煮魚のような男に恋した彼女の話(ショートショート)

「なんか最近、味覚が変わったみたいなんだよね」

彼女はたこわさをつまみながらそう言った。

「どんなふうに?」
俺は唐揚げをつまみながら聞いた。

「前はね、居酒屋に来ると絶対こういう唐揚げとかフライドポテトとか、焼き鳥とか串カツとか頼んでたのよ。私がそういうホントの意味で肉食だっていうのは知ってるでしょ? それが最近では、そういう肉肉しいものをあんまり求めなくなったんだよね。食べることは食べるんだけど、以前より美味しいって感じられないって言うか……」

確かに彼女は、唐揚げにもフライドポテトにも手を付けていなかった。
代わりに、たこわさをひょいひょいとひっきりなしにつまんでいる。
結構な大きさの小鉢に入れられたたこわさを一人で食べてしまうくらいの勢いだった。

「肉より魚の方が好きってこと?」
先に言ってくれれば、別なものを注文したのに……。いや、俺は食べるけどさ。唐揚げもフライドポテトも。

「そうだねー。最近お魚が食べたいな~って思うこと増えたよ。お寿司とか。あ、あとね。煮魚がすごく美味しく感じるようになった! 子供の頃って嫌いじゃないけど、そんなに美味しいとも感じなかったんだよね。なんか煮魚を美味しく感じるって、大人になったって感じだよねー」
「あー……」
それは俺も分かる気がする。
それを大人になったというのかどうかは分からないが、子供の頃は美味しいと感じなかったものや苦手だったものが、今食べてみたら意外に美味しかったということは多々ある。

「あとね、外食とかがっつりした食事が続くと、お腹に優しいものが食べたい~って思うようになった。そういう食事が続くと何となく身体が重く感じるんだよね」

そこで彼女は店員を呼び止めて、鯛のかぶと煮とアジのお刺身を頼んだ。

「それで、その先輩がね……」

彼女の話は、また元に戻った。
アジのお刺身をつまみながら、さっきからずっと職場の先輩の話ばかりしている。

彼女は最近転職した。
このご時勢に会社を辞めてすぐに次の仕事が見つかるのは、とても幸運なことだろう。
しかも給与の面でも職場環境の面でも、前の会社より格段に良いらしい。
仕事が変わってすぐの頃は慣れないこともあり、ツライツライと愚痴を言っていたが、最近は慣れてきたようで、仕事が面白いと言っていた。
彼女の言う「先輩」とはその職場で、直接彼女に仕事を教えている男の先輩のことだ。
先輩といっても、アラフォーの彼女の9歳下らしい。

彼女は根が体育会系だから、一度先輩と認識した人間には「自分は後輩である」という姿勢を崩そうとしない。
実際の年齢差が逆であっても、「自分が下」という一線を引いている。

「なんやかんや言っても優しくてね。この間もね、自分はお休み取ってるのにわざわざお昼に大丈夫?って電話くれてね、あ、なんか心配されてる~ってちょっと嬉しくなっちゃったよ」

何でもないことのように話しているが、長い付き合いの俺には分かる。
彼女はその先輩とやらのことを、好きになりかけている。
イマイチ踏み込みきれないのは、9歳という年齢差か?
それとも後々の仕事に支障が出ることを怖れているのか?

……っていうか、お前、年下好きだったっけ??
職場恋愛なんていろいろ面倒くさそうで嫌だって言ってなかったっけ??
自分は肉食系だから、好きになった人にはガツガツいくって言ってなかったっけ??

「まだ若いのに変に達観してるというか、落ち着いてるところがあってね。まあ、私が子供っぽいから余計そう見えるのかもしれないけど」

……なるほど。そういうことか。
確かに彼女はそそっかしいし、すぐにテンパる。
だから、落ち着いてフォローしてくれるその先輩に惹かれたんだろう。

「好きなの?」

俺がストレートに聞くと、一瞬、彼女はフリーズした。

「え?」
「いや、だからさ。その先輩のこと」
「そんなわけないじゃない! 職場の人だし、9つも年下だし、ないって! ないない!」

彼女は笑って否定しているが、自分の顔が赤くなっていることには気付いているのだろうか。
彼女は酔いが顔に出るタイプではない。
だから、アルコールのせいで顔が赤くなることなどない。

無自覚なのか認めたくないのか、どちらにせよ、俺にすら話してくれないということは、これはきっと本気の恋なのだろう。

それ以上突っ込んで聞いても、きっと彼女は認めないし、あんまりしつこく言うと怒るから、俺は敢えて問い質すのを止めた。

そんなことをしているうちに、彼女の頼んだ鯛のかぶと煮が来た。

「こないだね、その先輩に飲みに連れてってもらったんだ。そこでも鯛のかぶと煮があったの。初めて食べたんだけど、美味しいのね。鯛のかぶと煮食べたの初めてだって言ったらすっごい驚いてたよ」

「たまにLINEで話するんだけどね。最後に必ず【また数時間後に】ってつけるんだよね。それがなんか嬉しくってさ~」

「職場の先輩」の話はまだまだ続く。
味覚が変わると恋愛対象も変わるのだろうか?
今まで苦手・美味しくない・ありえないと思っていたものが、急に美味しそうに感じられるのだろうか?
そんな煮魚みたいな男に、彼女は今、恋をしようとしている。

「食べないの?」

「え?」

「かぶと煮。美味しいよ。あなたはいつも私の話を聞いてくれるから、イチバン美味しいとこあげる」

「ああ、うん。 ありがと」

どうやら少し、ぼーっとしていたようだ。
彼女に促されて、箸をつける。

鯛のかぶと煮は美味かった。
「あ、美味いな。これ」

「でしょー! やっぱりあなたも味覚変わってきたんじゃないの? 前は煮魚なんて頼まなかったもんね」

彼女は笑顔で俺にそう言う。

俺も「煮魚の男」になれる可能性があるのだろうか。
だとしたら、まだ諦めることはないな。

そう思いながら、美味すぎて箸が止まらなくなったかぶと煮を、彼女と一緒につついた。

<<終わり>>

#ショートショート #没原稿

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