寅子が襲われるシーン、窮地を救う竹中記者(高橋努)からの言葉で、事件の黒幕は『貴族院議員の水沼淳三郎あたりだろう』とある。爪切りの老人はいかにも悪役だなと思わせるが名前はでない。今回(24)階段ですれ違いざまに裁判官、桂場(松山ケンイチ)を呼び止め『君の正義感を発揮する時は今ではない』と警告し、逆に有罪(検察勝訴)をだせば、将来の地位の保証を匂わせる。このセリフを字幕で見ると、(水沼)と名前が明らかになる。検察の上層部に働きかけるとの暗示だった。このシーンも水沼が検察畑出身議員であることを踏まえると、検察批判をするとただではおかない直接的脅しと地位保証である。この水沼淳三郎役は誰かと思ったら、懐かしいウルトラセブン=モロボシ・ダンの森次晃嗣さんではないか。あまりテレビなど見ないわたしは知らなかったが、正義の若者がこんな老人役なのだと感慨深い。
寅子の父、直言(岡部たかし)は昨日までの怯え方から一転、予審供述を覆し、真実を供述(否認)する顔が実にすっきりした顔に変わっている。検察官、日和田(堀部圭亮)の扇子での脅しをやめろとまで言う。寅子を守る意識が強い父へと変えたのだ。前回からの公判で検察官、日和田(堀部圭亮)が扇子で机を叩き、ダン、ダンと室内に響き渡る重々しい音響が被告人を恫喝し、怯えさせる意味合いが強調されてきたのが生きている。堀部の権威主義的で実に憎々しげな顔と横柄な態度はすごい。この時代には検察官は裁判官と横並びで高い位置に着いていて、権威の象徴で睨みを効かせていたのがよくわかる。現代でも刑事事件の有罪率は99%以上、無罪は検察の沽券にかかわる。意地でも無罪や再審を認めないという有様に現れているなあと思う。女性弁護士はこの時代(戦前)に認められるが、検察官や裁判官は戦後にならないと認められないようだ。
直言の証言を引き出したのは、傍聴席からの竹中の、そんなんじゃ寅子がまた襲われると、の言葉(ヤジ)だった。真実の供述のとき一瞬、竹中の笑顔が映し出され、偉そうな態度の本意を無言で語る。
ここまで書いてきて、ネットを探るとYahoo ニュースなどざくざく解説がでてくる! ネタバレなどと記すまでもなかった。さらにこのブログの意味は?と不安になる。まあいいや、こうやって分析して文章化することで小説の創作にも役に立つのではと思って自分を慰める。
明日の放送が楽しみだ。最初に『地獄のヒキ』とまで書きましたが、展開から言っても、『帝人事件』の判決から言っても、おそらく無罪が下されることはほぼ予想できる。見どころは裁判官、桂場(松山ケンイチ)の演技だろう。無表情で感情を表にださない役に徹していたが、どんな態度で検察の事件捏造批判を繰り広げるのか?直接言語化できるのか。
ここで、はて?となってしまった。戦前の権威主義的な裁判において、実際にこんな大がかりな事件で無罪がでているのは驚嘆に値するのだろうか? 現代の新憲法の下で当然民主的、対等であるはずの検察側と弁護側においても、圧倒的に検察有利で、冤罪のほぼ明らかな(証拠捏造までの)事件、袴田事件など、多くの無罪判決が未だにでないというのはどういうことなのか。他にも政府・行政の意向に反する判決はだせない政治的判断をよく見る(ように思う)。現代日本の司法、裁判所は大丈夫なのかしらん。
昭和初期のこの裁判の方がむしろ民主的、対等かもと。昔の裁判から学ぶべきかもしれない。このドラマで、いままで全く興味の対象外で不勉強だった法律、司法、裁判にも少しは興味を持ってみようと思う。
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